Sara Akash

3.5
Sara Akash
「Sara Akash」

 「Sara Akash(全宇宙)」は、ヒンディー語文学者ラージェーンドラ・ヤーダヴの処女小説「Pret Bolte Hain」(1951年/後に「Sara Akash」に改題)の冒頭部を映画化した作品である。意思に反して無理やり結婚させられた青年の葛藤を中心に描いた心理ドラマだ。

 一般に「1969年の作品」とされるが、中央映画認証局(CBFC)の認証状によると1969年12月31日に認可を受けているため、実際にはこの年には公開されていない。1969年は、ムリナール・セーン監督の前衛作「Bhuvan Shome」(1969年)がセンセーションを巻き起こした年であり、パラレル映画元年とされている。「Sara Akash」はその「Bhuvan Shome」やマニ・カウル監督の「Uski Roti」(1970年)と共にパラレル映画のパイオニア的な3作品のひとつに数えられているが、この内1969年に実際に劇場一般公開されたのは「Bhuvan Shome」のみである。また、「Sara Akash」は国家映画賞の撮影監督賞を受賞したものの、1970年以降に劇場一般公開されたという記録はない。

 監督はバース・チャタルジー。パラレル映画を代表する映画監督の一人である。撮影監督はKKマハージャンで、彼が国家映画賞を受賞した。音楽はサリル・チャウダリー。

 キャストは、ラーケーシュ・パーンデーイ、マドゥ・チャクラヴァルティー、AKハンガル、ディーナー・パータク、マニ・カウル、タルラー・メヘター、ナンディター・タークル、ジャラール・アーガーなど。

 原作者のラージェーンドラ・ヤーダヴはヒンディー語文学誌「Hans」の編集長を長年務めた人物で、モーハン・ラーケーシュ、ニルマル・ヴァルマー、カムレーシュワル、マンヌー・バンダーリー、ビーシャム・サーニーなどと並んで、1950年代から60年代にかけてのヒンディー語文壇において盛り上がったナイー・カハーニー(新小説)運動のパイオニアの一人として評価されている。ナイー・カハーニーでは、それまでのロマン主義的・理想主義的な物語を排し、独立インドの都市中産階級が直面する生の現実を冷徹に切り取ることを理念としていた。原作「Pret Bolte Hain/Sara Akash」は、ヤーダヴ自身の自伝的小説ではないものの、下層中産階級の大家族がひしめき合って暮らす閉鎖的な家の様子や、伝統と個人の理想の間で板挟みになる主人公の心理などには、彼自身の若き日の環境や葛藤がそのまま投影されている。

 ちなみに、ヤーダヴは「Pret Bolte Hain/Sara Akash」映画化に当たって、アーグラーの自宅をロケ地として提供している。

 アーグラーに住み大学に通うサマル・タークル(ラーケーシュ・パーンデーイ)は、父親(AKハンガル)、母親(ディーナー・パータク)、兄アマル(マニ・カウル)、兄嫁(タルラー・メヘター)、妹ムンニー(ナンディター・タークル)、弟などと共に住んでいた。彼は偉人たちに憧れ、人生で何かを成し遂げたいという理想に燃える青年であったが、家族によって無理やり結婚させられてしまう。花嫁の名前はプラバー(マドゥ・チャクラヴァルティー)といった。高卒資格を持った読書好きな美しい女性であった。

 サマルは無理やり結婚させられたことを根に持っており、プラバーと一言も会話をしようとしなかった。プラバーもどうしたらいいか分からず、サマルに何も声を掛けなかった。そのまま二人は会話がないまま結婚生活を送ることになる。次第に母親や兄嫁はプラバーに冷たく当たるようになる。だが、サマルは内心、プラバーのことが気になって仕方がなかった。ムンニーだけはプラバーに積極的に話し掛け仲良くなっていたが、彼女も既に結婚しており、夫が迎えに来たことで去って行ってしまった。プラバーは完全に孤独になってしまった。また、プラバーがミスをしたときにサマルは彼女に手を上げてしまった。

 あるとき、サマルはプラバーが屋上で泣いているのを見つける。サマルは初めて彼女に声を掛け、なぜ泣いているのか聞く。これをきっかけに二人は話ができるようになる。

 あらすじを一言で述べてしまうならば、恥じらいや戸惑いから何ヶ月も口を聞かなかった新婚夫婦が、やっときっかけを掴んで会話を始めた、となる。日常の些細な一コマを切り取って82分の映画にしているのである。だが、その過程で現代の中産階級家族が直面しているさまざまな問題が浮き彫りになる仕掛けになっている。

 物語の発端は、大学に通い勉学に勤しみ将来への希望に燃えていた青年サマルが、本人の意思に反して無理やり結婚させられてしまったことにある。結婚すると家族を守る責任が生まれるため、サマルはもう大志を成し遂げられないと絶望する。結婚しても必ずしもやりたいことができなくなるわけではないと思うが、サマルにとってはこの年齢での結婚は人生を閉ざされたようなものだった。まずは、家族が勝手に子供の結婚を決めてしまう習慣が批判的に描かれているといっていい。

 サマルの結婚相手プラバーは高校を卒業していた。当時の女性としては高学歴の部類に入る。しかも器量も良かった。それゆえにタークル家の年上の女性たちからは余計厳しい目で見られることになる。特にプラバーに冷たく当たっていたのがサマルの兄嫁だ。いわゆる「デーヴァル=バービー(義弟=兄嫁)」の関係であり、インド社会では特別視されている。男性にとっては家族の外からやって来た年上の女性であり、性的ファンタジーの対象になることが多いとされる。また、女性にとっても、夫の弟というのは年齢が近くなることが多く、親しくなりやすい存在のようだ。「Sara Akash」でも、兄嫁はサマルのことを格別にかわいがっていたように見えた。それゆえに彼女はプラバーの学歴や美貌に嫉妬していた。また、理由は不明だが、タークル家はプラバーとの結婚で思ったような持参金が得られなかったようである。それも不満の種になっていた。

 プラバーは決して家事が苦手なわけではなかったが、サマルの母親や兄嫁は何かと文句を付けて彼女をいじめる。サマル自身もプラバーをほとんど無視していたわけで、いじめの一端を担っていた。女性にとって、結婚がいかに人生の大きな転機になるかを示している。大家族制の良さもあるかもしれないが、もし嫁ぎ先の人々から優しく受け入れてもらえなかったら、それは牢獄以上に苦しい空間になる。唯一の相談相手だったムンニーも嫁ぎ先へ行ってしまい、サマルとは打ち解けるばかりか平手打ちを喰らってしまって、プラバーはいよいよ行き場をなくす。

 「Sara Akash」は、サマルとプラバーの苦悩や葛藤を描くことで、インド人が当たり前として受け入れている伝統や慣習の負の面に光を当てている。それと同時に光が当てられているのが、サマルとプラバーの内面だ。特にサマルは、個人的な理想と家族の束縛の間で板挟みになり、もだえ苦しんでいた。それよりも苦しかったのが、勝手に結婚させられた怒りをプラバーにぶつけることから結婚生活を始めてしまったことで、その態度を途中で改められなくなり、彼女と一言も言葉を交わさないまま時間だけが過ぎ去ってしまったことだ。時間が経てば経つほど、何の罪もないプラバーを苦しめているという良心の呵責にさいなまれることになった。内心ではプラバーに優しい言葉を掛けてあげたかった。彼が理想とする対応や反応の妄想が映像で具体的に描写されるのは演出上の工夫であろう。だが、それを実行する勇気が湧かず、無言のままの結婚生活が長く続くことになる。

 心理描写の主体はサマルであったが、一瞬だけプラバーに主体が移る瞬間がある。彼女も同じようにサマルとの会話を望んでおり、妄想の中で彼女の理想とする行動が描かれるが、現実に戻ると何も進んでいない。

 最後、屋上で泣きじゃくるプラバーにようやくサマルは声を掛け、二人の間で会話が始まる。そして二人は抱き合って涙を流す。これまでさんざん二人の妄想シーンが映像化されてきたため、これも二人の妄想なのではないかと疑われてくるが、夜が明け、二人が抱き合ったまま目を覚ましたことで、それは妄想ではなかったことが観客にも分かる。大家族制の問題などはまだそのままだが、少なくともこの新婚夫婦の関係には明るい兆しが見えたところで映画は幕を閉じる。

 妄想シーンもそうだが、映像にハッとするような驚きがあり、撮影監督KKマハージャンの手腕が光る。それとは対照的に音響に難があり、残念に感じることがあった。

 「Sara Akash」は、個人の自由が著しく制限され、いじめの温床にもなりやすい大家族制の欠点を映し出しながら、新婚夫婦それぞれが抱えた苦悩や葛藤を妄想シーンを交えて描いた作品である。とある家族の日常風景を切り取っただけで、物語の中でほとんど大きな出来事は起こらないのだが、それでも激しい心の動きがあり、観客を引き付ける。新時代の到来を告げる佳作だ。


Sara Akash Hindi Full Movie || Rakesh Pandey, Madhu Chakravarty, Nandita || Eagle Hindi Movies