Gandu (Bengali)

3.5
Gandu
「Gandu」

 インドでもっとも前衛的な映画作りが行われているのはベンガル語映画界であると考えられる。その理由は、Qという名前の、ただ一人の映画監督にある。Qはインド映画のレベルを遥かに超えた実験的な映画を次々と送り出している監督である。Qの出世作が「Gandu」である。2010年のニューヨーク南アジア国際映画祭でプレミア上映されたが、あまりに過激な性描写だったため、インドでは一般公開されておらず、2012年のオシアンス・シネファン映画祭で上映されたのみである。

 出演はアヌブラタ・バス、ジョイラージ・バッタチャルジー、カマリカー・バナルジー、スィラージト・マジュムダール、そしてリー(リトゥパルナー・セーン)である。音楽は、コルカタを拠点として活動していたオルタナティブ・ロックバンド、ファイブ・リトル・インディアンスである。

 アヌブラタ・バス演じる主人公の名前は劇中では明かされていないが、皆からは「ガーンドゥー」と呼ばれている。敢えて直訳すれば「肛門野郎」みたいな意味で、つまりは「馬鹿野郎」である。ガーンドゥーはコルカタで母親(カマリカー・バナルジー)と2人で暮らしていたが、生活費は母親の愛人ダースバーブー(スィラージート・マジュムダール)が賄っていた。ガーンドゥーは、母親と愛人がセックスしている間にダースバーブーの財布から金を失敬して散財するような、無為で自堕落な生活を送っていた。ただ、彼は気持ちをラップで表現しており、ラッパーになることを密かに夢見ていた。

 そんなガーンドゥーが、リクシャー(ジョイラージ・バッタチャルジー)という名のリクシャーワーラーと出会い、親友となることで物語が動き出す。一度ガーンドゥーは、現在の生活が嫌になってリクシャーと共にコルカタを抜け出すが、旅先で監督のQと出会い、混乱する。コルカタに戻ったガーンドゥーは、クジが当たって5万ルピーを手にした。そして、売春婦(リー)と獣のようなセックスをし、ラップを完成させる。

 ガーンドゥーとリクシャーは度々麻薬をやっており、カーリー女神など、幻覚の映像が随所に挟み込まれる。また、ガーンドゥーがやるせない怒りをぶちまけたラップを歌うシーンも時々ある。大部分が白黒だが、売春婦とのセックスシーンだけはカラーになる。サイケデリックな視覚効果が狙われていた。

 中盤で突然Qが登場してガーンドゥーと対峙し合うシーンは、映画の転機にもなっていた。ガーンドゥーは、Qという監督が「Gandu」という映画を撮っていると聞き、なぜ自分の名前の映画を撮っているのかと疑問に思う。映画の登場人物にとって、監督は神に等しい存在だ。そして、普通は会ってはならない存在だ。ガーンドゥーは、監督との禁断の出会いを果たす。このシーンまで、ガーンドゥーの人生は救いのないどん底であった。だが、Qと出会ってからは、いきなりクジで5万ルピーが当たり、人生が好転する。映画中に、監督が監督として登場するのは大いなる実験であったが、様々な解釈を呼ぶシーンとなっていて、一定の成功を収めていると感じた。

 「Gandu」は性描写も特筆すべきだ。局部にはモザイクが掛かっているが、インド映画でもっとも過激な性描写と言って過言ではない。モザイクの向こう側には、アヌブラタ・バスの勃起したペニス、リーのたわわな乳房、そしてフェラチオやクンニリングスが見える。しかも、主演のアヌブラタ・バスと激しい濡れ場を演じる女優リーは、実はQ監督の恋人である。

 「Gandu」の作りは、ダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」(1996年)を想起させる。ヒンディー語映画界において、ダニー・ボイル監督直伝の手法を使って作られた「トレインスポッティング」的映画というと、アヌラーグ・カシヤプ監督の「Dev. D」(2009年)が挙げられる。カシヤプ監督は、ボイル監督が「Slumdog Millionaire (UK)」(2008年)を撮影するためにインドに滞在しているときに彼に会って教えを受けたとされている。果たしてQ監督もボイル監督に会ったかどうかは分からないが、映像の先鋭さでは、Q監督の方がカシヤプ監督の一回り上を行っていると感じる。

 「Gandu」は、ベンガル語映画界の異端児Q監督の問題作である。あらゆる意味で超インド映画レベルであるが、あまりに異端過ぎて、Q監督以外にこの路線を継承・発展させて行く人がいない。どんな性描写でも堂々と演じるオルタナティブ女優リーの存在も大きい。多様なインド映画において、もっとも極端な位置にある作品である。