Jinnah (Pakistan)

4.0
Jinnah
「Jinnah」

 「インド独立の父」と呼ばれるマハートマー・ガーンディーの伝記映画「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)は、アカデミー賞8部門受賞など国際的に高く評価され、映画史に残る傑作として記憶されている。ただし、この英印合作映画において、「パーキスターン建国の父」と呼ばれるムハンマド・アリー・ジンナーについては好意的に描かれていなかった。むしろ、ガーンディーが必死に統一インドの独立を呼びかけたにもかかわらず、頑なにパーキスターンの分離独立を主張した悪役として描かれていた。

 パーキスターン政府としては、「Gandhi」が世界に広めてしまったその歴史観に一石を投じたかったのだろう、パーキスターン建国50周年を記念して、「Gandhi」に匹敵するスケールの、ジンナーの伝記映画を作る企画が立ち上がった。この映画の製作は、キャスティングや政権交代など様々な要因から難航したようだが、パーキスターンでは1998年9月2日に公開された。英語版とウルドゥー語版があるが、英語版の方がオリジナルである。2023年12月16日に英語版を鑑賞した。

 監督はジャミール・デヘルヴィー。ロンドンを拠点とする印パ系の映画監督である。主人公ジンナーを演じるのは英国人俳優クリストファー・リー。「吸血鬼ドラキュラ」(1952年)でドラキュラ伯爵を演じたことで有名な俳優であり、後には「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001年・2002年・2003年)のサルマンや「スターウォーズ」シリーズ(2002年・2005年)のドゥークー伯爵などを演じた。デヘルヴィー監督は、リーの容姿がジンナーにそっくりだったために起用したようだが、「パーキスターン建国の父」を英国人俳優、しかもドラキュラ伯爵のイメージの強い俳優が演じることは物議を醸した。

 ヒンディー語映画俳優シャシ・カプールがナレーター役で出演していることも注目される。ジンナーの伝記映画にインド人俳優が出演しているのには違和感を感じる。映画カーストの名門カプール家の祖地はパーキスターン領にあり、その関係で出演を了承したのかもしれない。

 他に、「Kama Sutra: A Tale of Love」(1996年/邦題:カーマ・スートラ 愛の教科書)で有名なインド系英国人女優インディラー・ヴァルマーが出演しているのが目立つ。その他のキャストはほとんどが英国人俳優である。

 映画の作りは結構変わっている。ジンナーは、パーキスターン建国の約1年後となる1948年9月11日に死去したが、映画は彼の死から始まる。そして魂となったジンナーは、リシ・カプール演じるナレーターと共に時間旅行をし、それまでの自分の行動を振り返るのである。

 意外にも、ジンナーを無謬の英雄として描くことをこの「Jinnah」はしていない。ナレーターの口から、パーキスターン建国は正しかったのか、何度も問い掛けられる。周知の通り、印パが分離独立したことで、インド側にいたイスラーム教徒とパーキスターン側にいたヒンドゥー教徒・スィク教徒などが大移動を始め、やがて殺戮を招いた。もしジンナーがイスラーム教徒のための国家建設にこだわらなければ、そのときの混乱で死んだとされる100万人の命は助かったのではないか。しかしながら、エンディングにおいて難民となったパーキスターン人の口から「パーキスターン万歳!」というスローガンを叫ばせることで、ジンナーの行為が肯定的に評価され、物語が閉じられていた。

 リチャード・アッテンボロー監督の「Gandhi」がジンナーを悪役にしたのに対抗し、この「Jinnah」では3人の実在する人物が悪役的なキャラとして登場していた。マハートマー・ガーンディー、インド初代首相ジャワーハルラール・ネルー、そして英領インドの最後の総督ルイス・マウントバッテンである。

 ジンナーとガーンディーの対立は有名だ。ジンナーが政治家としてのキャリアを歩み始めたのは1904年頃とされているが、当初は英国統治下における漸進的な改革に加えてヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の調和を提唱していた。彼は知的な英国紳士であり、自治要求や独立運動に宗教を絡めることを嫌っていた。インド独立を主導した国民会議派の中でも穏健派の中心人物であった。ところが南アフリカの人権運動で名声を獲得したガーンディーが1915年にインドに帰国すると、国民会議派は大いに彼に影響されるようになった。ガーンディーはジンナーと同じくヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の調和を訴えたが、彼の思想にはヒンドゥー教のエッセンスが明らかに含まれていた。そして、ジンナーにとって、非暴力の抵抗運動で独立を勝ち取ることは現実的ではないと感じられた。結局、ジンナーはガーンディーにリーダーシップを奪われる形で1920年に国民会議派と袂を分かち、ムスリム連盟のリーダーに専念するようになる。

 「Jinnah」においても、ガーンディーはジンナーの行く手を阻む存在として描かれていた。ただ、完全な悪役ではなく、必要な敬意はきちんと払われていた。

 ネルーに対してはかなり個人的な攻撃があった。実はネルーは、マウントバッテンの妻エドウィナとただならぬ関係にあったとされる。「Jinnah」ではそれが厳然たる事実として直接的に描写されていた。たとえば、ネルーとエドウィナが手を握って会話をするシーンが何度かあったし、彼らが性的な関係にあったことを示唆するシーンすらあった。しかも、マウントバッテンはネルーとエドウィナの関係を半ば公認していたと見られる。ネルー、マウントバッテン、そしてエドウィナの結束は、分離独立後のパーキスターンにとって不利に働いた、というのが「Jinnah」の主張である。

 ジャンムー&カシュミール藩王国のハリ・スィンが、パーキスターンではなくインドへの帰属を表明し、第一次印パ戦争が勃発したが、これもネルーに味方するマウントバッテンの策略だったということになっていた。意志の表明を遅延していたハリ・スィンが急転直下インドへの帰属を決めた裏には、パーキスターン側からの武装勢力による侵略があったからだとされている。だが、その点には触れずに、マウントバッテンがジンナーを騙し討ちしたことになっていた。

 現在、インド側のパンジャーブ州にフィーローズプルという街がある。パーキスターンとの国境近くに位置する。この街の帰属についても言及されていた。「Jinnah」の主張では、フィーローズプルは本来ならばパーキスターンに帰属する予定だったにもかかわらず、やはりマウントバッテンとネルーの癒着により、インド領になったとされていた。なぜこの街の帰属が重要だったかというと、英領時代からここに軍の駐屯地があったからだ。フィーローズプルがインド領になったことで、フィーローズプル駐屯地に駐屯する軍隊もインドに帰属することになり、印パ分離独立時に起こった虐殺をパーキスターン側から制止することが難しくなった。確かに分離独立前のフィーローズプルの宗教人口比を見るとイスラーム教徒が47%、ヒンドゥー教徒が42%で、イスラーム教徒の方が人口が多い。この主張は初めて聞いたが、メモするに値する情報だ。

 起用されている俳優たちのレベルは高く、特にジンナーを演じたクリストファー・リーはジンナーそのもののように感じるほど貫禄ある演技をしていた。シャシ・カプール、インディラー・ヴァルマーといった俳優たちも素晴らしかったし、英国人俳優たちも文句の付け所がなかった。

 「Jinnah」は、世界的に有名な「Gandhi」と併せて観たい映画だ。パーキスターンの立場から、パーキスターン建国の父ジンナーを描いている。しかも、彼をストレートに英雄視するのではなく、一歩引いて驚くほど冷静に描写する努力をしていた。もちろん、最後には彼のパーキスターン建国を支持することで落ち着くのだが、果たして国を割るという行為に間違いはなかったのか、ということをパーキスターン側の視点から描いている点は斬新だった。