The Power of Utopia (Switzerland)

3.0
The Power of Utopia
「The Power of Utopia」

 「The Power of Utopia」は、インド北部に位置する計画都市チャンディーガルの成り立ちと現在を題材にしたドキュメンタリー映画である。スイス人監督カリン・ブッハーとトーマス・カラーによる、ドイツ語のナレーションで進行するスイス映画だが、インド関連の映画ということでFilmsaagarで取り上げることにする。ドイツ語の原題は「Kraft der Utopie」で、スイスでは2023年8月24日に公開された。日本では、「ル・コルビュジエとドーシ インドのモダニズム」という特集上映において、「The Promise」(2023年)という全く別のドキュメンタリー映画とセットにされて、「ユートピアの力」という邦題と共に2026年5月1日に上映された。2026年5月30日に名古屋のナゴヤキネマ・ノイで鑑賞した。

 チャンディーガルは、スイス系フランス人建築家でモダニズム建築の巨匠とされるル・コルビュジエによって設計された計画都市である。1947年の印パ分離独立によりパンジャーブ地方が東西に分割され、同地の中心都市だったラホールがパーキスターン領になってしまった。その埋め合わせとしてインド側のパンジャーブ州に新州都が必要になり、ヒマーラヤ山脈の山麓に広がる平地に都市が建造されることになった。その設計を任されたのがル・コルビュジエだった。

 独立インドの初代首相に就任したジャワーハルラール・ネルーはインドを伝統の足かせから解放し近代的な国家に作り替えようという理想に燃えていた。その理念に近い考えでモダニズム建築を提唱していたのがコルビュジエだった。ネルー首相は、チャンディーガルを新しいインドの象徴にしようと考え、コルビュジエにその設計を任せた。建築家にとっても、丸々ひとつの都市を設計する巨大プロジェクトは、一生に一度あるかないかの大役である。その仕事を引き受けたコルビュジエは、幹線が東西南北に規則正しく引かれた碁盤目状の都市プランを基本とし、幹線に囲まれた各セクターに番号を振って住所とし、北部の「頭部」に当たる部分にキャピトル・コンプレックスと呼ばれる行政・立法・司法の中心を置いた。

 チャンディーガルは、現在はパンジャーブ州とハリヤーナー州の州都として機能しており、その複雑な立ち位置から両州には属さず、連邦直轄地扱いになっている。両州は農業を中心産業とした保守的な州なのだが、チャンディーガルに限っては、コルビュジエによって何もないところから生み出されただけあって、インドのどの都市とも異なる、コスモポリタンな気風に満ちた都市になっている。「シティー・ビューティフル」の愛称を持つのは映画で説明されていた通りだ。2016年に世界遺産に登録された。

 チャンディーガルはデリーからそう遠くないため、筆者はインド留学中に何度か訪れたことがある。当時は恥ずかしながら近現代建築史には造詣が深くなかったので、チャンディーガルを知ってからその設計者としてコルビュジエの名前を知った。インド好きの自分としては、コルビュジエとはあくまで「チャンディーガルを造った人」かつ「チャンディーガルにある変な建築物を設計した人」だったが、後に建築関係の本を読むと必ず名前が出て来るような巨匠であることに気付き、彼がいかに偉大な人物であったのかをようやく悟った。インドというととかくタージマハルなど、中世の建築がまず目立つが、視点を変えてみると、コルビュジエからの直接の影響もあって、インドの近現代建築も非常に面白い発展の軌跡をたどっていることが分かる。そういう切り口で改めてインドを旅行してみるのも楽しいものである。

 さて、「The Power of Utopia」では、コルビュジエがチャンディーガルを造り上げていく様子ももちろん語られるのだが、それよりも重点が置かれていたのが、現在チャンディーガルに住む人々の記録である。チャンディーガルは、ネルー首相やコルビュジエの「理想郷」として建造されたが、果たしてその理想は今でも生きているだろうか。この問いが、チャンディーガルの住民たちのインタビューによって解き明かされていく。

 その答えは必ずしも前向きなものではなかった。たとえば、キャピトル・コンプレックスにはコルビュジエ作品を代表するモダニズム建築が並んでいる。コルビュジエは社会秩序やコミュニティーを建築によって再構築することを理想としており、この空間を庶民の憩いの場にしたかったようだ。だが、1995年8月31日にこの場所でパンジャーブ州の州首相が爆弾テロに遭って暗殺されたのを機にセキュリティーが強化され、現在は庶民や旅行者が気軽に歩き回ることができなくなっている。観光局主催のツアーに参加し、身分証明書を持参しなければならない。

 チャンディーガルは、計画ありきで誕生した都市であるため、柔軟性や拡張性に乏しく、人口増に対応できていないことも問題になっているようだ。チャンディーガル内の土地は限られているため、地価は高騰し、富裕層しか住めなくなっている。チャンディーガルからあふれた人々は、チャンディーガルに隣接した都市に住まざるを得ず、スラム街も生まれている。また、セクターごとに所得格差が固定してしまっており、住所によってその人の社会階層が分かるという新たな階層社会が生まれてしまってもいる。

 チャンディーガルのことを「徒歩で移動できる都市」と表現していたのには疑問を感じた。実際に訪れてみると、とても徒歩で移動できるような都市ではない。ただ、ひとつのセクターは徒歩圏内に生活に必要なものが何でもそろうように設計されており、その単位では「徒歩で移動できる都市」だといえる。だが、もし仕事を持ったらセクターを越えて移動する必要は出て来るはずで、そういう意味でも「持たざる者」には住みにくい街なのではないかと思う。

 とはいっても、いかにもインド的な秩序や混沌が、伝統からの解放を目指したはずのチャンディーガルを侵食しつつある様子も映し出されており、その点はむしろチャンディーガルの活力として捉えられていたように感じる。コルビュジエがイメージした通りの街にはなっていないのかもしれないが、まるで樹木が人工物を飲み込んでしまうように、インドがチャンディーガルを飲み込んでしまっているのである。

 「The Power of Utopia」は、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエによって設計された計画都市チャンディーガルの今に焦点を当てたドキュメンタリー映画である。インド映画ではないが、チャンディーガルに住む市井の人々の率直な意見が聞けて、インドの新たな一面を垣間見ることができるのは楽しい。コルビュジエの理想が現代まで息づいているのか、また、今後もそれを大事に守り続けていかなければならないのか否かなど、面白い論点が生まれている。特に建築に興味のある人なら得るものがある映画だ。