インドは多言語国家であり、教育も各地において各言語で行われている。学校の授業で先生が生徒とのコミュニケーションに使う教授言語のことをインドでは「ミディアム(Medium)」と言う。ミディアムの観点からインドの学校を分類すると、大きく2つに分けられる。英語で授業を行う英語ミディアム(English Medium)校と、現地語で授業を行うヴァナキュラー・ミディアム(Vernacular Medium)校である。
ヴァナキュラー・ミディアム校で使われる言語は州や地域によって異なる。ヒンディー語圏ならばヒンディー語ミディアム校が主流となる。
「ミディアム」は、あくまで教授言語のことをいっている。ヒンディー語ミディアム校でも英語の授業はあるし、英語ミディアム校でも英語以外の言語を学ぶ授業はある。だが、一般に英語の力がより身に付くのは英語ミディアム校だとされている。英語は、インドにおいて社会的地位の維持(社会的地位が高い場合)または向上(社会的地位が低い場合)のために必須のスキルとされている。
そんなこともあって、インドでは概して英語ミディアム校の方が人気であるし、英語ミディアム校出身者の方が高いステータスを獲得する。全国的に英語ミディアム校の数は増加傾向にあるようである。逆に、ヒンディー語ミディアム校などの出身者は、学歴が物を言う場において、劣等感を抱くことが多いし、英語ミディアム校出身者から見下されることもある。
インド社会における、「ミディアム」を巡る差別、偏見、格差、衝突などは、いくつかのヒンディー語映画でも取り上げられてきた。もっともストレートにこの問題に切り込んだのは「Hindi Medium」(2017年)であろう。題名が既にそれである。自分の子供を英語ミディアム校にねじ込もうとするヒンディー語ミディアム校出身の父親の奮闘がコメディータッチで描写された映画だ。その続編、「Angrezi Medium」(2020年)は、今度は「英語ミディアム」という意味であるが、こちらはどちらかというと留学の話になっていた。
他には、「English Vinglish」(2012年)、「Half Girlfriend」(2017年)、「Haryana」(2022年)などがミディアムの問題もしくはインド社会において英語ができないとどういう扱いを受けるかを取り上げている。
では、果たしてインドの学校で英語ミディアム校とヴァナキュラー・ミディアム校の比率はどのくらいなのだろうか。
Unified District Information System for Education(UDISE)というインド中央政府教育省下の組織が年次報告書を出しており、各ミディアムの比率が公表されている。それによると、2019-20年は以下の通りである。対象となるのは小学校(Primary School)から高校(Senior Secondary School)までの12学年で、およそ150万校が調査対象となっている。2021年7月3日付けTimes of India紙の「26% of schoolkids in English medium; nearly 60% in Delhi」を参考に、若干の修正を加えながら、表を作成した。
State/UT | English Medium | Other Language Mediums | |
---|---|---|---|
1 | Jammu & Kashmir | 100 | |
2 | Telangana | 73.8 | Telugu (23.7) |
3 | Kerala | 64.5 | Malayalam (34.8) |
4 | Andhra Pradesh | 63.0 | Telugu (35.5) |
5 | Delhi | 59.2 | Hindi (40.1) |
6 | Tamil Nadu | 57.6 | Tamil (42.1) |
7 | Punjab | 51.1 | Punjabi (45.3) |
8 | Haryana | 50.8 | Hindi (49.1) |
9 | Himachal Pradesh | 43.1 | Hindi (56.9) |
10 | Karnataka | 42.2 | Kannada (53.5) |
11 | Uttarakhand | 30.7 | Hindi (68.5) |
12 | Maharashtra | 29.0 | Marathi (62.6), Urdu (5.9) |
13 | Madhya Pradesh | 19.1 | Hindi (80.4) |
14 | Jharkhand | 18.5 | Hindi (79.3) |
15 | Rajasthan | 15.8 | Hindi (84.0) |
16 | Chhattisgarh | 14.6 | Hindi (85.2) |
17 | Gujarat | 14.5 | Gujarati (82.6) |
18 | Assam | 12.4 | Assamese (71.8), Bengali (11.7) |
19 | Uttar Pradesh | 11.8 | Hindi (85.1) |
20 | Bihar | 10.0 | Hindi (86.3) |
21 | Odisha | 9.5 | Oriya (89.7) |
22 | West Bengal | 5.3 | Bengali (89.8) |
India | 26.4 | Hindi (42.2), Bengali (6.7), Marathi (5.6) |
単位は%。5%以上の言語のみ記載。
インド全体で英語ミディアム校は4分の1ほどである。一番多いのはやはりヒンディー語ミディアム校で、全体の4割以上を占める。3位はベンガル語ミディアム校である。ただ、地域によって大きなばらつきがあるため、細かく見ていく必要がある。
全体的には、南インドに英語ミディアム校が多い。テランガーナ州、ケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州、タミル・ナードゥ州における英語ミディアム校の割合はヴァナキュラー・ミディアム校を凌駕している。南インド5州の中ではカルナータカ州のみが、ヴァナキュラー・ミディアム校の方が英語ミディアム校よりも多いが、それでも英語ミディアム校の比率は4割を越えており、すぐにカンナダ語ミディアム校を追い越すと思われる。インドの英語話者人口は、南インドを中心に育成されていると考えていいだろう。ただし、これはあくまで比率の話であり、人口は北インドの方が多いので、英語ミディアム校出身者の数を比較すると、北インドも少なくないだろう。
逆に考えれば、南インド各州で今後現地語が衰退していく恐れがある。ヴァナキュラー・ミディアム校の減少が即座に現地語の衰退につながるような単純な話ではないと思うが、ヒンディー語ミディアム校が北インドを中心に依然として盤石であることと対比すると、前向きな未来は見えにくい。
映画との関連で推測するならば、南インド映画において現地語の映画はより庶民層の趣向に特化して娯楽映画を追求していくことになるだろう。英語ミディアム校で教育を受けた人々は、英語映画を好み始めることが容易に推測されるからである。もしくは、ヒンディー語映画界が2000年代初頭にヒングリッシュ映画の洗礼を受けたように、南インド製英語映画が隆盛することも考えられる。
意外なのは西ベンガル州である。ベンガル地方はいち早く英国の植民地となった地域で、英語教育は他の地域よりも早く浸透し、英語を駆使するインド人官僚や文化人を多数輩出した。だが、現在はインドの中でもっとも英語ミディアム校が少ない地域となっている。共産党政権時代が長かった影響なのかもしれない。
それよりももっと意外なのがジャンムー&カシュミール州1だ。なんと英語ミディアム校が100%とのこと。以前からジャンムー&カシュミール州の英語ミディアム校の多さは指摘されていたので、完全なる間違いではないと思われる。だが、100%ということがあり得るだろうか。ドーグリー語、カシュミーリー語、ウルドゥー語、ラダッキー語などで教えるヴァナキュラー・ミディアム校はないのだろうか。ひとつ考えられるのは、それらがデータに入っていないということだ。つまり、ジャンムー&カシュミール州でデータ収集の対象となった学校が英語ミディアム校のみだったということがありえる。当地では治安状態の悪化が繰り返されており、データ収集に支障がある可能性がある。
北インドは基本的にヒンディー語ミディアム校の牙城となっているが、デリーとその周辺の州から英語ミディアム校が増加傾向にあると見られる。デリーはインドの「教育首都」であるため、英語ミディアム校が多いのは納得だ。先に紹介した「Hindi Medium」もデリーが舞台だった。ハリヤーナー州では、おそらくデリーに隣接するグルグラームやファリーダーバードなどを中心に英語ミディアム校が増えているのだろう。ヒマーチャル・プラデーシュ州やウッタラーカンド州などの山間州には、英領時代に英国人によってヒルステーション(避暑地)が作られ、英国人の子女が通う全寮制学校がいくつか作られたこともあり、英語ミディアム校の伝統が根付いているものと予想される。
南インドほどではないにしても、ヒンディー語圏でも英語話者人口は増加するだろう。だが、ヒンディー語ミディアム校の多さを見ると、まだしばらくはヒンディー語は力を保持するだろうし、ヒンディー語映画の市場も十分な規模を維持するであろう。