8 A.M. Metro

4.0
8 A.M. Metro
「8 A.M. Metro」

 2023年5月19日公開の「8 A.M. Metro」は、現実と空想、過去と現在が入り交じる、大人の恋愛映画である。

 監督はラージ・ラチャコンダ。本来はテルグ語映画映画界の人材だが、「8 A.M. Metro」はヒンディー語映画である。テルグ語映画界ではどの俳優も出演を引き受けてくれず、ヒンディー語映画界の俳優グルシャン・デーヴァイヤーが出演してくれることになったため、ヒンディー語で撮ることにしたという。冒頭ではアヌラーグ・カシヤプにスペシャルサンクスが送られていたが、彼から何らかの支援があったと思われる。

 音楽はマーク・K・ロビン。作詞はグルザール。原作はテルグ語作家マッラーディ・ヴェンカタ・クリシュナムールティ著の小説「Andamina Jeevitam(美しい人生)」(1989年)である。

 グルシャン・デーヴァイヤーの相手役を務めるのはサイヤミー・ケール。他に、カルピカー・ガネーシュ、ウメーシュ・カーマト、サンディープ・バーラドワージ、モイーン・ジャーン、ニミシャー・ナーイルなどが出演している。

 29歳のイラーヴァティー(サイヤミー・ケール)は、仕事に忙しい夫ウメーシュ(ウメーシュ・カーマト)と2人の子供たちと共にマハーラーシュトラ州ナーンデードに住んでいた。彼女の妹リヤー(ニミシャー・ナーイル)はテランガーナ州ハイダラーバードに住んでおり、妊娠中だった。臨月を迎え、出血があって入院していたが、彼女の夫アビラーム(サンディープ・バーラドワージ)は米国に出張に行っており、誰も同伴者がいなかった。リヤーはイラーヴァティーにハイダラーバードまで来るように頼む。

 イラーヴァティーは、幼い頃のトラウマから列車に乗ると動悸息切れがしていた。イラーヴァティーはウメーシュに同行するように頼むが、彼は忙しくてそれどころではない。一人で行くように言われる。仕方なくイラーヴァティーは一人で列車に乗り、ハイダラーバードへ向かう。やはり列車の中では息が詰まる思いがした。

 ハイダラーバードに着いたイラーヴァティーは早速病院へ行ってリヤーを見舞う。イラーヴァティーはリヤーの出産まで彼女の家に滞在することになったが、彼女の家は病院からメトロで20分ほど掛かる位置にあった。イラーヴァティーはメトロも苦手だった。汗びっしょりになりながらイラーヴァティーはリヤーの家に移動する。

 翌朝、午前8時のメトロに乗って病院へ向かおうとする。やはり彼女は乗り込む前に息切れがし、倒れそうになる。それを助け起こしたのがプリータム(グルシャン・デーヴァイヤー)という見ず知らずの男性だった。プリータムは銀行に勤めており、毎朝同じ時間にメトロで移動していた。それ以来、二人はメトロで一緒に会話をしながら移動するようになる。イラーヴァティーにとって、会話をしていればすぐにメトロでの移動時間が過ぎてしまうのでありがたかった。イラーヴァティーは死んだ父親の影響で、趣味で詩作をしていたが、それが詩好きのプリータムの関心を引く。やがて二人はコーヒー店でコーヒーを飲んだり、ハイダラーバード観光に出掛けたり、プリータムの行きつけの本屋へ行ったりするようになる。

 イラーヴァティーはプリータムのことを包み隠さずリヤーに話していたが、夫には内緒にしていた。リヤーは姉のただならぬ態度に浮気を疑う。実は、アビラームは米国出張など行っておらず、ハイダラーバードにいた。アビラームの浮気が発覚し、それ以来リヤーは彼を避けていたのだった。それを知ったイラーヴァティーはアビラームを病院に呼び出すが、リヤーは会おうとしなかった。

 イラーヴァティーはプリータムから、彼の妻ムリドゥラー(カルピカー・ガネーシュ)のことをよく聞いていた。あるとき彼女はプリータムに、ムリドゥラーに会いたいと言う。プリータムは彼女を自宅に呼ぶが、ちょうどムリドゥラーは外出中で会えなかった。

 リヤーの出産日が近づいてきていた。出産が終わればナーンデードに帰らなければならなくなる。イラーヴァティーはこれ以上プリータムとの関係を続けてはならないと感じ、プリータムに別れを告げる。だが、出産後にもう一度プリータムの家を訪れる。家には錠が掛かっていたが、中をのぞいてみると、ムリドゥラーと2人の子供たちの写真に花輪が掛けられていた。実はプリータムは家族を失い、孤独な生活を送っていたのだった。そこへプリータムが現れ、彼女に真実を話す。イラーヴァティーと会ったとき、彼は自殺を考えていた。だが、彼女に会ったことで生きる意欲が湧き、まだムリドゥラーたちが生きている架空の世界を構築して彼女に話していたのだった。イラーヴァティーは彼に手紙を渡すが、彼はそれを破り捨てる。

 イラーヴァティーはナーンデードに帰り、それっきりプリータムとの連絡は途絶えた。だが、その後にリヤーの子供の命名式があってハイダラーバードを再訪する機会があった。イラーヴァティーはプリータムを探すが、彼は家を引き払っており、見つからなかった。

 それから9ヶ月後、プリータムは久々に行きつけの本屋を訪れる。店主から勧められたのは、イラーヴァティーが出版した「8 A.M. Metro」という本だった。それを読んでプリータムは涙する。

 トラウマを抱え、詩作が好きな既婚女性と、妻子を亡くし生きる意味を失った読書好きな男性がハイダラーバードのメトロで出会い心を通い合わせるという筋書きで、ストーリーの中に詩や本が織り込まれ、非常に文学的な雰囲気漂う作品になっている。この作風はベンガル人かと思ったが、監督は正真正銘のテルグ人であるようだ。ちなみに、ハイダラーバードはテルグ語圏ではあるが、歴史的な理由からヒンディー語の通用度が高く、プリータムとイラーヴァティーがヒンディー語で会話をするのに違和感は全くない。

 セリフの中に、「人は多くの顔を持っている」というものがあった。「8 A.M. Metro」の主題をピタリと言い当てた言葉であった。社会生活を送る上で、人間は多くの顔を使い分けている。幸せそうに見えるカップルも、実際にはケンカばかりということも少なくない。だが、このSNS時代において、他人の視線にさらされる場面ではやたらと幸せを装う習性が増幅されている。イラーヴァティーはそれほど熱心にSNSをしているわけではなかったが、彼女も多くの顔を使い分けていた。

 彼女の当面の悩みは、夫が仕事に忙しく、あまり構ってくれないことであった。彼女は、家族と共に暮らしながらも、言い知れない孤独を感じていた。そして、長年彼女が抱えていた持病は列車恐怖症だった。幼い頃、父親と列車に乗って移動している時に父親とはぐれて酷い目に遭った経験から、彼女は一人で列車に乗ると強いストレスを感じるようになっていた。結婚し、2人の子供の恵まれた後も彼女のそのトラウマは改善していなかった。「8 A.M. Metro」は、そんな彼女が一人でハイダラーバードへ列車移動しなければならなくなるところから物語が始まる。

 ハイダラーバードには妹リヤーの出産を見届けるまで滞在することになった。だが、リヤーの自宅から彼女の入院する病院まではメトロで往復する必要があった。メトロも彼女の恐怖症を刺激する乗り物だった。プラットフォームで固まってしまい、なかなかメトロに乗れず、倒れそうになったイラーヴァティーを抱きかかえてくれたのがプリータムであった。二人はメトロに乗る時間帯が同じで、イラーヴァティーは話し相手を見つけたことで、メトロに乗るのが怖くなくなる。しかもプリータムは読書好きで知的な男性であり、イラーヴァティ-は次第に惹かれていく。

 インド映画は浮気を美しく描き出すことに掛けては世界有数のセンスを持っていると感じる。「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)や「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)など、男女を浮気になるかならないかギリギリのところまでくっ付け、ギリギリのところで離し、上品に、かつ含みを残してまとめた映画が数多くある。「8 A.M. Metro」からも同じセンスを感じた。イラーヴァティーとプリータムは確かに心を通い合わせるが、肉体関係まで行くこともなく、パートナーにばれることもなく、それでいて美しい思い出としてそっとしておこうとする配慮があった。

 ただ、イラーヴァティーが一線を越えなかったのは、完全なる自制心が理由ではなく、妹リヤーと彼女の夫アビラームの関係があったからだともいえる。リヤーの妊娠中、アビラームは浮気し、それがリヤーに知られる。リヤーが一人で出産しようとしていたのも、アビラームの浮気が影響していた。浮気が夫婦関係に破滅的な影響をもたらすことをイラーヴァティーは実感し、自らを律したのだった。

 イラーヴァティーにとってプリータムは救世主のような存在だったが、物語が進行するにつれて、イラーヴァティーの方がプリータムにとって救世主であったことが明らかになる。プリータムはイラーヴァティーに、妻ムリドゥラーと2人の子供たちの話をよくしていた。彼の語る家族の話の中では、彼は家族思いのいい夫、いい父親だった。だが、実は彼は妻子を亡くしており、イラーヴァティーに語っていた内容は全て嘘だった。彼はむしろ、イラーヴァティーの夫ウメーシュのように仕事人間であり、家族のために時間を割くことをしていなかった。その後悔から、せめてイラーヴァティーとの会話の中だけでも、いい夫、いい父親を演じていたのだった。そしてそれによって彼は魂の救いを得ていた。

 夜中にすれ違った2艘の船が二度とすれ違うことがないように、イラーヴァティーとプリータムも、2週間ほどの短い時間を共有した後は、もう二度と会う運命にはなかったようである。だが、二人には本という手段があった。イラーヴァティーはハイダラーバードでの思い出を本にまとめて出版し、それが偶然か必然かプリータムの手元に届く。プリータムは即座にそこに自分へのメッセージを受け取り、受け止め、涙するのである。何と文学的な余韻の残る物語であろうか。

 イラーヴァティー役を演じたサイヤミー・ケールは、体格がよく運動神経も抜群の女優だが、あえて今回は特別感を出しておらず、一般的なインド人主婦を控えめに演じていた。それに呼応するように、エキセントリックな演技もできるグルシャン・デーヴァイヤーも、鬱を抱えた奥手な中年男性プリータムを抑え気味に演じていた。二人の演技はキャリアベストと呼んでもいいだろう。他にも脇役がいたが、ほとんどこの二人の演技のみで進んでいく物語であり、それで十分であった。

 「8 A.M. Metro」は、題名からあまり中身が見えない映画であるが、弱みを抱えた二人の男女が出会い、お互いを支え合って、その後の人生を生きる力を与え合う、大人向けの美しい恋愛物語だ。ギリギリ浮気にならないこの微妙な匙加減がインド映画らしくで素晴らしい。隠れた名作である。