インド映画界においてホラー映画がジャンルとして確立する道のりは長く、しばしばインド初のホラー映画として引き合いに出される「Mahal」(1949年)から半世紀以上の歳月が流れ、21世紀になってようやく市民権を得た。その間、ラームセー兄弟が一定の貢献をしたものの、彼らが低予算の映画作りにこだわったため、ホラー映画はB級映画と同義になり、業界内ではアンタッチャブルの扱いを受けた。まだホラー映画に対してそんな偏見が根強かった1990年代において、ホラー映画のメインストリーム化に大きく貢献したのが、「インドのクエンティン・タランティーノ」の異名を持つラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督であった。
1992年2月7日に公開されたヴァルマー監督の「Raat(夜)」は、インドホラー映画の発展史において重要な転機のひとつになった。従来、インドの娯楽映画はあらゆる娯楽要素を詰め込んだマサーラー映画のスタイルを踏襲してきた。それはロマンス、アクション、ドラマなどのごった煮であり、既にハリウッドなどで主流になっていたジャンル特化型の映画の対極にあった。テルグ語映画「Siva」(1989年)やそのヒンディー語リメイク「Shiva」(1990年)によってインド映画業界に新たな旋風を巻き起こし、フィルムノワールの旗手となったヴァルマー監督は、今度は真の意味でのホラー映画にも挑戦する。それが「Raat」である。この映画はテルグ語版も同時撮影されており、そちらは「Raatri」と題されている。インド映画の最大の特徴である歌と踊りを廃し、ホラーに集中している点が斬新である。
主演はレーヴァティー。当時既に南インドからヒンディー語映画までインド全土を股に掛けて活躍する大女優であった。なにかと下に見られていたホラー映画に彼女が主演したのは意義があったのではないかと思われる。他に、チンナー、ローヒニー・ハッタンガディー、アーカーシュ・クラーナー、オーム・プリー、アナント・ナーグ、ジャヤー・マートゥル、ニルマラーンマー、テージ・サプルー、スナンダー、CVLナラスィンハ・ラーオなどが出演している。
2024年10月27日に鑑賞しこのレビューを書いている。
マニーシャー、通称ミニ(レーヴァティー)は科学を学ぶ大学生で、彼女の家族は新しい家に引っ越したばかりだった。両親を亡くしており、叔父のシャルマー(アーカーシュ・クラーナー)と叔母のシャーリニー(ローヒニー・ハッタンガディー)、そして二人の子供バンティーと共に暮らしていた。隣には同じ大学に通う親友ラシュミーが住んでおり、ミニにとっては望み通りの新居であった。だが、引っ越した前後からミニは悪夢にうなされるようにもなっていた。
まず起こった異変は子猫だった。バンティーが地下室で見つけた子猫をシャルマーが自動車でひき殺してしまった。バンティーに内緒で家族は子猫を埋葬するが、いつの間にか子猫が復活し、バンティーと遊んでいた。ミニにはディーパク(チンナー)という友達がおり、よくデートをしていた。二人でピクニックに出掛けたとき、ミニは何者かに取りつかれたようになる。だが、すぐに正常に戻ったので、周囲の人々は気にしなかった。
ミニとラシュミーは友人の結婚式に出席した。そのときミニは再び別人のようになり、ラシュミーの首をひねって殺してしまう。ミニに自覚はなく、彼女は親友の死にショックを受けた。その後、警察官がミニに聞き取り調査に来るが、彼も家を出た途端に交通事故に遭って死んでしまう。ミニは頻繁に発作に見舞われるようになり、一度は父親の首を絞めて殺そうとしたこともあった。シャルマーは心配して医者を呼び、精神科医(アナント・ナーグ)にも相談する。一方、シャーリニーはラシュミーの祖母(ニルマラーンマー)に相談に行く。祖母によると、現在ミニたちの住む家で昔、女性が殺され、それ以降、その家に住む家族はすぐに転居してしまうとのことだった。シャーリニーは霊媒師シャールジー(オーム・プリー)に会いに行く。シャールジーは家を訪れ、異変の原因はこの家にあると見抜く。
シャールジーは地下室の下に地下通路があるのを発見する。シャールジーとディーパクがその地下通路に降りると、そこにはかつて殺された女性(スナンダー)の亡霊がいた。シャールジーは彼女を退治し、ミニは正気を取り戻す。
ミニはすっかり元気になり、平和が訪れたが、今度はバンティーに異変が現れ始めていた。
一人称視点の使い方が非常にうまい映画だった。ミニなどの登場人物をジッと見つめる視点。カメラがその視点と一体化しているため、観客はその視点に同化すると同時に、その視点の主を知ることができない。何か分からないものに人間は大いに恐怖を抱くものだ。その主体は最後の最後まで出し惜しみされ、得体の知れないものに対する恐怖は終盤まで引き延ばされる。
音楽や効果音の使い方も、恐怖をあおるのに貢献していた。後にヴァルマー監督は音楽や効果音に頼り過ぎたホラー映画を作るようになるのだが、まだこの「Raat」での使い方はうっとうしくならない範囲内であった。
ただ、一方でロジカルなホラー映画として成立させるのには失敗していた。ミニたちが引っ越した新居で過去に殺人事件があり、殺された女性が亡霊となってミニに取りついたのは分かったのだが、なぜ家族の中でミニだけが憑依の対象になったのかの説明はなかったし、バンティーの可愛がっていた子猫が死んで復活したことや、ミニが憑依された場所が家の中ではなくピクニック先だったことなど、いまいち理屈が通らない部分も多かった。
ラシュミーはミニの隣人であり、ラシュミーが殺された後、本当は彼女の家で死を悲しむシーンなども入れた方が良かった。ラシュミーの死はそっちのけで、彼女の死によってミニが受けたショックの方にしか焦点が当てられておらず、違和感を感じた。
それでも、この映画が公開された当時、歌と踊りを完全に廃して、ホラーに徹した映画作りをするのには相当な勇気が要ったと想像される。まだ新進気鋭の映画監督だったヴァルマー監督にとっては乗り越えなければならなかった障害もさらに多かったことだろう。インド映画に、欧米で確立されたホラー映画の手法を持ち込み、形にしただけでも大きな功績だと評することができる。
レーヴァティーは、亡霊に取りつかれ発作を起こしたミニを捨て身の演技で表現していた。普段のミニと取りつかれたミニの切り替えも巧みであり、当代一流の女優であることを証明している。アナント・ナーグやオーム・プリーといった演技派俳優たちが脇を固めている点も注目される。
「Raat」は、インド映画業界においてホラー映画の地位向上に貢献した、エポックメイキング的な作品である。当時新進気鋭の映画監督だったラーム・ゴーパール・ヴァルマーの類い稀なセンスも光っているし、主演レーヴァティーの演技も賞賛に値する。決して筋の通ったストーリーにはなっていないものの、歌と踊りを廃してホラーに徹する映画作りの例を示した功績は何にも代えがたいものがある。歴史的な映画である。