Waiting

4.0
Waiting
「Waiting」

 ナスィールッディーン・シャーはヒンディー語映画界で最も尊敬されている俳優の一人である。元々は、娯楽映画と一線を画するパラレルシネマの象徴であったが、近年は積極的に娯楽映画にも出演するようになり、非常に幅の広い活躍をして来ている。一方、カルキ・ケクランは、インド生まれのフランス人女優であり、業界の中で独自の地位を築いている。彼女も演技力を高く評価されている上に、インド人役も白人役もこなすという、人種を越えた活躍をしている女優だ。

 この二人が主要な役としてキャスティングされた映画としては、かつて「That Girl in Yellow Boots」(2011年)があった。2016年5月27日公開の「Waiting」もナスィールッディーンとカルキが主演として共演している。それだけで目の肥えたインド映画ファンならばビビビと来るだろう。監督のアヌ・メーナンは「London Paris New York」(2012年)でデビューした女性監督であり、長編映画は本作が2作目となる。その他、ラジャト・カプール、アルジュン・マートゥル、マニラトナム監督の妻スハースィニー・マニラトナムなどが出演している。

 ターラー・デーシュパーンデー(カルキ・ケクラン)は、夫のラジャト(アルジュン・マートゥル)が出張先のケーララ州コーチンで交通事故に遭ったと聞き、病院に駆けつける。医者ニルーパム・マロートラー(ラジャト・カプール)によると、脳に損傷を受けて昏睡状態にあり、回復するか分からないと言う。ターラーは病院でひたすら夫が目を覚ますのを待ち続ける。

 ターラーは病院で、8ヶ月以上、昏睡状態となった妻パンカジャー(スハースィニー・マニラトナム)が目を覚ますのを待ち続ける老人シヴクマール・ナトラージ(ナスィールッディーン・シャー)と出会う。シヴは絶望的な状況にありながらも希望を絶やすことなく病院で妻が回復するのを待っていた。その姿に心を打たれたターラーはシヴと仲良くなり、彼に禅の境地に至る秘訣を聞く。

 だが、シヴも悩みを抱えていた。二ルーパムはパンカジャーの手術をしようとしなかった。また、入院が長期化しており、金銭的にも限界を迎えていた。一度、ターラーはシヴと口論をし、仲違いする。また、ターラーはラジャトに手術を受けさせる踏ん切りが付かなかった。手術が成功したとしても彼が再び歩いたり運動したりすることができるとは限らなかったからだ。ターラーも悩むようになり、しばらく後にまたシヴと口を利くようになる。シヴと語らう内に、彼女も禅の境地に至り始める。

 シヴはパンカジャーの人工呼吸器を外す決意をする。また、ターラーはラジャトの手術を了承する。

 「Waiting」という題名はなぞなぞのようで興味を引かれる。一体何を待つのか、と。映画を観れば分かるように、昏睡状態に陥った最愛の人が目を覚ますのを待ち続けることを指していた。しかも、同じような状況にある2人の主人公が交流し、彼らの心境が変化して行く様子を追った映画であった。

 最愛の人がベッドに横たわり反応をしないという状況は同じなのだが、シヴとターラーは全く世代の違う2人であった。シヴは妻と40年以上結婚生活を続けて来た一方、ターラーは結婚後2ヶ月も経っていない新婚の身であった。シヴの妻パンカジャーは脳卒中で意識不明となっており、ターラーの夫ラジャトは交通事故で脳挫傷を負い集中治療室に入っていた。ただし、ラジャトの方が若く、回復の見込みは彼の方があった。医者の二ルーパムは、ラジャトの手術を勧める一方、パンカジャーについては人工呼吸器の取り外しを勧めていた。インドでは生命維持治療の中止は、家族の同意があれば合法となっている。

 物語の序盤では、ターラーの視点から、「待ち」の先輩であるシヴの姿が、多少の羨望をもって語られていた。まだ夫が昏睡状態に陥った直後であったターラーは現実を受け止められず、食事も睡眠も取れない状態となっていた。だが、シヴは彼女に、今は看護婦が彼のケアをしてくれているから、彼が回復した後に十分なケアができるようにゆっくり休むべきだと助言する。シヴの言葉が、ターラーの行き場のない焦燥感を和らげることになった。

 しかしながら、物語が進むにつれて、シヴもシヴなりに悩みを抱えていることが明らかになって来る。シヴは担当医二ルーパムと話すのを避けていたが、その理由は、彼がパンカジャーに付けられた人工呼吸器を外すことに同意するように言って来るからだった。シヴは妻が回復するという希望を捨てておらず、ずっと彼女が目を覚ますのを待ち続けるつもりだった。だが、二ルーパムは医者の立場から、もはや彼女に回復の見込みはないと判断し、これ以上は金銭の無駄遣いとなるから、生命維持治療の打ち切りをシヴに勧めていたのである。シヴはそれを受け容れることができなかった。ターラーの夫の手術が行われることを知ると、シヴの怒りは爆発し、ターラーとも口論をしてしまう。

 だが、最後には結局、シヴも妻とお別れをする決意をする。その前に彼は意識不明の妻に、何十年も前に犯してしまった浮気を告白する。それと同時に、ターラーも、夫に手術を受けさせる決心をする。手術をしても夫が完全に回復する見込みがなかったため、迷っていたのである。

 この二人の心変わりのきっかけは、はっきりと描かれていなかった。シヴとターラーが仲直りし、芝生に寝ころんで煙草を吸い、そしてシヴの家で二人は踊る。出来事と言えばそれくらいだ。だが、久しぶりに楽しい時間を過ごした二人は、今まで頑なに拒んでいたことを受け容れる気持ちになる。ターラーは、結婚時の確執から疎遠になっていたラジャトの母親とも話をする。

 題名の「Waiting」とは、第一には、意識不明となった最愛の人が目を覚ますのを待ち続けることであるが、もうひとつ裏の意味としては、現実を受け容れるまでの待機時間ということもあるだろう。シヴは妻の生命維持治療の中止を受け容れるまで10ヶ月掛かり、ターラーについても夫の手術を受け容れるまでに数週間の時間が掛かった。その判断が正しかったのかどうかは誰にも分からない。だが、人生は、生きている者が前に進んで行かなければならない。その大事な一歩を踏み出すまでの時間を追った映画がこの「Waiting」だったと言える。

 言語はヒンディー語、英語、マラヤーラム語のミックスである。若干、英語の台詞が意図的に多めだった印象を受けたので英語映画とすることもできるのだが、多言語国家インドの自然な言語状態の再現の範疇に収まっているとしていいと思われる。舞台の大部分は風光明媚な景観で人気の観光地となっているケーララ州コーチンであり、そのエキゾチックな風景と病院の無機質な内装が鮮烈なコントラストとなっていた。

 「Waiting」は、ナスィールッディーン・シャーとカルキ・ケクランという、ヒンディー語映画界を代表する演技派俳優たちが世代を超えて共演する、控えめなドラマ映画である。悲しい中にも心温まる瞬間があり、リアルな人生の1シーンを切り取って脚色したような作品となっている。