かつて、印パ国境はかなりルーズで、壁や金網などなく、知らずに相手の国へ入って逮捕されてしまうことがあったようだ。パンジャーブ州タラン・ターラン県ビキーウィンド村に住んでいたサラブジート・スィンもその一人で、1990年に誤って国境を越えてしまい、パーキスターン警察に逮捕されてしまった。しかも、折しも1990年にファイサラーバードとラホールで起こった連続爆破テロの犯人とされてしまい、死刑宣告を受ける。サラブジートがパーキスターンにいることを知った姉のダルビールは、彼の無実を晴らしインドへ戻すために首相にまで陳情し、ハンガーストライキなどをして訴える。次第に支援者が増えて来て、パーキスターンの弁護士も味方になるが、最終的にはサラブジートの釈放はならず、刑務所で暴行に遭って致命傷を負い、そのまま帰らぬ人となった。サラブジートは遺体となってようやくインドの地に戻ることになった。2013年のことである。彼は実に23年間もパーキスターンの刑務所に拘束され続けた。
サラブジートの名はインド全国に知れ渡っており、彼の去就は全国民の関心事であった。残念ながら生きて解放とはならなかったものの、彼の数奇な生涯は早速映画化されることになり、2016年5月20日、「Sarbjit」という映画が公開された。監督は「Mary Kom」(2014年)のオーマング・クマール。主演はアイシュワリヤー・ラーイとランディープ・フッダー。他に、リチャー・チャッダー、ダルシャン・クマール、シワーニー・サーイニー、アンキター・シュリーワースタヴなどが出演している。
1990年、印パ国境の村、ビキーウィンド。酒に酔っ払ったサラブジート(ランディープ・フッダー)は、誤ってパーキスターンに入ってしまい、逮捕されてしまう。しかも、拷問の末にランジートであることを認めてしまい、テロリストとして死刑宣告を受ける。サラブジートの姉ダルビール(アイシュワリヤー・ラーイ)は、サラブジートの無実を証明し彼を解放するために奔走する。最初は誰も手を差し伸べてくれなかったが、粘り強く世間に訴えることでメディアに取り上げてもらえるようになり、やがて運動となって行く。ダルビールと、サラブジートの妻スクプリート(リチャー・チャッダー)、そして2人の娘(シワーニー・サーイニーとアンキター・シュリーワースタヴ)はパーキスターンに入国してサラブジートと面会し、彼がテロリストのランジートではなく無実の別人サラブジートであることを訴える。また、パーキスターン人弁護士アワイス・シェーク(ダルシャン・クマール)がサラブジート解放のために協力してくれるようになる。だが、印パ両国の政治や社会情勢に翻弄され、なかなかサラブジート解放までこぎ着けなかった。2013年、とうとうサラブジートは刑務所で暴行に遭って致命傷を負い、そのまま死んでしまう。サラブジートの遺体はインドに返されることとなった。
非常に重い映画だった。インド側では、アイシュワリヤー・ラーイ演じるダルビールが、サラブジート解放のために虚しい努力をする。パーキスターン側では、サラブジートが非人道的な扱いを受ける。これらのシーンが交互に繰り返され、心が安まる場面がない。
ただ、終始暗い雰囲気のこの映画にも、途中、少しだけ明るい場面もある。しかしながら、明るい場面の次にはやはりそれを打ち消すような悲痛な出来事が起きるため、その束の間の明るささえも、その次に来る暗闇を引き立てる役割しか果たさない。
例えば、サラブジートの姉ダルビール、妻スクプリート、そして2人の娘がパーキスターンに入国し、十数年振りに顔を合わすシーンは、涙なくして見られない。長年の刑務所暮らしでボロボロになったサラブジートは、少しでも家族を安心させるため、なけなしの見繕いをし、彼女たちにチャーイを出す。しかし、面会時間は47分のみ。すぐに引き剥がされてしまう。
ようやくサラブジートが解放されるというニュースが駆け巡るシーンもある。だが、当日国境を越えてやって来たのは、サラブジートではなくスルジートという人物だった。パーキスターン政府は連絡ミスだったとうそぶく。ぬか喜びの後に襲って来た絶望は、ダルビールを自殺未遂に追いやる。
「Sarbjit」は、不幸にもパーキスターンの虜囚となったサラブジートの伝記でもあったが、1990年から2013年までの印パ関係の物語でもあった。サラブジートという個人の運命は、インドとパーキスターンという二国の関係にいいように翻弄された。1998年の印パによる相次ぐ核実験、2002年のデリー国会議事堂襲撃事件、2008年のムンバイー同時多発テロ、そのテロで逮捕されたパーキスターン人テロリスト、アジマル・カサーブの死刑宣告と執行、パーキスターン首相によるアジメール・シャリーフ参拝などが、サラブジート解放の如何に関わって来ることになった。
よって、パーキスターンを一方的に責めるような内容にはなっていなかった。もちろん、サラブジートを拷問してテロリストに仕立てあげたことに対しては批判的だが、パーキスターン側にもサラブジートを支えてくれる人がおり、そのおかげで彼はインドの家族と手紙のやり取りをすることができた。また、映画にも登場するパーキスターン人弁護士アワイス・シェークは実在の人物であり、サラブジートの弁護を担当したばかりに命を狙われるようになり、スイスに亡命することになった。さらに、サラブジート救出に際してインド政府の動きが鈍かったことも指摘されていたし、インドの刑務所にも多数のパーキスターン人が理不尽な罪で拘束されていることも示されていた。
総じて、映画は、印パ双方が人道的な付き合いをするべきであることが主張されており、印パ親善のメッセージが込められていた。
演技の面では、ランディープ・フッダーが最高点と言える。パーキスターンの刑務所に収容され、酷い扱いを受ける内に、どんどん痩せこけて行く様子を渾身の演技で演じてみせており、彼の底力を改めて知ることができた。一方、アイシュワリヤー・ラーイは、20代から60代までを一人で演じ切ったが、その演技には力が入りすぎで、熱演過ぎた。しかも、なまじっか美人であるため、土臭い役柄が似合っていなかった。
「Sarbjit」は、印パ間の国家問題にまで発展した虜囚サラブジートの伝記映画である。サラブジートは不幸な最期を遂げたため、どうしても映画は明るくならない。ランディープ・フッダーの演技は素晴らしいが、アイシュワリヤー・ラーイの方は過度な熱演をしていて評価が分かれそうだ。サラブジート問題に関心がある人以外は、無理して観なくてもいいのではなかろうか。