
1977年11月11日公開の「Bhumika(役割)」は、パラレル映画運動の旗手シャーム・ベーネーガル監督が「Ankur」(1974年)、「Nishant」(1975年)、「Manthan」(1976年)などの名作を立て続けに送り出した後に撮った、もうひとつの名作である。農村を舞台にすることの多いパラレル映画にあって、ボンベイの映画業界を舞台にしている点でもユニークだ。マラーティー語演劇界の人気女優だったハンサー・ワードカル(1923-71年)の自伝「Sangtye Aika」(1971年)を原作としている。
主役ウシャーを演じるのは、ベーネーガル監督の「Nishant」や「Manthan」などで高い評価を受けたスミター・パーティル。パラレル映画運動を代表する女優である。他に、アモール・パーレーカル、アナント・ナーグ、ナスィールッディーン・シャー、アムリーシュ・プリー、ディーナー・パータク、クルブーシャン・カルバンダー、スラバー・デーシュパーンデー、モーハン・アーガーシェー、ベンジャミン・ギーラーニー、オーム・プリー、レーカー・サブニス、スニーラー・プラダーンなどが出演している。
映画業界を舞台にしているだけあって、パラレル映画としては異例であるが、歌と踊りのシーンが多く盛り込まれている。作曲はヴァンラージ・バーティヤーであり、作詞はヴァサント・デーヴとマジュルー・スルターンプリーが担当している。撮影監督はゴーヴィンド・ニハラーニー、脚本はシャーム・ベーネーガルの他、ギリーシュ・カルナドとサティヤデーヴ・ドゥベーである。
映画は、現代のシーンの合間に何度か回想シーンが差し挟まれ、ウシャーの半生が徐々に明らかになっていくという構成になっている。
ボンベイの映画業界で人気の女優になっていたウシャー(スミター・パーティル)は、夫ケーシャヴ・ダールヴィー(アモール・パーレーカル)と不仲だった。ケーシャヴは、妻が男優ラージャン(アナント・ナーグ)と不倫しているのではないかと疑い、彼に送られて帰宅したウシャーを責める。ケーシャヴとの間にはスシュマーという娘もいたが、ウシャーはケーシャヴとの暮らしが耐えきれず、娘を後に残して立ち去る。
自動車に乗ったウシャーは幼年時代を思い出す。ウシャーは、デーヴァダースィーの家系に生まれ、祖母から音楽を習っていた。ウシャーは練習嫌いだったが幼い頃から才能を開花させていた。父親の死をきっかけに、彼女の家に出入りしていた青年ケーシャヴに紹介され、ボンベイに出て映画スタジオでオーディションを受ける。ウシャーは採用され、「ウルヴァシー」の芸名でデビューし、名声を獲得する。母親シャーンター(スラバー・デーシュパーンデー)は無職同然のケーシャヴを嫌っていた。だが、気丈なウシャーはあえて母親の言い付けの反対を行き、ケーシャヴの子を身籠もり、結婚もする。
ウシャーは幸せな家庭生活を夢見ていた。だが、事業が不調だったケーシャヴは妻の収入を当てにしており、彼女に女優業を続けさせる。スシュマー出産後もウシャーの人気は衰えず、次々にオファーが舞い込んだ。あまりに多忙すぎて、大好きだった祖母の死に目に合えなかった。ケーシャヴは、ウシャーがラージャンなどの共演俳優たちから口説かれることに嫉妬しながらも、収入源の維持のために彼女に女優をさせるしかなかった。
ホーリー祭の日、ウシャーは監督のスニール・ヴァルマー(ナスィールッディーン・シャー)と出会い、恋に落ちる。スニールとの不倫が始まってから彼女は妊娠し、彼女は産もうとするが、ケーシャヴは無理やり中絶させる。その後、ウシャーはスニールと共に睡眠薬を飲んで心中を図るが、スニールに裏切られ、二人の自殺は失敗する。
話は現代に戻り、ケーシャヴに愛想を尽かしたウシャーはラージャンの家に駆け込む。ラージャンは余計な噂が立つことを恐れ、彼女をホテルに送る。ウシャーは向かいの部屋に宿泊していたヴィナーヤク・カーレー(アムリーシュ・プリー)と出会う。彼に惹かれたウシャーは、ゴア州にある彼の荘園に付いていき、そこで住み始める。ヴィナーヤクの最初の妻は死んでおり、2番目の妻ヤシュワント(レーカー・サブニス)は生きていたが病気で寝たきりだった。ヴィナーヤクは、母親(ディーナー・パータク)、妻、そして一人の息子と共に豪邸に住んでいた。ウシャーは病気の妻に代わって家を切り盛りし始める。だが、カーレー家では女性は家の外に出ることが禁止されていた。自由を失ったウシャーは脱出を考えるようになり、ケーシャヴに手紙を送って居場所を伝える。ケーシャヴは警察を連れてウシャーを連れに来る。ボンベイへの帰途、ケーシャヴはシャーンターが亡くなったことを伝える。
ボンベイに戻ったウシャーは、ケーシャヴの家には戻らず、ホテルに滞在する。そこでスシュマーと再会する。スシュマーは既に結婚し、妊娠2ヶ月あった。スシュマーが帰った後、部屋に一人残されたウシャーは、ラージャンからの電話を受け取る。
完全な男性社会であるボンベイの映画業界の中で、自らの欲望に忠実に生き、人生に現れる男性たちと浮名を流し続け、何より我を通し続けた気丈な女性の一代記だ。主演のスミター・パーティルが迫真の演技でウシャーに命を吹き込んでおり、スターとしてのオーラまで自在に放っている。映画が公開された1977年といえば、まだまだ男性スター中心の映画作りが普通だった時代だ。その時代に、自由奔放に生きた強い女性の映画を送り出すのは、それだけでひとつの挑戦だったに違いない。
ただ、決してウシャーを無批判に英雄視しているわけではない。幼少期のエピソードから語られることによって、一人の女性として欠点や弱みも持ち合わせながら、さまざまな人生経験を積む中で、徐々に自身と向き合えるようになっていく過程が正直に描かれている。
子供の頃からウシャーには束縛に反発し逃げる癖があった。もっとも順当だが自由のない道から逃げ、まずい選択をすることが多かった。祖母から音楽の練習を押しつけられると逃げ出し、母親から「ケーシャヴと会うな」と言い付けられればケーシャヴと授かり婚をする。女優として成功してから、出会った既婚男性と手当たり次第に浮名を流すのも、家庭という束縛から逃げていたといえる。この時代の女性としては珍しく、なまじっか経済的な自立を手にし、それゆえに自由であったが、その自由さが彼女にとっては呪いになっていた。むしろ、女性が外出を禁じられた名家に嫁ぎ、病気でベッドに寝たきりになったヤシュワントの方が人生の真実を見抜いていた。彼女はウシャーに、「ベッドが変わっても、台所が変わっても、男性の顔が変わっても、男性は変わらない」と諭す。そのままヴィナーヤクの家に留まるという選択肢もあったはずだが、やはり彼女は自由を求め、あれほど嫌っていた夫に連絡を取り、脱出する。
ウシャーの自分勝手さが目立つが、その弁明は一切されていない。ウシャーは娘スシュマーを捨ててラージャンのもとに走ったし、ヴィナーヤクの家から出るときには、彼の息子ディーヌーを置き去りにした。祖母や母の死に目に合えなかったし、娘の結婚式にも出席できなかった。ウシャーの自由は肉親の放棄によって成立していた。
ただ、夫ケーシャヴとの関係は非常に複雑であり、「Bhumika」でもっとも分析のしがいのある要素だ。ウシャーも自分勝手だが、ケーシャヴも負けず劣らず身勝手で、かつ度量の狭い人物であった。インド社会では通常、女優が結婚すると夫から引退を命じられることが多いが、ケーシャヴは結婚後もウシャーに女優業を続けさせた。一見するとこれは彼の寛大さの表れのように感じられるが、その裏には切迫した理由があった。ケーシャヴがどんなビジネスをしているのか分からないが、順調にはいっておらず、妻には女優を続けてもらわって稼いでもらわないと困るのだった。しかも、ケーシャヴは嫉妬深い性格で、自分で妻を映画に出演させておきながら、妻が共演男優と親しくなることに不満を募らせていた。本来ならウシャーは結婚を機に女優を引退しようとしていたが、ケーシャヴにいわれて演技を続け、いつまで経っても引退できなくなってしまっていた。そして、ウシャーが稼げば稼ぐほど、働けば働くほど、ケーシャヴは男のプライドを傷付けられ、不快になるのである。この歪んだ関係が長続きするはずがなかった。
それでも、ウシャーに成長が見られたのと同様に、終盤になって久しぶりに現れるケーシャヴにも成長が見られた。どうやら事業がようやく波に乗ったようで経済的に安定し、彼のプライドも満たされるようになった。娘が結婚したことは、ケーシャヴの事業の成功を証明している。ヴィナーヤクの家にウシャーを迎えに来たケーシャヴには落ち着きが見られ、すぐに彼女を家に連れ戻すのではなく、ホテルに住まわせたりスシュマーと再会させるという配慮もすることができていた。
最後にウシャーはラージャンからの電話に出る。そこで映画が終わっているので、その後、彼女がどういう行動に出たのかは分からない。これは完全に観客の想像に任されているが、個人的には、ウシャーは同じ過ちを繰り返すことはないと感じられた。こうやって失敗を繰り返して人は成長していくのである。
ボンベイの映画業界を舞台にしているものの、リアルに再現できていたかについては疑問を感じる。たとえば、女優が結婚後も人気を維持しているというのは稀であるし、ましては出産後もスターの座に居座り続けるというのは非現実的だ。そもそも、ウシャーがケーシャヴとの結婚を公表したとき、プロデューサーがそれを手放しで歓迎するというのはあまりにお花畑ではないだろうか。女優が結婚を公表したらファンが離れるのが世の常であり、プロデューサーはリスクを負うのを避けるために女優に結婚の公表を禁じるはずである。リアリズムで知られたパラレル映画だが、映画業界の再現という点については、リアリズムを徹底できていないように感じた。
それに、現在と過去を往き来するストーリーテリング法は、過去のシーンをセピア色にするなどして分かりやすくしようと努力していたものの、まだ分かりにくく、大衆受けしなさそうだ。もう少し工夫があるとよかった。
「Bhumika」は、パラレル映画としては異例であるが、メインストリーム娯楽映画のテイストを取り入れながら、破天荒に生きた一人の女優の半生を失敗や苦悩と共に描きだしたユニークな作品だ。主演スミター・パーティルのずば抜けた演技力が遺憾なく発揮された作品でもある。彼女が大女優と呼ばれる理由が分かる。彼女のキャリアベストの演技と呼んでもいいだろう。必見の映画である。
