Guide

5.0
Guide
「Guide」

 「Guide」は、独立後のインドを代表するスターであったデーヴ・アーナンドが、兄弟で運営する映画制作会社ナヴケータン・フィルムスの社運を賭け、アカデミー賞受賞などの国際的な成功を狙って創造した野心的な大作である。そのため、当時としては異例だが、英語版とヒンディー語版の二言語で作られ、インドと米国で公開されている。原作はインド人作家RKナーラーヤンの「The Guide」(1958年)である。

 ただ、この企画は元々、デーヴ・アーナンドが米国人監督タッド・ダニエレブスキーと米国人ノーベル賞受賞作家パール・S・バックから持ちかけられたものだったらしい。そのときは断ったデーヴであったが、後に気が変わり、自ら主導して「The Guide」の映画化に乗り出した。そして完成したのが、ヒンディー語版「Guide」と英語版「The Guide」である。ただ、注意しなければならないのは、ヒンディー語版と英語版は全く別物であるということだ。まず、上映時間が全く異なる。ヒンディー語版が3時間の映画であるのに対し、英語版は2時間に収められている。もちろん、インド映画の最大の特徴である歌と踊りのシーンが英語版では大幅にカットされたために短くなっているのは確かなのだが、相違点はそれだけに留まらない。まず、監督と脚本家が異なる。英語版はダニエレブスキーが監督し、バックが脚本を書いている一方、ヒンディー語版は、デーヴの弟ヴィジャイ・アーナンドが監督と脚本を担当している。ひとつの物語を同じキャストで映画化しているものの、監督と脚本家が別人な上に国籍まで違うだけあって、キャラクター設定から物語に込められたメッセージまで似ても似つかない別々の映画になっている。ここまで違うのかと驚くほどだ。よって、ヒンディー語版「Guide」と英語版「The Guide」は、単純に使用言語が異なるだけの作品ではない。

 ダニエレブスキーが監督し、バックが脚本を書いた英語版「The Guide」の方が先に完成し、1965年2月に米国で公開されたとされている。ヴィジャイ・アーナンドが脚本を書き監督もしたヒンディー語版「Guide」の劇場一般公開は、公式記録では1966年4月2日とされるが、前年の12月6日にムンバイーで限定公開されたという情報もある。英語版「The Guide」は米国で非常に不評であり、デーヴやヴィジャイはヒンディー語版をインド人観客向けに大幅に修正する必要に駆られたといわれている。本記事は両方のバージョンを鑑賞した後に書いているが、英語版を比較対象として参照しつつも、ヒンディー語版の方を中心にレビューをしている。

 音楽はRDブルマン、作詞はシャイレーンドラ。主演はデーヴ・アーナンドが務め、ヒロインはワヒーダー・レヘマーン。他に、リーラー・チトニス、キショール・サーフー、ガジャーナン・ジャーギールダール、アンワル・フサイン、ラシード・カーンなどが出演している。

 ウダイプルにて観光ガイドとして名の知られた存在だったラージュー(デーヴ・アーナンド)は、マドラスから来た裕福な考古学者マルコ(キショール・サーフー)のガイドを務めることになる。マルコは若い妻ロージー(ワヒーダー・レヘマーン)を連れていた。マルコとロージーは口論ばかりしており、仲は悪そうだった。ロージーはデーヴァダースィーの家系に生まれダンス好きだったが、マルコが踊ることを許さず、ストレスを抱えていた。マルコはロージーをほったらかしにして郊外にある石窟寺院の調査に没頭した。ラージューはロージーの面倒を見る内に彼女と親しくなる。ロージーも、踊りの腕を素直に褒めてくれるラージューに心を開くようになっていた。マルコは石窟寺院で大発見をし、ますます研究に没頭する。ロージーは毒を飲んで夫の気を引こうとするが、それもうまく行かなかった。とうとうロージーはマルコの元を飛び出し、ラージューの家に駆け込む。ラージューも彼女を放っておけず、母親(リーラー・チトニス)を説得して、彼女をかくまう。

 ところが、ラージューが踊りを趣味とする若い女性を家にかくまったことはすぐに近所に広まってしまい、母親は困り果てる。母親の兄がやって来てラージューを叱りつけるが、ラージューはロージーを追い出そうとしなかった。とうとう母親が出て行ってしまった。ラージューはダンサーになりたいというロージーの夢を叶えるため、彼女に「ミス・ナーリニー」という芸名を与え売りこむ。たちまちロージーは人気になり、ラージューは彼女のマネージャーとして稼ぎを得るようになる。

 裕福になったラージューは酒と賭博に溺れるようになり、ロージーからも見放されるようになる。ロージーはまだマルコと離婚しておらず、ラージューはマルコがいつか彼女を取り戻しに来るのではないかと恐れていた。マルコはウダイプルでの新発見を出版し有名になっていた。また、マルコはロージーと共同所有していた宝石類を返却しようとする。ラージューはマルコをロージーから何とか遠ざけようとし、彼女のサインを真似て署名する。マルコは署名が偽物であることをすぐに見抜き、警察に通報する。ラージューは逮捕され、2年間服役することになる。

 ラージューは2年の刑期を終える前に釈放された。母親やロージーに合わせる顔がなく、そのまま放浪の旅に出る。行き着いた先がラームプリーだった。そこの廃寺で寝ていて聖者に間違われたラージューは、村人たちの親切に厄介になって暮らすようになる。その返礼に彼は村に学校、病院、郵便局などを建てる。一方、母親とロージーは2年の刑期が終わる頃に刑務所を訪ねるが、もうラージューはいなかった。

 ラームプリー村の地域では雨が降らず干魃が発生した。純粋な村人たちは、ラージューが12日間断食することで雨が降ると信じ込む。ラージューは逃げ出そうとしたが失敗し、仕方なく断食を始める。雨乞いのために断食する聖者のニュースはすぐに広まり、やがて全国ニュースになる。まずは母親がやって来て彼と再会し、次に新聞で彼の居所を知ったロージーがやって来る。ラージューはだいぶ弱っていたが断食を止めなかった。そして12日目に本当に雨が降り出す。だが、ラージューは息を引き取っていた。

 原作者のRKナーラーヤンは、迷信深い村人たちを風刺するために「The Guide」を書いたといわれている。その結末でも雨を降らせて見せてはいないし、それは英語版「The Guide」でも踏襲されている。だが、ヒンディー語版「Guide」の結末は正反対で、人々の信仰心が奇跡を呼び、主人公ラージューの命と引き換えに雷鳴が轟き大雨が降り注ぐ劇的な最後で締めくくっている。「Guide」はヒンディー語映画史に残る傑作に数えられ、興行的にも大成功した。インドで受け入れられるためには、原作を改変してでもカタルシスが得られる結末にしなければならないことを示すいい例であり、インド人観客の趣向を浮き彫りにしている。ただ、ナーラーヤンは映画化された自身の原作を毛嫌いしていたようである。

 ラージューとロージーのキャラクターも原作と英語版、そしてヒンディー語版で全く異なる。

 ラージューは、原作と英語版では常に利己を最優先する詐欺師に近い人間として描かれる。一方、ヒンディー語版では、根は善良だが、身の丈に合わない成功を収めたことで欲望に支配され傲慢になり、ロージーとの関係も悪化して、失敗する弱い人間として描かれる。村で聖者と間違われて祭り上げられ、雨乞いのために断食をしなくてはならなくなった後も、ヒンディー語版では内面の葛藤がきちんと描かれるが、原作や英語版ではあくまで悪人が悪事を重ねた末に災難に巻き込まれる様子がブラックコメディー的に描かれているだけだ。

 ロージーにいたっては、原作と英語版ではより能動的にラージューと不倫をする悪女として描かれおり、その違いには驚かざるをえない。ヒンディー語版のロージーは一転して善良な女性であり、理解のない夫との関係性から仕方なくラージューの元に走る展開になっている。

 田舎町の観光ガイドだったラージューの人生はロージーとの出会いをきっかけに大きく変化し、ショービジネスの世界で堕落の道を歩む。そしてロージーの夫に対する嫉妬から彼女の署名の偽造に手を染め、逮捕されて服役することになってしまう。ヒンディー語版ではそんな彼が聖者に祭り上げられ、依然として心の中にある弱さと戦いながらも、最後には運命と向き合い、雨を降らせると共に魂の浄化を成し遂げる。それは魂の不滅を信じるヒンドゥー教徒の信条にものっとった展開であり、より哲学的でスピリチュアルなメッセージを発する映画に昇華している。人生において罪を犯さない人間はいない。人間は皆、罪を背負って生きて行く。だが、それを浄化する機会も必ず訪れる。ラージューも、12日間の断食をして雨が降るはずがないと思っていたが、純朴な村人たちの信心を裏切ることができず、最後にはそれを受け入れる。それが奇跡を呼び、彼の魂は救済された。魂の浄化や救済を見せることで、ヒンディー語版「Guide」は不朽の名作に生まれ変わったのだ。

 英語版とヒンディー語版で大きく違う点として、さらに楽曲の使い方が挙げられる。英語版にも若干のダンスシーンが収められていたが、ヒンディー語版では要所要所にダンスシーンやソングシーンが差し挟まれ、心情や状況が美しい詩によって歌われ、情緒を盛り上げていた。「Wahan Kaun Hai Tera」、「Aaj Phir Jeene Ki Tamanna Hai」、「Din Dhal Jaaye」など、名曲揃いである。しかも、ダンスの名手として知られるワヒーダー・レヘマーンが素晴らしい踊りを披露し、華を添えていた。ちなみに、英語版で使われていたダンスは蛇使いの踊りだ。西洋ではインドは「蛇使いの国」というステレオタイプのイメージを持たれているが、それを助長するだけのシーンであり、ストーリーに深みをもたらすような使い方ではなかった。この辺りに、歌と踊りをストーリーと一体のものとして発展してきたインド映画産業との違いが明確に見て取れる。そして、インド映画の優越性も感じずにはいられない。

 それでも、ヒンディー語版に欠点がなかったことはなかった。英語版は過不足なく2時間で収まっていたが、ヒンディー語版は3時間でもまだ足りていない印象だった。急ぎすぎて編集が雑になっている部分があり、それは残念だった。2部構成にしてもいいくらいの内容だった。また、英語版では時系列に沿って語られるのに対し、ヒンディー語版ではラージューが刑務所から釈放されるシーンから始まり、後に回想シーンによってラージューとロージーの出会いと別れが描かれることになる。この回想シーンが長すぎて、全体のバランスを欠いていた。この辺りの構成も英語版の方がうまかったといえる。

 デーヴ・アーナンドとワヒーダー・レヘマーンは共に全盛期であり、この「Guide」は彼らのフィルモグラフィーの中でもそれぞれの飛躍のきっかけになった重要な作品に位置づけられている。デーヴのハンサムさ、ワヒーダーの美しさは際立っており、演技も素晴らしかった。

 「Guide」は、ヒンディー語映画史に燦然と輝く名作の一本である。原作とは似ても似つかぬストーリーになったが、それ故にインド人の琴線に触れるような、魂の旅路を力強く描き出す哲学的な作品になっている。数々の挿入歌も、いまだに愛され続けている。必ずしも原作通りに作るのがいいとは限らない好例ともいえる。米国人の監督と脚本家が作った英語版との比較により、インド人が重視する要素が分かるのも面白い。インド映画ファンなら必ず押さえておかなければならない必修作品だ。


Guide (1965) Full Movie | Dev Anand & Waheeda Rehman | Evergreen Bollywood Classic