Court: State vs A Nobody (Telugu)

3.0
Court: State vs A Nobody
「Court: State vs A Nobody」

 2025年3月14日公開のテルグ語映画「Court: State vs A Nobody」は、POCSO(児童性的虐待防止)法の乱用を題材にした硬派な法廷劇映画である。POCSO法は「Protection of Children from Sexual Offences」の略で、未成年者に対する性的暴行やハラスメントを防止するため2012年に施行された。映画は、施行から間もない2013年を時間軸に設定している。

 監督は新人のラーム・ジャグディーシュ。音楽はビジャイ・ブルガーニン。キャストは、プリヤダルシー・プリコンダ、ハルシュ・ローシャン、シュリーデーヴィー・アッパラ、Pサーイー・クマール、シヴァージー、ラグラーム、ローヒニー、ハルシャ・ヴァルダン、スバーレーカー・スダーカル、ラージャシェーカル・アニンギ、スラビ・プラバーヴァティー、ヴィシカー、シュリーヴァーニー・トリプラネニなどである。

 2013年、ヴィジャヤナガラムにて著名な弁護士モーハン・ラーオ(Pサーイー・クマール)の下で見習い中の弁護士スーリヤ・テージャー(プリヤダルシー・プリコンダ)は、ヴィシャーカパトナムからやって来た顧客の事件をラーオに内緒で引き受ける。それはPOCSO法違反の容疑で逮捕され公判中の19歳の少年チャンドゥー(ハルシュ・ローシャン)のケースだった。

 チャンドゥーは警備員の息子であったが、地元の有力者マンガパティ(シヴァージー)の姪ジャービリー(シュリーデーヴィー・アッパラ)と恋に落ち、デートをするようになった。ジャービリーがチャンドゥーの家に来ているときにマンガパティが踏み込み、誘拐や強姦などの被害届を出す。しかも、ジャービリーがまだ17歳であったため、チャンドゥーに対してPOCSO法違反の容疑も加える。チャンドゥーは逮捕され裁判が行われたが、マンガパティに雇われた弁護士ダーモーダル(ハルシャ・ヴァルダン)が証拠を捏造してチャンドゥーを悪人に仕立て上げたため、保釈も得られず、不利なまま裁判が進む。チャンドゥーの兄レッディーは困り果て、ラーオの噂を聞きつけて彼に連絡した。その取り次ぎ役となったのがテージャーであった。話を聞いた彼はチャンドゥーに同情し、ラーオが断ろうとしているのを知って、自ら弁護を引き受けることにしたのだった。

 判決を残すのみになっていたが、テージャーは再審を要求して時間を稼ぎ、ダーモーダルの主張の矛盾点を次々に指摘する。おかげでチャンドゥーに掛けられていた誘拐の容疑は晴れた。だが、チャンドゥーがジャービリーと共に部屋で16分間閉じこもっていたところが映った防犯カメラの映像が出て来て、POCSO法違反の容疑は依然として残った。

 ダーモーダルは、ジャービリーが事件後に精神不安定になっていると言って彼女の証人喚問を回避し続けていた。ジャービリー本人の証言がチャンドゥーの無実を証明するために必須だと考えたテージャーは、彼女の主治医だという精神科医プラバーカルの嘘を暴いて、ジャービリーの出廷を引き出す。ジャービリーは法廷で、チャンドゥーと密室で二人きりになった16分間に結婚の儀式の真似事をしていたと証言する。チャンドゥーがジャービリーと性行為したことは立証されず、彼は無罪となった。一方、買収や証拠偽造を行ったマンガパティは逮捕される。

 テージャーは勝訴をラーオに報告し、褒められる。

 テージャーは駆け出しの見習い弁護士で、大物弁護士ラーオの下で研修中だったが、なかなか出番を与えられずにいた。ラーオからいまいち認められていないのではないかというもどかしさも感じていた。そんな彼がラーオに内緒で引き受けたケースが「Court: State vs A Nobody」の軸となる。

 まだ経験の浅いテージャーが引き受けてしまったのが、まだ施行されたばかりのPOCSO法に関するケースであった。未成年被害者を強力に保護する法律であったし、まだ判例が少なかったため、経験豊富な弁護士でも進んで引き受けようとなかった。テージャーは、POCSO法のことをよく理解しないままに引き受けてしまったところがあった。当然、苦労しながら裁判を戦うことになると予想された。

 ところが、法廷に立ったその瞬間からテージャーは抜群の切れでもって裁判を主導する。新米弁護士とは思えないほどで、検察側のベテラン弁護士ダーモーダルもタジタジとなるほどだった。どうしてもテージャーに肩入れして鑑賞することになるため、爽快感はあるのだが、テージャーの敏腕振りがだんだん非現実的に思えてくる。彼が事件についてリサーチするような場面が全く映し出されず、法廷だけでどんどん進んでいくため、一体彼がいつそんな証拠を見つけたのかよく分からない。まるで手品を見ているかのようだった。法廷劇にはある程度の信憑性が求められるが、「Court: State vs A Nobody」にはそれが欠けていた。

 テージャーがあまりに出来過ぎていて現実感を損なっていたが、あくまで法廷で決着が付いていたことには好感が持てた。マンガパティは金の力で何でもしようとする、インド映画によく登場する悪役ではあるが、意外なことにどんな不利な状況に追い込まれても、たとえばテージャーを暗殺するなどの暴力に頼ることはなかった。ダーモーダルも、最後には潔く敗北を認めていた。おかげでドラマ性はなかったが、物語が横道にそれず、メッセージが明確化されていた。

 映画が訴えようとしているのは、生活に大きな影響を与える法律の制定や改正が一般大衆に周知徹底されていない現状への警鐘だ。未成年者を守ろうとするPOCSO法の精神は尊いもので、その存在自体は批判されていない。だが、この法律が悪用されると、19歳の成年と17歳の未成年が恋に落ちるというような一般的にありえる出来事が、最悪の場合、死刑や終身刑のような厳罰につながる可能性がある。それを防ぐためには、常識にのっとった判断も必要であるし、国民がPOCSO法などについて正しく理解できるように努めることが重要になる。

 テージャーの上司ラーオにも注目したい。彼は当初、テージャーにチャンスを与えず飼い殺しにしている傲慢かつ偏屈なベテラン弁護士に見えた。だが、終盤になって彼の評価は一変する。ラーオはきちんとテージャーの才能を認めており、彼に内緒で弁護を引き受けたことも大してとがめず、そればかりか逆に助言をして彼の勝訴を後押しする。ベテラン弁護士らしく、とことん正義を信じ真相を究明しようとする若いテージャーに対し、決してバカ正直に真実を明らかにすることのみが弁護士の役割ではないと優しく教え諭す。彼は過去に、トラックが歩行者をひき殺した事件を担当し、トラック運転手側の弁護に立って彼の無罪を勝ち取った。それはあたかも罪人を無罪にしたように映るが、事実は異なった。実はこれは自殺であったが、自殺だと認められると被害者の遺族に保険金が下りなくなるため、彼はあえて歩行者の自殺を立証せず、双方にとってちょうどよくなる判決が出るように導いたのだった。そのような絶妙な着地点に判決を導ける弁護士こそが社会に調和をもたらしているのかもしれない。

 ところで、副題は直訳すれば「国 対 誰でもない」になる。この副題からは、もっと国家的な大事件を扱った法廷劇を想像したがそうでもなく、一通り観た後もこの副題との関連がよく分からなかった。

 「Court: State vs A Nobody」は、非現実的なまでに頭の切れる新米弁護士を主人公にして、POCSO法の乱用によって長期の懲役を科せられそうになっている少年の弁護をし、彼の無罪放免を勝ち取る過程で、法律の周知徹底を訴える内容の硬派な法廷劇である。新人監督の作品であり、低予算ということもあって甘さはあったが、興行的には意外な成功を収めた。観て損はない映画である。