
2019年11月8日公開のグジャラーティー語映画「Hellaro(噴出)」は、グジャラート州カッチ地方の保守的な村を舞台にした、抑圧された女性たちの反抗の物語である。ただ、その反抗の手段がユニークで、ガルバーを踊るというものだった。ガルバーはグジャラート地方の民俗舞踊である。この映画は、民話をもとにした物語だとされている。2019年の国家映画賞作品賞に選ばれた。
監督は新人のアビシェーク・シャー。音楽はメフル・シュルティ。キャストは、シュラッダー・ダーンガル、ジャエーシュ・モーレー、テージャル・パンチャサラー、シャイレーシュ・プラジャーパティ、マウリク・ナーヤク、アールジャヴ・トリヴェーディー、ブリンダー・トリヴェーディー、タルジャニー・バドラー、ニーラム・パーンチャル、カウシャンビー・バット、デーニシャー・グムラー、アーカーシュ・ザーラーなど。
1975年、カッチ地方の僻地にある村。インディラー・ガーンディー首相による非常事態宣言の時代だったが、僻地すぎて全く影響がなかった。都会で生まれ育ったマンジュリー(シュラッダー・ダーンガル)は、国境警備隊(BSF)で勤務するアルジャン(アールジャヴ・トリヴェーディー)と結婚し、村に嫁いできた。村では女性たちはガルバーを踊ることも、刺繍をすることも許されていなかった。唯一息抜きになったのは、水を汲みに遠くの池まで行く時間くらいだった。村では何年も雨が降っておらず、村の男性たちは女神を喜ばせ雨を降らせてもらうために毎晩ガルバーを踊っていた。
あるとき、池までの道中、女性たちは気を失って倒れていた男性を見つける。マンジュリーが水を与えると男性は元気になり、お礼に太鼓を叩き出す。ガルバーに飢えていたマンジュリーは踊り出し、他の女性たちも続く。だが、中には女性がガルバーを踊ると不吉なことが起こるという迷信を信じていた女性もいた。不幸を恐れていたが特に何も起こらなかった。翌日も同じ場所にその男性はおり、太鼓を叩いてくれた。女性たちは毎日水汲みのときにガルバーを踊るようになる。
その太鼓奏者はムルジー(ジャエーシュ・モーレー)という名前だった。故郷の村では差別を受けており、村の掟を破ったために家に火を付けられて妻子を亡くしていた。女性たちはムルジーを自分たちの村に迎え入れようとする。村長(シャイレーシュ・プラジャーパティ)も祭りのために太鼓奏者が必要で、彼を受け入れる。
ナヴラートリ祭の最中、ガンガーの父と兄が農作業中に雷に打たれて死んでしまうという事故が起きる。女神の怒りだと震え上がったガンガーは懺悔して村の老婆にガルバーを踊っていることを暴露してしまい、村長にもそれが伝わる。女性たちは捕まり、ムルジーは女神の生け贄として捧げられることになる。ムルジーは最期の望みとして太鼓を叩きたいと言い、太鼓を叩き出す。その音を聞いた女性たちは外に出てガルバーを踊り出す。すると、天から雨が降り注ぐ。
独立インドの初代首相ジャワーハルラール・ネルーの娘インディラー・ガーンディーは1966年に第3代首相に就任する。世襲的な人事ではあったものの、インドは独立から20年ほどで女性の首脳を擁することになった。だが、インドは縦にも横にも格差社会であり、「Hellaro」の舞台になっているカッチ地方の村には、そんな新しい風が吹き込むことはなかった。家父長制と男尊女卑社会の中、女性たちは抑圧された生活を送っていた。物語はちょうどガーンディー首相が非常事態宣言を発令する1975年から始まるが、それを聞いた男性たちは、「女性が国の舵取りをするとこうなる」と吐き捨てていた。
カッチ地方では伝統的にカラフルな刺繍やミラーワークを施した織物が有名であり、現在では観光資源にもなっているが、この村では過去に起こった事件の影響により、女性は刺繍すら許されていなかった。寡婦の立場も極めて低く、水を汲みに行くことを禁じられていた。そんな虐げられた女性たちが渇望していたのがガルバーであった。男性たちは毎晩、女神を喜ばせるためにガルバーを踊っていたが、女性たちは踊らせてもらえなかった。日本でいえば、盆踊りやYOSAKOIのようなものだ。踊りはインド人の精神と身体に自然に沸き起こる欲求のようで、彼女たちは「ガルバーを踊りたい」という願望をマグマのようにためこんでいた。
皮肉なのは、生身の女性を抑圧している男性たちが、石で出来た女神を必死に崇拝していることだ。女神を喜ばせるために女性を尊重しなければならないという考えが全く浮かばないのだ。
この硬直した村に変化が訪れた。ひとつめの変化は、都会からマンジャリーという女性が嫁いできたことだった。彼女は教育を受け、自由も知っていたが、村に来た途端、夫から自由を奪われ、「郷に入っては郷に従え」と念を押される。だが、天性の好奇心は失っておらず、何か面白いことは起きないかと明るく生きていた。
ふたつめの変化は、女性たちが水を汲みに行く池の近くにムルジーという名の太鼓奏者が住み着いたことだった。マンジャリーが、倒れていた彼に水を与えたことでつながりができた。お礼にムルジーは太鼓を叩き、女性たちはガルバーを踊り出す。池は村から離れていたため、村の男性たちからは気付かれなかった。女性たちは「女性がガルバーを踊ると不幸になる」という迷信を信じていたが、特に何も起こらないのを確認すると、一人また一人とガルバーに参加するようになる。元々水汲みは女性たちにとって息抜きの時間であったが、毎日ガルバーを踊れるようになったことで、彼女たちの単調な人生にリズムが生まれた。
しかし、とうとう男性たちに、ガルバーを踊っていることがばれてしまう。女性たちは夫たちから殴られ、ムルジーは捕まって女神への生け贄として捧げられることになる。だが、最期の望みとしてムルジーが太鼓を叩き出すと、家に閉じこめられていた女性たちは外に出てガルバーを踊り出す。それと同時に天から恵みの雨が降り注ぐ。
干魃にあえぐ村、抑圧された女性たち、そしてガルバーへの渇望という部品がそろっていたので、この結末はほぼ予想できたものだった。ガルバーを踊っているときの女性たちがあまりに楽しそうなので、女性に対する抑圧を描いた映画であるにもかかわらず、明るく牧歌的な雰囲気すら漂う映画だった。あえてこういう中途半端な味付けにするところに、グジャラーティー語映画の素朴さが感じられた。また、時代を半世紀前に置いていることで、この問題は過去のものだという印象を与える恐れもあるのではないかと感じた。
「Hellaro」は、ガルバーを取っかかりにしてインド社会に根深く存在する女性問題をえぐり出そうとした作品だ。ただ、あまりシリアスさがなく、結末も神がかり的で、真の問題提起や問題解決は求めていないように感じられた。それでも、グジャラート人のガルバー愛が込められた映画であり、熱情の噴出が心地よい作品だ。
