今日は、2005年3月11日公開の新作ヒングリッシュ映画「Chai Pani Etc…」をPVRアヌパム4で観た。「Chai」とはお馴染み砂糖とミルクがたっぷり入ったインドの紅茶のこと。「Pani」とは水のこと。「Etc…」は英語のエトセトラだ。監督はマヌ・レーワル。キャストは、ザファル・カラーチーワーラー、コーンコナー・セーンシャルマー、ガウラヴ・カプールなど。コーンコナー・セーンシャルマーがダブルロール(一人二役)で出演している。
サティヤ(ザファル・カラーチーワーラー)は米国で映画を学んで帰国したインド人。政府系のTV局、バーラトTVと契約し、ジャイサルメールのドキュメンタリー映画を撮ることになった。サティヤは昔からの恋人ラーダー(コーンコナー・セーンシャルマー)、親友ハリーシュ(ガウラヴ・カプール)らと再会し、またラーダーの大学時代のクラスメイトのシャーンティ(コーンコナー・セーンシャルマー)とも出会う。だが、サティヤが帰国した途端、ラーダーは奨学金を取得し、すぐにロンドンへ行くことになってしまった。 サティヤは撮影許可を取るために政府官庁を訪れるが、たらい回しにされた挙句、賄賂を要求される。曲がったことが嫌いだったサティヤは怒るが、何とか上からの人脈を利用して許可を取得した。すぐさまサティヤは撮影隊を引き連れてジャイサルメールへ行く。トラブルの連続だったが、何とか撮影を終えた。ちょうどジャイサルメールでボランティア活動をしていたシャーンティとも再会する。 デリーに戻ったサティヤは、今度は検閲に苦労する。サティヤはジャイサルメールの城塞や街の美しさと共に、ゴミ捨て場でゴミを拾う子供など、投げ出された貧困も正直に映像にした。だが、政府はそれを気に入らず、カットするよう要求した。さらに悪いことには、以前サティヤに賄賂を要求したオフィサー、バクシーが出世しており、検閲を取り仕切っていた。 だが、朗報もあった。サティヤの撮影したドキュメンタリー映画がフランスの国際映画祭に出品されることが決まったのだ。だが、政府はカットをしなければ認可を出さないと言って聞かなかった。仕方なく、サティヤは父親のコネを使って大臣に会い、映画の認可を出すことに協力してもらう。喜び勇むサティヤだったが、その帰りの自動車の中で、内閣が解散されたとのニュースを聞く・・・。
デリーとジャイサルメールが舞台となり、コーンコナー・セーンシャルマーがダブルロールに挑戦し、米国から帰国したインド人がインドを舞台にしたドキュメンタリー映画を撮影するという筋だったが、この映画のメインテーマは、インドの官僚に浸透したどうしようもない汚職体質と怠慢体質の描写と検閲制度への批判であった。
撮影許可をもらいに政府官庁を訪れるサティヤだったが、「ボスは今いない」とか「ボスは忙しくて会えない。また来い」と冷たくあしらわれる。ボスは実はいることを突き止めたサティヤが部屋に入ると、ボスのバクシーは居眠りをしていた。バクシーはサティヤに聞く。「チャーイ飲む?それとも水にする?」サティヤは何もいらないと答える。バクシーは撮影許可について話を始める。まずバクシーは「許可が出るには3ヶ月かかる」と切り出す。サティヤが「バーラトTVからは4ヶ月の期限しかもらっていない」と抗議すると、バクシーはよく分からない寄付金の話を始め、5,000ルピーの賄賂を要求する。サティヤは怒って部屋を後にする。その他にも、オフィスの部屋に鳩が巣を作っていたり、黙々と編み物をするおばさんオフィサーがいたり、4時になってもランチタイムが終わらなかったりと、インドの官庁によくある風景が忠実に再現されていて、観客は大受けしていた。オフィスだけではない、他にもインドの駄目な点がさらに鋭い視点で描かれていた。例えば、「ここでパーン(噛みタバコ)を吐くのは禁止です」と書いてある注意書きの下にパーンを吐いた跡がたくさん付いてたり、レストランのメニューに載っている料理のほとんどが品切れ中だったり、大雨が降ると雨漏りやら床上浸水が始まったり、インドにしばらく滞在したことがある人なら誰でもニヤリとするような、インドのどうしようもない部分を強調する出来事がいっぱいあった。エキスポなどの展示品が闇で流されている事実も暴かれていた。類似の映画としては、カールギル紛争で死んだ息子の慰謝としてガソリンスタンドを手に入れるまでの汚職との戦いを描いた「Dhoop」(2003年)が思い浮かんだ。
検閲に関しては、サティヤにはあまり同情できなかった。サティヤは政府のTV局からジャイサルメールを舞台にしたドキュメンタリー映画を依頼されたにも関わらず、ジャイサルメールの負の部分まで映し出し、当局から不必要な部分のカットを要求される。もし自費で制作しているならどういう映画を作ってもいいだろうが、政府から依頼されたなら、政府の指示通りの映画を作るのが監督の役目ではなかろうか?検閲に対する批判というテーマはちょっと的外れだった。
最後に、せっかく大臣に検閲なしで認可を出してもらう約束をこぎつけたのに、その日に内閣が解散してしまうというオチは、いかにもインドらしくて笑った。インドはひとつの困難を乗り越えると、新たな困難がすぐに現れるものだ。だが、サティヤの顔に悲壮感はなかった。最初はインドの独特のシステムに溶け込めなかったサティヤも、このときには既にインドのシステムの中に取り込まれていたのだ。ひとつの扉が閉じたら、別の扉が開く、というのもインドで生活する上での常識である!
ジャイサルメールは魔法の都だ。ジャイサルメールという単語を聞いただけで鳥肌が立つくらいの不思議な魅力がある。ジャイサルメールが出てきた映画は、「Meenaxi: Tale of 3 Cities」(2004年)や「Hari Om」(2004年)などが思い浮かぶが、どれも好印象だ。この映画も、ジャイサルメールの美しさが存分に活かされていた。一方、デリーの名所もけっこう映っていた。大統領官邸、ラージパト、フマーユーン廟、フィーローズ・シャー・トゥグラク廟(ハウズ・カース)、カーン・マーケットなどが特定できた。デリーのロケではよく大統領官邸からインド門に通じる大通りラージパトが出てくるのだが、普通はあまり通らない道路であり、映画に出てくると多少違和感を覚える。ラージパトがよく出てくるのは、おそらくデリー政府がラージパトしか道路上の撮影許可を出さないからだろう。
コーンコナー・セーンシャルマーが一人二役に挑戦していたが、僕にはダブルロールをする必要性が全く分からなかった。彼女が演じたラーダーとシャーンティは、特に双子という設定でもなく、ただの大学のクラスメイトだった。おかげで大いに混乱した。それだけでなく、サティヤ、ラーダー、シャーンティの関係自体も実に曖昧だった。サティヤとラーダーは恋人だったのだが、ラーダーはロンドンへ留学してしまう。ラーダーはサティヤに、毎土曜日電話をするよう約束させるが、いざサティヤが土曜に電話をすると、ラーダーはいつも家にいなかった。実はラーダーは英国でちゃっかり新しい彼氏を作っていた。サティヤも負けてはおらず、シャーンティと恋仲になっていた。ある日、ラーダーはサティヤに電話をする。「ごめんなさい、私たちもう別れましょう。」サティヤは答える。「男ができたのか?いつからだ?」ラーダー「あなたには関係ないわ。」サティヤ「オレも実はシャーンティと付き合ってるからな。」ラーダー「何ですって?いつから?」サティヤ「お前には関係ない。」ラーダー「信じられない!男はみんな同じね!」ガチャ。・・・下手な三流ドラマよりも下手な演出である・・・。苦笑が漏れた。
ヒングリッシュ映画なのでミュージカルシーンなどはなかったが、いくつか歌の入ったBGMが流れていた。印象的だったのはムハンマド・イクバール作「Sare Jahan Se Achchha Hindostan Hamara」のモダンバージョン(とても言うべきか)だった。この音楽と共にサティヤはラージパトを自動車で走行していた。
言語は7~8割が英語。いかにも英語が分からなそうな人との会話はヒンディー語となっており、非常に現実的なダイアログだった。あと、サティヤが着ていたクルターなどの服のほとんどは、デリーを代表する服飾店ファブ・インディア製だった。見た瞬間からファブ・インディア製だと思っていたが、一瞬チラッと襟の裏のタグが見えたので、ファブ・インディア製であることが確実になった。僕もファブ・インディアの服はよく着ている。
いろいろストーリー的、技術的に弱い部分もある映画だが、インド在住の外国人、またはデリーやジャイサルメールの観光をしたことがある人にはオススメの映画である。インドの駄目な部分と美しい部分が対照的に描き出されていてよかった。