1947年の印パ分離独立から間もない1952年7月4日に公開された「Aan(誇り)」は、当時としては最高額の製作費を投じて作られ、インド映画としては初めてテクニカラーで彩色された大作である。また、インド国内のみならず海外展開された最初期のインド映画でもあり、17言語のバージョンが作られ、28ヵ国で公開された。日本もその内に入っており、1954年に公開された。「Aan」は、独立インドで作られたインド映画としては初めて日本で公開された作品になる。
監督はメヘブーブ・カーン。メヘブーブ・プロダクションズの創立者であり、後に不朽の名作「Mother India」(1957年)を作ることになる人物である。音楽はナウシャード。主演は当時のスーパースター、ディリープ・クマール。ヒロインはニンミーとナーディラー。他に、プレームナート、シーラー・ナーイク、ムクリー、ムラードなどが出演している。
周辺の土地を支配する王族マハーラージ(ムラード)には弟のシャムシェール・スィン(プレームナート)と妹のラージシュリー(ナーディラー)がいた。マハーラージは民思いの寛大な王だったが、シャムシェールとラージシュリーは民を虫けらのように扱う傲慢な性格をしていた。ラージシュリーは民衆の前で暴れ馬を抑えることのできる者を募る。それに手を挙げたのが支配下にある村の顔役ジャイ・ティラク(ディリープ・クマール)だった。ジャイは暴れ馬を乗りこなした上にシャムシェールからの決闘の挑戦も受け、打ち負かす。マハーラージはジャイに褒美を与えるが、シャムシェールとラージシュリーは我慢ができなかった。
ラージシュリーは尊厳を傷付けたジャイを目の敵にしながらも彼に惹かれてしまっていた。それに気付いたジャイは執拗にラージシュリーに言い寄る。ジャイの幼馴染みマングラー(ニンミー)はジャイとの結婚を夢見ていたが、ジャイはラージシュリーの方しか見ていなかった。
あるときマハーラージは手術のため英国に渡航しようとしていた。その前にマハーラージは王権を放棄し民に主権を譲ろうとした。シャムシェールはそれを阻止しようとマハーラージ暗殺を計画する。だが、マハーラージは脱出に成功し、変装して宮殿に留まっていた。
シャムシェールはマングラーに目を付け、彼女を誘拐して手込めにしようとする。ジャイの本心を知ったマングラーは気落ちしていたが、シャムシェールの魔の手に落ちるよりも尊厳ある死を選び、自殺する。マングラーの死を知ったジャイはシャムシェールに決闘を挑み、彼を殺す。シャムシェールが死んだと聞いたラージシュリーはジャイへの復讐を誓い、手勢を率いてジャイの村へ向かう。ジャイは村人たちを逃がし、一人でラージシュリーを迎え撃つ。ジャイはラージシュリーを人質に取って逃げ出す。そのまま二人は夜営するが、そこでラージシュリーはジャイを殺そうとする。ジャイはラージシュリーを捕らえ、村人たちのところへ引き連れて行く。ラージシュリーは村人たちと暮らすようになり、やがてジャイと結婚する。
死んだと思われていたシャムシェールは生きていた。シャムシェールは逃亡する村人たちを襲撃する。そして、ジャイと結婚し、王族の名誉を怪我したラージシュリーを殺そうとするが、彼女は逃げ出す。シャムシェールはマハーラージの死を公表し、戴冠しようとする。そこへラージシュリーが現れ、シャムシェールを糾弾する。シャムシェールはラージシュリーを逮捕して焼き殺そうとするが、そこへジャイが現れ、マハーラージはまだ生きていると宣言し、シャムシェールと戦う。ジャイは勝利し、シャムシェールを倒して、ラージシュリーを救い出す。
まずは当時として非常に金をかけて作った作品であることが分かる。デザインは多少奇妙に感じるものの豪華なセットを使って撮られているし、衣装もファンシーだが手が込んでいる。動物にも手を抜いていない。ゾウ、ウマ、ラクダなどを贅沢に使って撮影が行われている。
映画が扱っていたのは明らかに民主主義国家として歩み出したインドにおける王族をはじめとした封建主義的特権階級の処遇であった。この映画の撮影時にはインド各地にまだマハーラージャーが名実共に健在であった。インド政府は全国各地に550以上あった藩王国とその統治者であるマハーラージャーの特権を徐々に削っていき、インド連邦に組み込んでいった。「Aan」に登場するマハーラージャーは時代の流れと民衆の要望をよく理解しており、自ら王権を放棄して平等な世の中を受け入れようとしていた。しかし、マハーラージャーの弟と妹はそれを拒否する。特に弟のシャムシェールは王族と民衆をはっきり線引きして君臨する考えを持っており、クーデターを起こして実権を握り、王権を死守しようとする。
さらに、「Aan」は階級を超えた恋愛を謳う。マハーラージの妹ラージシュリーは主人公ジャイを見下しながらも彼の勇敢さや大胆さに惹かれ、恋に落ちていく。プライドの高い彼女は何とかしてその気持ちを抑え込もうとするが、プライドは恋愛に勝てなかった。最終的に彼女はジャイと共に暮らし始め、しかも家事までし始める。独立インドにおいては王族と民衆の区別はなく、誰でも誰とでも恋愛できるし、自分のことは自分でやることになる。「Aan」は、これからそんな理想的な社会が到来すると民衆に知らせている。国家建設映画のひとつに数えていいだろう。
しかしながら、ストーリーには一貫性がなかった。特にジャイの幼馴染みマングラーを死なせ、ラージシュリーとくっ付ける筋書きは納得いかなかった。死んだと思ったシャムシェールが後にいきなり復活するのもご都合主義に感じたし、唐突で蛇足な夢のシーンも終盤に差し挟まれている。高い志と野心はきちんと評価したいと思うのだが、決して完成度の高い映画ではない。
マングラー役を演じたのがニンミーで、ラージシュリー役を演じたのがナーディラーである。ニンミーは1950年代の大女優の一人だ。ただ、「Aan」によってスターダムを駆け上がった女優であり、この映画の撮影時には人気急上昇期にあった。終盤の夢のシーンは、スポンサーや配給会社から彼女の出番を増やすように要望を受け、急遽用意されたものだという。バグダード生まれのユダヤ人ナーディラーも「Aan」の大ヒットによって女優としてのキャリアを築いた。映画の大部分で凜々しい洋装の貴婦人のいでたちをしており、とても魅力的である。ただ、この2人の女優は目の演技を頑張りすぎていて、表情に不自然さを感じた。
ディリープ・クマールが演じたジャイは、完全無欠のヒーローであるが、何者なのかよく分からないという欠点もあった。常に余裕綽々で、自信満々の笑みを浮かべており、腕っ節も強い。だが、それ以外の部分でのキャラクター形成がほとんどできていなかった。
当時としては規格外の規模の映画であるが、ナウシャード作曲、シャキール・バダーユーニー作詞の楽曲も話題になったようだ。全10曲あり、ストーリーとの親和性も高く、バラエティーに富んでいる。基本的に明るい曲調のものが多い。群舞を伴うものもいくつかあり、とても華やかだ。鮮やかな色彩に定評があったテクニカラーの利点を最大限に活かそうとしたのだろう。
「Aan」は、独立間もないインドにおいて、万人が平等に暮らし身分差なく恋愛ができる理想の社会の建国に向けて、当時最高額の製作費をかけて作られた野心的な娯楽大作である。早くも積極的な海外展開に乗り出しており、時代を先取っている。今観ると粗が目立つ部分もあるが、インド映画史の重要な一作品であることには変わりがない。一度観ておくべき作品である。