Gandhi Talks

3.5
Gandhi Talks
「Gandhi Talks」

 本ブログでは、インド映画であれば、基本的に言語によって分類をしてきた。それは、インドの映画産業が言語別に独立して発展してきた歴史を踏まえてのものだ。だが、この大前提も次第に崩れつつあるのを感じる。2023年1月27日にインド国際映画祭でプレミア上映され、2026年1月30日に劇場一般公開された「Gandhi Talks」は「マルチリンガル」かつ「サイレント・ミュージカル」と銘打った作品であり、確かに単純に言語による分類が困難な作品である。ムンバイーを舞台にし、タミル語映画界の俳優たちを主演に起用しており、何らかの形でヒンディー語、タミル語、マラーティー語、テルグ語、マラヤーラム語が使われている。「サイレント・ミュージカル」を標榜しているのはセリフがないからであるが、かといって無声映画というわけではなく、効果音などで音声は入るし、歌詞付きの音楽も入る。従来なかったタイプの映画である。

 監督は、マラーティー語映画界で活躍してきたキショール・パーンドゥラング・ベーレーカル。音楽はARレヘマーン。

 主演はヴィジャイ・セートゥパティ。他に、アルヴィンド・スワーミー、アディティ・ラーオ・ハイダリー、スィッダールト・ジャーダヴ、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ウシャー・ナードカルニー、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、プリヤダルシニー・インダルカルなどが出演している。

 挿入歌は5言語で作られている。ヒンディー語、マラーティー語、タミル語、テルグ語、マラヤーラム語である。セリフがない映画であるため、どの言語がメインかを判別することはできない。

 ムンバイー特有のチャール(集合住宅)に母親(ウシャー・ナードカルニー)と共に住むマハーデーヴ(ヴィジャイ・セートゥパティ)は、父親という一家の大黒柱を亡くして無職の状態であり、経済的に困窮していた。向かいの部屋に住むガーヤトリー(アーディティ・ラーオ・ハイダリー)と恋仲だったが、彼女と結婚するには定職が必要だった。また、母親は病床に伏しており治療代も必要であった。公務員だった父親の職を継げるはずだったのだが、汚職に加担しないと就職できない状態だった。正直者のマハーデーヴは処世術が苦手で、なかなか就職できず、ちょっとしたバイトをして日銭を稼いでいた。ガーヤトリーには縁談が持ち込まれており、彼女が別の男性に嫁入りしてしまうのはもはや時間の問題だった。

 モーハン・ボースマン(アルヴィンド・スワーミー)は裕福な実業家であったが、妻子を飛行機事故で亡くし、母親を病気で亡くし、ドリームプロジェクトとして建設していた建築物が火災で焼失するなど、相次ぐ不幸によって破産寸前だった。出資者に提訴されて始まった裁判でも負け、彼の資産は次々に差し押さえされていった。ボースマンは親友の警察官ヴィシュワース・ラーオ警部補(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)と共にプランBを始動する。

 マハーデーヴは、こそ泥のマングー(スィッダールト・ジャーダヴ)が手っ取り早く大金を手にしているのを見て、自分も強盗や泥棒によって金を手にしようとする。まずは刃物を買い、ターゲットをボースマンに定める。彼はボースマンが破産状態にあることなど全く知らなかった。ある晩、マハーデーヴは盗んだ自転車でボースマンの自動車を追いかけ、自宅を特定し、後に忍び込む。

 ちょうどその頃、ボースマンの豪邸は48時間以内に競売に掛けられることが決定していた。ボースマンはラーオ警部補と協力して自殺を偽装し姿をくらまそうと準備をしていた。マハーデーヴは多額の現金が入ったアタッシュケースを探す。ちなみに、マングーも一獲千金を狙ってボースマンの豪邸に忍び込んでいたが、マハーデーヴとマングーは顔を合わせなかった。

 マハーデーヴはいったんいくらか現金を盗み出すが、ガーヤトリーから叱られたこともあって良心の呵責を感じ、ボースマンに盗んだ金を返しに戻る。このときまでに自殺偽装の準備が整っており、ボースマンの自宅は炎に包まれる。ボースマンはマハーデーヴを許し、現金を渡す。その現金もマハーデーヴは盗んだ自転車の主に渡す。そして、勇気を出して汚職告発をする。

 その後、マハーデーヴは清掃員の職を得て真面目に働き出した。ガーヤトリーとの結婚も決まり、幸せな人生が始まろうとしていた。

 題名になっている「ガーンディーの話」には2つ意味合いが込められている。インドの全ての紙幣には「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーの肖像が印刷されている。「ガーンディーの話」とはまず「お金の話」であり、それは「汚職の話」でもあった。だが、もちろんそれは普通は裏の意味であり、一般的に「ガーンディー」の名前を聞いて思い浮かべるのはもっといいイメージだ。ガーンディーはインドの独立のみならず、市井のインド人が道徳的にも悪しき習慣から解放されることを望んでいた。「Gandhi Talks」も、お金や汚職の話で始まるものの、着地点は道徳的かつ啓蒙的なメッセージになる。

 ストーリーにそれほどツイストがあるわけではない。バカ正直に生きてきた貧しい男性が、どうにも生活に困窮し悪事に手を染めようとするが、良心の呵責が勝ち、行いを改めて善の道に戻り、結局幸せを獲得するというものである。

 このストーリーが全くセリフを介さずに語られるのが「Gandhi Talks」のユニークな点だ。ただ、インド映画の伝統にのっとって要所で挿入される挿入歌の歌詞によって登場人物の感情表現は十分になされているし、文字情報が多めに入ってストーリー進行を補助しているため、全く無言語というわけではない。文字情報では英語の使用頻度が高かった。なるべくセリフがなくても自然なストーリー展開になるように工夫されてはいた。たとえば恋仲にあるマハーデーヴとガーヤトリーが離れて向かい合った廊下に立ち、親や近所の人々にばれないように、音声ではなくジェスチャーによってコミュニケーションを取ろうとする場面は、セリフがなくても自然に成立していた。だが、セリフに全く依存しないそのようなひとつひとつの演出が全く自然だっかかというとそういうわけでもなく、多少の強引さは否めなかった。ただ、インドという多言語社会において、言語の壁を乗り越えるひとつの方法として、「サイレント・ミュージカル」という手法はありだと感じた。踊りはともなく、歌が入ることで十分にインド映画らしさも出ていた。

 全体的には暗いストーリーだったのだが、不思議とコミカルさがあふれていた。その一因はヴィジャイ・セートゥパティ持ち前の個性であろう。彼の演じたマハーデーヴは不幸のどん底にあったのだが、彼が演じるキャラクターには常にどことなく哀愁が漂い、観客の同情を容易に勝ち得ることができる。個性派俳優スィッダールト・ジャーダヴ演じるマングーの立ち振る舞いも滑稽さを加えていた。アルヴィンド・スワーミーはシリアスな演技に終始していた。そしてアディティ・ラーオ・ハイダリーの美しさが際立つ映画であった。セリフがないことによって彼女の美貌により集中することができていたようにも感じる。特に悲しみにゆがむ彼女の表情がこれまた美しい。もう既に40代半ばを超えているが、インド映画界でもっとも美しい女優だ。

 「Gandhi Talks」は、多言語でありながらサイレントという、新たな境地を切り開こうとする挑戦的かつ実験的な映画である。筋書きの単純さは、その試みを成功させるために必須だっただろう。そして、それは一定の成功を収めていると感じた。「汎インド映画」という用語が盛んに取り沙汰される昨今、こういう方向からも言語の壁を乗り越えようとする動きが見られることは注目であるし、応援したい。