Jaani Dushman

2.0
Jaani Dushman
「Jaani Dushman」

 1979年5月25日公開の「Jaani Dushman(宿敵)」は、インド初のモンスター映画として記憶されているマルチスター映画である。花嫁によって殺されたタークル(地主)が亡霊となり、花嫁を襲う怪物になるという物語だ。ただ、基本的にはマサーラー映画であり、ずっとモンスターが暴れ回るわけではない。ロマンスやアクションにも時間が割かれた娯楽活劇になっている。

 監督はラージクマール・コーリー。音楽はラクシュミーカーント=ピャーレーラール。キャストは、スニール・ダット、ジーテーンドラ、シャトゥルガン・スィナー、ヴィノード・メヘラー、レーカー、リーナー・ロイ、ニートゥー・スィン、ヨーギター・バーリー、ビンディヤー・ゴースワーミー、サーリカー、プレームナート、アムリーシュ・プリー、ラザー・ムラード、シャクティ・カプール、マック・モーハン、マダン・プリーなどである。

 2025年3月25日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 花嫁に殺されたタークル・ジュワーラー・プラサード(ラザー・ムラード)は亡霊となって地上に残り、人間に憑依して、花嫁や赤い花嫁衣装を見ると怪物に変身して襲うことを繰り返していた。警部補(ヴィノード/メヘター)は捜査を開始する。

 別のタークル(サンジーヴ・クマール)の村では、花嫁が誘拐される事件が相次いでいた。タークルは村人たちから尊敬されていたが、タークルの息子シェーラー(シャトゥルガン・スィナー)は横暴な人間で嫌われていた。シェーラーは、医者ヴァイドジー(マダン・プリー)の娘レーシュマー(リーナー・ロイ)に恋していたが、レーシュマーは村人たちから人望のあるラカン(スニール・ダット)のことが好きだった。孤児のチャンパー(レーカー)はシェーラーに言い寄っていたが、シェーラーに全くその気はなかった。ラカンとシェーラーは何かと対立していたが、レーシュマーを巡って火花が散るようになる。

 ラカンの妹ガウリー(ニートゥー・スィン)が結婚することになった。村に住むアマル(ジーテーンドラ)はガウリーと結婚したかったが、ラカンの母親は亡き父親が生前に約束した相手との結婚を決めていた。ガウリーを乗せた輿が村を出て行くが、途中でガウリーは消えてしまう。ラカンはアマルの家に行くが、そこにもガウリーはいなかった。アマルは毒を飲んで自殺してしまう。怪物にさらわれたガウリーも襲われる前に毒を飲んで死んでいた。

 ラカンは、ガウリーの装飾品がプジャーリー(プレームナート)の靴と共に落ちていたのを発見し、プジャーリーが花嫁誘拐の犯人ではないかと疑うが、プジャーリーは潔白を証明する。レーシュマーの父親ヴァイドジーは、タークルからシェーラーとレーシュマーの縁談を持ちかけられいったんは許諾するが、レーシュマーが拒否したため、破談となる。ヴァイドジーは盲人を装っていたが、それが嘘であることをシェーラーは知ってしまう。シェーラーはそれを秘密にする代わりにレーシュマーとの結婚を強行するように命令するが、ヴァイドジーは自ら秘密を暴露し、ラカンにレーシュマーと結婚するように頼む。

 タークルの娘シャーンティ(ビンディヤー・ゴースワーミー)はラカンに恋していたが、ラカンとレーシュマーの結婚が決まったことで、タークルの決めた相手と結婚することを決める。ラカンはシャーンティの輿に一緒に乗って誘拐犯を突き止めようとする。そのことを知っているのはタークルだけだった。果たしてシャーンティは誘拐されず、無事に嫁ぎ先に着いた。それを受けてラカンはタークルが誘拐犯ではないかと疑う。タークルは自殺しようとするが止められる。その計画をシェーラーも知っていたことが分かり、疑いの目はシェーラーに向く。シェーラーは逃げ出し、レーシュマーを誘拐して無理矢理結婚しようとする。ラカンはシェーラーに追いつき、戦いの末に彼を倒す。シェーラーは燃えた家屋の中に取り残される。村人たちはシェーラーが死んだものと考えた。

 ところがシェーラーはチャンパーに助け出されていた。シェーラーは真犯人を見つけるため自分の生存を隠し監視する。ラカンとレーシュマーの結婚式が行われ、レーシュマーの乗った輿が寺院を通りがかる。レーシュマーは誘拐され、ラカンが追いかける。そこにシェーラーも加わる。村にやって来た狂人もその場にいたが、その正体は花嫁誘拐事件を捜査する警部補だった。そこへ怪物が現れ、レーシュマーを襲おうとする。三人は力を合わせて怪物と戦う。そして最後にはラカンが怪物の胸に三叉戟を突き刺し退治する。

 スニール・ダット、ジーテーンドラ、シャトゥルガン・スィナー、サンジーヴ・クマールといった当時のスーパースターが共演するマルチスター映画であり、ヒロインもレーカー、リーナー・ロイ、ニートゥー・スィン、サーリカーなど豪華である。だが、スター級のキャストを詰め込み過ぎて消化不良に陥っていた印象である。スニール・ダット、シャトゥルガン・スィナー、レーカー、リーナー・ロイの4人にフォーカスして物語を構築した方がスマートになっただろう。

 また、現代の視点から見ると、ホラー映画やモンスター映画といった要素が二の次になっていたことも残念だった。当時のインドとしては斬新なプロットだったのだが、なまじっか複数の大スターを起用したために、彼らの活躍の方に時間を割かねばならず、せっかく登場させたユニークな怪物にストーリーを集中させることができなかった。

 ただ、怪物の設定はよく工夫していたと思う。基本的には憑依モノといえる。花嫁に殺されたタークルの亡霊に憑依された人は、平常時は普通の人間の姿なのだが、花嫁や花嫁衣装を見ると全身毛むくじゃらの怪物に変身し、花嫁を襲うようになる。観客には、この亡霊に憑依されるとどうなるかが冒頭で説明される。だが、では現在その亡霊が誰に取り憑いているのかは明示されない。そこからサスペンス要素が生まれるのである。

 花嫁誘拐犯候補として浮上するのは、村の寺院で僧侶をするプジャーリー、最近村に住み始めた狂人、そしてタークルあたりである。タークルは、花嫁衣装を見ると発作を起こすのだが、それはかつて結婚式に妹が自殺したことによるトラウマだと説明されていた。とはいっても怪しいことは怪しく、最終的にはタークルこそが怪物となって花嫁を誘拐していた真犯人だったことが分かる。

 映画の作りは1970年代という時代を考慮に入れても稚拙である。B級映画のレッテルを貼りたいところだが、ここまで大スターが出演しているとそれをためらってしまう。しかもこの映画は大ヒットした。やはりこれだけスターが勢揃いしていると、ストーリー二の次で集客力を持ってしまうのだろうか。

 俳優の中ではシャトゥルガン・スィナーとレーカーの演技が印象的だった。「Jaani Dushman」でシャトゥルガンが演じたシェーラーは準悪役のような立ち位置だったが、タークルの息子として傲慢ながらも毅然とした態度を崩しておらず、引きつけるものがあった。レーカーが演じたチャンパーはおそらく捨て子であり、誰の庇護も受けていない女性であったが、それ故に独立独歩の気風があり、最後には意中のシェーラーの心を射止める。

 この二人以外の男女関係は時間不足と脚本の完成度の低さからうまく描き切れておらず、蛇足に思えるものもあった。果たしてジーテーンドラやサーリカーを起用する必要はあったのだろうか。

 「Jaani Dushman」は、インド初のモンスター映画として引き合いに出されることの多い作品である。ただ、基本的にはマサーラー映画であり、映画の最初から最後まで怪物が暴れ回るわけではない。怪物よりも人間ドラマに重点が置かれており、他のインド映画と同じ土俵に立っている。マルチスター映画であり、当時のヒット作ではあるものの、作りが稚拙であるため、完成度は低い。