Jis Desh Men Ganga Behti Hai

4.0
Jis Desh Men Ganga Behti Hai
「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」

 1960年8月1日公開の「Jis Desh Men Ganga Behti Hai(ガンガー河の流れる国)」は、巨匠ラージ・カプールがプロデュースし、主演も務めた作品である。独立から10年以上が経ち、植民地時代が終わったにもかかわらず、まだ貧富の格差が是正されない社会に失望しながらも、いまいちどインド人としての魂を呼び覚まし、一致団結して新国家を支えていこうとする映画界からの力強いメッセージが感じられる力作である。

 監督はラードゥー・カルマーカル。ラージ・カプールの「Awaara」(1951年)や「Shree 420」(1955年)などで撮影監督を務め、この「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」で監督に抜擢された。彼が生涯に監督として撮った作品はこれだけで、その後も撮影監督としてラージ・カプールのRKフィルムスで働き続けた。

 音楽はシャンカル=ジャイキシャン、作詞はシャイレーンドラとハスラト・ジャイプリー。

 ヒロインはパドミニー。トラヴァンコール藩王国(≓現在のケーララ州)出身のバラタナーティヤムの踊り手であり、ウダイ・シャンカルの「Kalpana」(1948年)で見出され、姉のラリター、妹のラーギニーと共に活躍した。

 他に、プラーン、チャンチャル、ラリター・パーワル、ラージ・メヘラー、ラーマーヤン・ティワーリー、ナーナー・パルスィーカル、ナヤンパッリ、サローチャナー・チャタルジー、ヴィシュワ・メヘラーなどが出演している。

 ラージュー(ラージ・カプール)は天涯孤独な吟遊詩人で、ガンガー河で沐浴をした後、歌い踊りながらチャンバル地方を放浪していた。彼は、警察に追われて負傷した盗賊の首領(ナヤンパッリ)を見つけ、彼に食事を与える。盗賊の仲間たちはラージューを警察官だと間違え、拉致する。

 盗賊の隠れ里に連れて来られたラージューは、首領の右腕ラーカー(プラーン)に冷遇される。だが、首領がラージューを命の恩人だと宣言したため、彼は解放され、歓待されることになる。首領の娘カンモー(パドミニー)はラージューに惹かれ、彼に接近する。カンモーはラージューに、自分たちは貧富の差を解消するために戦う義賊だと説明し、ラージューはそれを信じ込む。ラーカーはカンモーとの結婚を狙っており、彼女がラージューに近づくのを面白く思っていなかった。ラーカーは事あるごとにラージューは警察の回し者だと訴える。

 あるときラーカーは結婚式を急襲して高価な首飾りを奪う計画を立てる。ラーカーは首領から許可を得てラージューを連れて行く。だが、ラージューは盗賊たちが花婿や子供を容赦なく惨殺するのを見て、義賊ではないと気付く。ラージューは警察署に駆け込み、警視(ラージ・メヘラー)に盗賊がラージガルを急襲しようとしていることを密告する。警視はラージガルに大量の警察官を送り込み盗賊を一網打尽にしようとするが、今度はラージューは盗賊たちの命を救うために、ラージガルに向かう途中の彼らを制止する。偵察に行った一人の盗賊は射殺されてしまい、ラーカーたちはラージューを連れて隠れ里に帰る。

 ラージューは盗賊から去ろうとするが、首領はラーカーに彼の暗殺を命じる。だが、カンモーがそれを止め、ラージューと結婚すると宣言する。首領はそれを認めるが、ラーカーは首領を殺し、新たな首領になる。ラージューとカンモーは逃げ出し、警察署にかくまわれる。

 ラージューは、このままでは流血が避けられないと考え、カンモーを警察署に残して盗賊のアジトに戻る。そして、盗賊たちに武器を捨てさせようとする。ラーカーはラージューを殺そうとするが、ラージューをかばってミーラーバーイー(ラーマーヤン・ティワーリー)が死ぬ。それがきっかけで盗賊たちは武器を捨て、投降しようとする。

 一方、警察署に残ったカンモーは警視に盗賊の隠れ里の位置を教える。警視は大量の警察官を率いて隠れ里を襲撃しようとするが、武器を捨てた盗賊たちが家族を連れてやって来るところに出くわす。警察官は盗賊たちを取り囲み、盗賊たちは捨てた武器を再び手に持ち応戦しようとする。だが、ラージューは双方に制止を求める。ラーカーはラージューを殺そうとするが、今度はカンモーが彼をかばう。盗賊たちは再び武器を捨て、警察に投降する。観念したラーカーも逮捕される。

 流れ者の孤独な芸人が、社会の主流から外れて横暴を働いていた盗賊たちを改心させ、自首させて社会の主流に合流させるという理想主義的な物語である。ただ、全くの机上の空論というわけではない。非暴力運動による独立を実現した「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーの精神的後継者として知られるヴィノーバー・バーヴェーは1960年に、盗賊が跋扈していたチャンバル渓谷を徒歩で行脚し、盗賊たちに対話による改心を促す運動を行った。その呼びかけに応じ、ラカン・スィンなど悪名高い盗賊たちが投降した。「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」は、この出来事にインスパイアされて作られた作品だとされている。

 主人公のラージューは、天然ボケといえるくらいの純朴な旅芸人であり、ひたすら良心に従って生きていた。手負いの盗賊に食事を与えて助けるくらいのお人好しだった。その底抜けの純粋さは彼をトラブルにも巻き込む。盗賊に拉致され、隠れ里に連行されてしまったのだ。だが、どのような環境でも彼は人々を楽しませることを忘れず、徐々に盗賊たちの心を勝ち取っていく。そして最後には彼らの投降という大仕事をやってのける。

 ただ、ラージューは決して変人扱いや特殊扱いをされていなかった。ラージューこそがインド人の本質であると声高らかに宣言されていたのである。タイトル曲「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」から冒頭の一節を引用してみよう。

होंठों पे सच्चाई रहती हैホートーン ペ サッチャーイー レヘティー ハェ
जहाँ दिल में सफ़ाई रहती हैジャハーン ディル メン サファーイー レヘティー ハェ
हम उस देश के वासी हैंハム ウス デーシュ ケ ワースィー ハェン
जिस देश में गंगा बहती हैジス デーシュ メン ガンガー ベヘティー ハェ

口に真実がある
心に清純さがある
我々はガンガー河の流れる
国の民だ

 常に真実を口にし、どんな人にも思いやりを持って接する、そんな高潔な人間が住む国がインドであると歌われている。それをもっとも体現しているのはラージューだが、本来ならばインド人全てがラージューのような人間であるとされている。その裏には、植民地支配が終わってもまだ万人が幸せに暮らせない現状へのいらだちも隠されている。だが、それを解決する力もインド人にはあるという絶対の自信が胸を張って発信されているのである。

 独立インドでは、初代首相ジャワーハルラール・ネルーのリーダーシップの下、社会主義的な国造りが行われていた。それを反映し、映画の中でも社会主義が好意的に取り上げられていた。カンモーはラージューに、自分たちは社会主義者であり、富める者から富を奪って貧しい者に富を分け与え、平等な社会を作ろうとしているとうそぶく。もちろん、盗賊を社会主義者と呼ぶのは冗談であろうが、貧富の格差を社会主義によって解消しようとする政府の指針が支持されていると見ていいだろう。

 とはいえ、「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」の中に、無力な貧者が登場しない。盗賊たちはそれぞれ不正義や抑圧から逃れて盗賊になったと見られ、元々は貧者だっただろうが、武器を持った今、無力ではない。むしろこの映画が描いているのは、社会の歪みに押し出され社会の本流から外れてしまった者を本流に呼び戻す意義である。映画の最後で盗賊たちは投降するが、無罪放免になるわけではない。だが、警視は恩赦があることを約束する。法治国家では、罪を犯した者でも、自ら自首や投降をすることで、罪は軽減される。そして、罪を償うことができる。ガンガー河は、現世の罪を清める聖なる河とされる。ガンガー河が流れる国を誇りにし、題名にも掲げることで、罪人にも居所のある寛大な国ということが示されているのである。

 インドの娯楽映画は外部から十把一絡げに「ミュージカル」とレッテル貼りされることが多いのだが、個人的には西洋のミュージカルまたはミュージカル映画とは似て非なるものだと考えている。インド映画における歌と踊りの使い方はむしろ日本の古典文学に見られる「歌物語」に近いというのが持論である(参照)。ただ、西洋のミュージカルに近い歌と踊りの使われ方をしているインド映画も存在する。この「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」もその一本だ。特に前半では、主人公が旅芸人であることもあって、感情の高ぶりとは無関係にソングシーンやダンスシーンに移行する場面があり、ミュージカル的だと感じた。ただ、後半になると通常のインド映画の歌と踊りの使い方に近くなり、インド映画としてまとまる。

 ラージ・カプールの道化的な演技があったからこそ、盗賊たちの改心も納得感を持って受け止めることができた。バラタナーティヤムの踊り手であるパドミニーの踊りは躍動感が突出していた。そして悪役プラーンの影のある演技も良かった。

 「Jis Desh Men Ganga Behti Hai」は、インドが誇る非暴力主義にのっとったストーリーラインの映画だ。盗賊たちが改心し、武器を捨て投降する。独立から10年以上経っても一向に貧富の格差が縮まらないことへの焦燥感は感じられるものの、インド人の良心に訴え、その再生によって社会の改善を狙っている。興行的にも成功し、名作に数えられる作品として記憶されている。


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