インドでは縁談をまとめる際に新郎新婦のホロスコープが合わせられ、星の運行上の相性が確認される。その際、「マーングリク」と呼ばれる、火星の影響下に生まれた人間は、配偶者を早死にさせると信じられており、慎重なマッチングが求められる。ひとつの解決法として、まずは木などと結婚させ、次に目当ての人と結婚させるという手段がある。インドでは時々、木と結婚した人のニュースが話題になるが、これはマーングリクという迷信から来るものである。噂では、女優アイシュワリヤー・ラーイもマーングリクで、アビシェーク・バッチャンと結婚する前に木と結婚させられたと言う。マーングリクの女性は男性顔負けの勝ち気な性格になると言われており、女優など、自己主張が強くないと生き残れない職業の女性にはマーングリクが多いとされる。
2017年3月24日公開の「Phillauri」は、そんなインドの変わった風習を着想源にして練り上げられた幽霊ロマンス映画である。監督は「Housefull」(2010年)などで助監督を務め、この映画で監督デビューを果たしたアンシャイ・ラール。女優アヌシュカー・シャルマーがプロデューサーを務めると同時に物語の核となる幽霊役でも出演する。他に、「ライフ・オブ・パイ」(2012年)のスーラジ・シャルマー、ヒンディー語映画デビューとなるメヘリーン・カウル・ピールザーダー、ディルジート・ドーサンジ、マーナヴ・ヴィジなどが出演している。
パンジャーブ州ピッラウルからカナダに渡り、ラッパーをしていたカナン(スーラジ・シャルマー)は、3年振りに故郷に戻り、幼馴染みのアヌ(メヘリーン・カウル・ピールザーダー)と結婚することになった。だが、ホロスコープを合わせてみると、カランはマーングリクであることが分かった。そこで僧侶の言う通り、カナンは木と結婚させられる。 その夜、カナンの枕元に女の幽霊が現れる。彼女の名前はシャシ(アヌシュカー・シャルマー)と言った。シャシは、カナンが結婚した木に取り憑いていた霊で、カナンは彼女と結婚したことになってしまっていた。シャシの姿は他の人には見えなかった。カナンが宙に向かって話しているところが目撃され、アヌや家族は心配する。アヌは、カナンが自分と結婚したくないためにデタラメを言っていると受け止める。シャシがアヌのベールを身にまとうと、ベーツが宙に浮いているように見えた。彼女はカナンの言うことを信じるようになる。 シャシは、100年前にピッラウルで暮らしていた女性だった。医者をする兄キシャン(マーナヴ・ヴィジ)と共に暮らしていた。シャシは、兄に内緒で「ピッラウリー」のペンネームと共に詩を雑誌に送っていた。彼女は、村で歌を歌って自堕落な生活をするループラール(ディルジート・ドーサンジ)と恋に落ちる。当初、キシャンは二人の仲を認めなかった。だが、ループラールがアムリトサルへ行き、シャシのために彼女の詩を歌ってレコードに録音して金を稼いだことに感心し、二人の結婚を認める。 1919年バイサークの日、ループラールは村に戻って来る予定だった。キシャンは結婚式の準備をするが、彼は現れなかった。失望したシャシは木で首を吊って自殺してしまう。その木が、100年後にカナンが結婚することになった木だったのである。 カナンは、1919年バイサークの日、アムリトサルでは、ジャリヤーンワーラーバーグの虐殺が起こった日であることに気付く。カナンとアヌは結婚式当日、会場を抜け出し、シャシを連れてジャリヤーンワーラーバーグへ行く。やはり、ループラールは大虐殺に犠牲になっており、そこに彼の霊がいた。100年振りに再会した二人は天に昇って行く。
ヒンディー語映画界は次第に幽霊の効果的な使い方を心得て来たようである。インド映画の伝統的なフォーマットに純粋なホラー映画は合わないし、インド人の映画鑑賞態度もホラー映画とは相容れない。だが、コメディーやロマンスと組み合わせることで、インド映画のフォーマットにも収まりがいい幽霊映画が作れるようになって来た。ホラー+コメディーの好例としては「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)、ホラー+ロマンスの好例としては「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻)を挙げたい。
「Phillauri」については、幽霊映画ではあるものの、ホラー要素は最小限で、基本線はロマンス映画である。しかも、現代と100年前、2つのロマンスが同時並行で語られる。この点は「Love Aaj Kal 」(2009年)などとも似ているが、現代と過去のロマンスに共通点はない。回想シーンの入り方もバランスが良くなく、過去のシーンの方が時間が長かったし、より力が込められていた。現代のシーンと過去のシーンでは監督が違うのではないかと思ったほどだ。
邪推をすると、これはアヌシュカー・シャルマーがプロデューサーであったことに原因があるのかもしれない。彼女は幽霊のシャシを演じており、現在のシーンと過去のシーン、どちらにも登場して、2つの時間軸をつなぐ役割を果たしていた。だが、彼女の見せ場は何と言っても、彼女がロマンスの中心となる過去のシーンであり、気合いが入るのは自然なことだ。
また、スターは本能的に、自分よりも力のあるスターとの共演を嫌がる傾向にある。相対的に自分のスターパワーが低く映ってしまうからだ。「Phillauri」には、アヌシュカーを越えるスターパワーを持つ俳優は出演していない。現代のシーンで主演を務めるのも、ヒンディー語映画界ではまだ地盤が固まっていない若い俳優たちである。彼らがアヌシュカー顔負けの演技力を発揮していれば話は違ったが、スーラジ・シャルマーとメヘリーン・カウル・ピールザーダーの演技やインパクトは非常に弱かった。
過去のシーンでアヌシュカーの相手役を務めたディルジート・ドーサンジも、普段はもっとパワフルな役を演じるのだが、今回は非常に大人しい役だった。もう少し弾けても良かったのではなかろうか。
CGにももう少し予算をつぎ込んでいればと感じた。幽霊であるシャシの表現はこの映画の重要な要素のひとつだが、何だか安っぽかった。彼女が動くとキラキラ音がするのも何だかアニメっぽかった。
様々な欠点はあったものの、過去のシーンが、詩に満ちた牧歌的な純愛物語でとても良かった。こういうストレートなロマンスがメインのストーリーになってしまうと陳腐と受け止められてしまうだろうが、サイドストーリーとして処理されることで、いいアクセントになっていた。アヌシュカーが自分を引き立たせるために頑張っただけある。
過去のシーンでは、シャシが詩を書き、ループラールが歌を歌う。歌や音楽が映画を盛り上げる重要な役割を果たすが、その質はとても良かった。特にループラールがシャシのために録音する「Sahiba」は名曲だ。さらに、歌が過去のシーンと現在のシーンを橋渡しする役割を果たしていたのも、憎い演出だった。歌はインド映画の中心であり、この歌が良く、歌の使い方が上手いと、映画の評価は自然と高くなる。
ジャリヤーンワーラーバーグ虐殺事件とは、1919年4月13日にアムリトサルのジャリヤーンワーラーバーグという広場で起こった事件である。当日、この広場で大規模な反英集会が開かれていたところ、英国人将校レジナルド・ダイヤー准将が群衆に対して無差別射撃を命じ、数百人の死者が出た。2反英独立運動史における分水嶺として重要な意味を持つ事件である。ジャリヤーンワーラーバーグは、犠牲者追悼のために今でも残されており、アムリトサルの外せない観光地のひとつとなっている。
「Phillauri」は、木と結婚するというインドの変わった風習から端を発し、幽霊が登場し、100年間と現在の時間軸を往き来してストーリーが進行し、しかも1919年のジャリヤーンワーラーバーグ虐殺事件まで関係して来るという、盛りだくさんの映画である。アヌシュカー・シャルマーがプロデューサーを務めながら重要な役で出演もする。欠点はあり、興行的にも振るわなかったが、もっと評価されてもいい映画である。