Kummatty (Malayalam)

4.5
Kummatty
「Kummatty」

 1979年7月12日公開のマラヤーラム語映画「Kummatty」は、日本の著名な映画評論家、佐藤忠男氏が「生涯で最高の傑作」に挙げたことで有名になった作品だ。日本では、1982年に開催された国際交流基金映画祭で上映され、「魔法使いのおじいさん」という邦題が付けられた。題名になっている「クンマーッティ」とは、ケーララ地方に伝わる民話に登場する妖怪の一種で、歌って踊りながら放浪し、子供を魅了してどこかへ連れて行ってしまう、ハーメルンの笛吹き男的な存在だという。同地では、言うことを聞かない子供を「クンマーッティが来るよ」などと言って脅す習慣があるようである。

 監督はGアラヴィンダン。マラヤーラム語映画界のパラレル映画運動を率いた人物の一人であり、「Kummatty」は彼の4本目の作品になる。音楽はMGラーダークリシュナン。キャストは、アンバラップラ・ラーヴンニ、アショーカン、シヴァシャンカラン、ディヴァーカーラン、ヴィラーシニ、リーマ、コッタラ・ゴーパーラクリシュナン、シャンカルなどである。

 舞台はケーララ地方の農村。チンダン(アショーカン)は村の学校に通う少年だった。村の寺院には老婆が住み着いており、チンダンは友人と共によく彼女をからかっていた。老婆は子供たちに「クンマーッティ!」と言って脅すが、子供たちはどこ吹く風であった。

 あるとき、村に大道芸人のおじいさん(アンバラップラ・ラーヴンニ)が歌って踊りながらやって来て、寺院のそばの大樹の下に住み着く。子供たちは興味津々だった。チンダンはおじいさんが空中からデーツを取り出すのを見て、魔法使いだと考える。おじいさんは子供たちから「クンマーッティ」と呼ばれるようになった。

 チンダンはクンマーッティが病気になったのを見て、医者を連れて来る。回復したクンマーッティは村を去ろうとし、子供たちが追いすがる。クンマーッティは最後に魔法を見せてあげようと言い、子供たちにお面をかぶせる。すると子供たちは動物に変身する。クンマーッティは魔法を解いて去っていくが、犬に変身したチンダンだけは、普段いじめていた黒い犬に追いかけられ、遠くへ行ってしまっていて魔法が解かれなかった。

 チンダンは放浪の末に裕福な邸宅にたどり着き、拾われる。だが、病気になってしまい、獣医から飼い犬としては生きていけないと診断されたため、解放される。チンダンは自宅に戻り、両親はその犬をチンダンだと気付いて受け入れる。両親はあらゆる手立てを尽くしてチンダンを元に戻そうとするがかなわなかった。その間、寺院に住み着いていた老婆が息を引き取る。

 翌年、再びクンマーッティが村にやって来た。チンダンは一目散にクンマーッティに駆け寄る。クンマーッティもその犬がチンダンだと気付き、元に戻す。村人たちはその奇跡を目の当たりにする。人間の姿に戻って自宅に帰ったチンダンは、鳥かごに入っていたオウムを解放する。

 まずは、セリフではなく歌と映像で物語を見せていく手法に驚かされた。物語に魅力があり、映像に力のある作品ならば、本来セリフは最小限でいいことに改めて気付かされる。現実と空想が入り乱れるマジックリアリズム的な映画であるが、ケーララ地方の飾らない自然が、ここなら何事も起こりえるということを、物言わずして雄弁に語ってくれる。そして、村にやって来た謎のおじいさんが歌う素朴な歌が、確かに何かが起こることを確信させてくれる。

 「マジックリアリズム」と書いたが、これはこの映画を日常から離れた遠く彼方の物語として見ている日本人の印象であり、おそらく当のマラヤーリー(ケーララ州の人々)にとって「Kummatty」の物語からは、「マジック」よりも「リアリズム」の方が強く感じられるはずだ。そもそも「クンマーッティ」は日本でいえば「座敷わらし」や「河童」の類であり、彼らの幼少期の思い出に生きている存在だ。広大な草原や古びた池などで遊ぶ好奇心いっぱいの子供たちの姿は、自分自身の過去そのものであろう。映画に登場するような、いくつもの仮面を下げたチンドン屋風の大道芸人も、インドでは実はありふれた存在である。都市部に住んでいても、放浪の大道芸人が街角にやって来て群衆の前で芸を披露するというのは日常茶飯事であった。より古い文化が残る農村部ではなおさらのことであろう。もしかしたらマラヤーリーにとってはクンマーッティが魔法で子供たちを動物に変えてしまう下りも、空想ではないのかもしれない。

 この映画を理解する上でポイントとなるのは、主人公の少年チンダンが、序盤で弱い存在を何気なくいじめていたことである。家で飼っているオウム、草原でうろついている野良犬、寺院に住み着いているおばあさんなどをからかっていた。その因果応報で、チンダンはクンマーッティに犬に変えられ、元に戻れなくなってしまったと解釈するべきである。他の子供たちは動物に変えられてもすぐに元に戻してもらえたが、チンダンは、普段いじめていた犬から追われ、その場から離れてしまったために、クンマーッティによる解除の魔法を受けられなかったのである。

 チンダンがすぐに自宅に戻らなかったのは不思議だが、彼はしばらくの間、犬として暮らすことになる。一時は裕福な家庭の飼い犬にされそうになるが、何とか解放してもらえる。自宅に戻った後、両親は犬を見てチンダンだとすぐに気付くが、元に戻すことができなかった。パンディト(僧侶)を家に呼んでプージャー(祈祷)をしてもらったり、テイヤム祭に連れて行ったりしたが、効果はなかった。

 雨期の到来を描くことで月日の移り変わりが表現され、クンマーッティが再び村に戻って来るシーンへとつながる。チンダンはクンマーッティに駆け寄り、クンマーッティはチンダンを人間の姿に戻す。人間に戻ったチンダンがまず行ったのは、鳥かごに囚われていたオウムを解放することだった。寺院に住み着いていたおばあさんは既に亡くなっていたが、犬になる前、彼はおばあさんに水を持って行ってあげたりして孝行をしていたシーンがあった。

 結局、「Kummatty」は少年の成長の物語だといえる。開放的な村の中で自由奔放に生きていたチンダンは、時に他者に対して思いやりを欠く行動をすることもあった。だが、クンマーッティとの出会いと魔法によって彼は大人への階段を一段上がり、生き物を慈しむ気持ちを学んだのである。

 「Kummatty」は、確かに佐藤忠男氏が最高傑作と呼んだだけはある、素朴だが深い映画だ。日本人向けに「マジックリアリズム」とレッテル貼りしてもいいかもしれないが、おそらくケーララ州の人々の受け止め方とはずれるはずである。魔法を含めて「起こりえる」現実の物語であり、核になっていたのは少年の成長という他の子供映画と共通する要素だった。この映画を正当に評価できた佐藤忠男氏の見識の広さと鑑識眼の高さにも改めて驚かされる。


കുമ്മാട്ടി Kummatty (1979)_Restored 1080p HD | G. Aravindan I Malayalam with English Subtitles