「Prem Sanyas」は、1925年10月22日にドイツでプレミア公開された、ドイツとインドの合作映画だ。英国人作家エドウィン・アーノルド著「The Light of Asia」(1879年)を原作としており、仏教の創始者ガウタマ・スィッダールタの半生を描いている。この時代、まだトーキー映画は普及前で、無声映画である。ナレーションや字幕は中間字幕を使って英語にて行われた。題名の「Prem Sanyas」とは「愛の遊行」という意味である。英題の「The Light of Asia」の方がよく知られている。
監督はドイツ人フランツ・オーステンとインド人ヒマーンシュ・ラーイ。フランツはドイツのミュンヘン生まれであるが、インド映画黎明期にインドをベースにして映画作りを行ったことで知られる。フランツとタッグを組んで初期のインド映画界をリードしたのがヒマーンシュである。ヒマーンシュは「Prem Sanyas」にて主役のガウタマも演じている。
ヒロインはスィーター・デーヴィー。本名をレニー・スミスというアングロインディアンであり、無声映画時代の著名な女優の一人である。「Prem Sanyas」のみならず、フランツとヒマーンシュがその後も共同で監督した作品に出演し成功を収めた。他にシャーラダー・ウキールが出演している。
この映画は、ジャイプル藩王国のマハーラージャーの協力を得て作られたとされている。この映画が撮影されたのは1925年よりも前となるが、その頃のジャイプル藩王国のマハーラージャーは、1922年にマードー・スィン2世からマーン・スィン2世に交代している。さらに、マーン・スィン2世は即位時にはわずか10歳だった。よって、この映画がどちらのマハーラージャーの援助を受けたのか不明である。映像を観察すると、ジャイプル近郊のアーメール城などで撮影が行われているのが分かるし、撮影に使われている象や馬などはマハーラージャーが提供したと予想される。
興味深いことに、物語は現代から始まる。冬になるとヨーロッパ人がインドを観光に訪れると説明され、インド各地の観光地が紹介される。デリーのジャーマー・マスジド、ヴァーラーナスィーのガートと順に紹介された後、ボードガヤーのマハーボーディー寺院とその境内にある菩提樹が映し出される。言い伝えでは、ガウタマ・スィッダールタはこの菩提樹の下で瞑想に入り、40日の後に悟りを開いたとされる。この菩提樹を起点として、ガウタマ・スィッダールタがブッダになるまでが映像で語られることになる。
手塚治虫の漫画「ブッダ」などに親しんでいる日本人からしたら新鮮なのだが、「Prem Sanyas」は決してブッダの教えやその布教の過程などにフォーカスした作品ではない。むしろ、ガウタマが王子として何不自由ない生活をしていた頃に時間が割かれている。そして、心情描写の中心を成すのは、ガウタマよりもむしろ、ガウタマの父親シュッドーダナ王と、ガウタマの妻ゴーパーである。
シュッドーダナ王には長らく子宝に恵まれず、ガウタマはようやく授かった子供であった。ところが、ある日王は奇妙な夢を見て、それを賢者に診断させたところ、将来息子が人生に悲観し、玉座を放り出して世捨て人になってしまうという恐ろしい予知を聞くことになった。王はその事態を防ぐために、息子を世間から隔離し、あらゆる快楽を与え、死、老い、病気、痛みなどとは無縁の生活を送らせた。それでも運命にはあらがえず、ガウタマは外の世界に興味を持ち、ある日宮殿の外に出て、人生の真実を目の当たりにするのである。
また、ガウタマはゴーパーという姫と結婚した。ゴーパーとは仲睦まじく暮らしていたが、人生の真実を知ってしまうと、ゴーパーとの幸せいっぱいの生活も彼には無意味になってしまった。ガウタマはゴーパーに何も告げず、すやすやと眠る彼女を後にして、ある日忽然といなくなってしまう。翌朝目を覚ましたゴーパーはガウタマが家出したことを知り、己の惰眠を呪う。当初は宮殿でガウタマを待ち焦がれるが、このままでは帰ってこないと悟ると、自ら探しに出る。夫に捨てられたゴーパーの苦悩も「Prem Sanyas」の大きな関心事であった。
ドイツ人監督との合作ではあるが、マサーラー映画の片鱗も見え隠れする。特にゴーパーとの結婚を巡ってガウタマが他の求婚者たちと武芸を競う中盤のシーンは、アクション映画さながらであった。ガウタマを快楽に耽らせるためにシュッドーダナ王は息子に踊り子も宛がった。無声映画なので音楽はないが、踊りの要素が見受けられるのは興味深いことであった。
個人的には、ガウタマとゴーパーの結婚式に注目している。婚姻の儀式が進む中で、中間字幕によって以下のような説明がなされていた。
The garments of the bride and bride-groom tied in nuptial knot-
The seven steps taken thrice around the fire-
花嫁と花婿の衣服が婚礼の結び目で結ばれ
火の回りを3回、7歩の歩みが行われた
この「7歩の歩み」とは、ヒンドゥー教の婚姻の儀における「サプタパディー」である。直訳すれば「7歩」になる。新郎新婦が1歩ごとにひとつの誓いを立てながら共に7歩歩くことで、二人の結婚は完了するとされる。ただ、近年ではこれが「サートペーレー」、つまり「7周」と勘違いされ、火の回りを7回回ることを「サプタパディー」だと考える者も出てきた。この混同にはヒンディー語映画も大きく関与しているのではないかといわれている。少なくとも1925年に公開された「Prem Sanyas」ではそのような混同はない。火の回りを回ることと7歩歩むことはきちんと区別して考えられている。
中間字幕の英語は、シェークスピアの戯曲のように格式張って格調高いものだ。まがりなりにも当時のインドは大英帝国の一部であったことを思い出させる。
ちなみに、この映画は「亜細亜の光」という邦題と共に1926年に日本でも公開された。日本で初めて公開されたインド映画の最有力候補だが、ドイツ人との共同監督による作品だったこともあって、当時の日本ではインド映画ではなくドイツ映画として受け止められた可能性がある。そもそも当時、インドは英国の植民地であった。
「Prem Sanyas」は、無声映画時代のインドを代表する作品である。ガウタマ・スィッダールタの半生を描いた作品ということで我々日本人の関心を呼ぶテーマでもあるが、その焦点は我々の感覚とは異なり、新鮮味を感じる。歴史的な作品である。