Mahapurush (Bengali)

3.0
Mahapurush
「Mahapurush」

 1965年5月7日公開の「Mahapurush(偉人)」は、「Kapurush」(1965年/邦題:臆病者)と二本立てで公開された、サティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督の66分の短編映画である。日本では2025年のサタジット・レイ・レトロスペクティブにて独立した作品として初上映された。その際の邦題は「聖者」だった。

 原作はベンガル語文学作家ラージシェーカル・バスの「Birinchibaba(ビリンチーバーバー)」(1927年)。ラーイ監督自身が作曲している。

 キャストは、サティンドラ・バッターチャーリヤ、ギーターリー・ロイ、チャールプラカーシュ・ゴーシュ、プラサード・ムカルジー、ラビ・ゴーシュ、ソーメン・ボース、サティヤ・バンドーパーディヤーイ、ハリダン・ムカルジー、サントーシュ・ダッター、レーヌカー・ロイなどである。

 弁護士のグルパダー・ミトラ(プラサード・ムカルジー)は妻を亡くした後、心の平安を得られずにいた。彼は末娘ブチキー(ギーターリー・ロイ)を連れてヴリンダーヴァンやバナーラスを巡っていた。その帰り、列車でビリンチー・バーバー(チャールプラカーシュ・ゴーシュ)と出会う。ビリンチー・バーバーは、ガウタマ・ブッダやシャンカラーチャーリヤと会ったことがあると豪語し、太陽を昇らせる責務も負っているかのように振る舞った。ミトラはビリンチー・バーバーにすっかり心酔し、信者になってしまう。そして自宅にビリンキー・バーバーを迎え入れる。

 ブチキーの許嫁サティヤ(サティンドラ・バッターチャーリヤ)は突然のことに驚く。ミトラはブチキーもバーバーに入信させようとしていた。もし彼女が入信したら結婚は遠のいてしまう。サティヤは友人ニバラン(ソーメン・ボース)に相談する。ミトラの長女ニルパマー(レーヌカー・ロイ)の夫ナニー(サントーシュ・ダッター)はニバランたちの友人だった。ニバランはまず、ナニーとニルパマーに会ってバーバーについて情報を集め、次にサティヤや友人たちを連れて実際にバーバーに会いに行く。そして、単なる詐欺師だと断定する。

 ブチキーもバーバーを信じていなかったが、父親が盲信しており逆らえなかった。サティヤは何とかバーバーの正体を暴き追い出そうとニバランと共に計画する。彼らはバーバーの説教の終了に合わせて火事を起こし、混乱を引き起こす。バーバーは従者(ラビ・ゴーシュ)と共に逃げ出すが、ちゃっかり人々の持ち物を盗んでいた。

 「Kapurush」は鉄道駅で物語が終わるが、セットで公開されたこの「Mahapurush」は鉄道駅から始まる。列車に乗ったビリンチー・バーバーが熱狂的な信者たちに見送られながら去って行くシーンである。「Kapurush」と「Mahapurush」に直接のつながりはないものの、この鉄道駅のシーンによって接続されている。また、都会人の精神的な弱さを描くその視点も両作品で共通しているといえる。

 「Kapurush」は比較的シリアスな雰囲気の映画だったが、「Mahapurush」はブラックコメディーといっていい。物語の中心になるのはビリンチー・バーバーだ。彼は、カーシー(バナーラスの旧名)の誕生を見たと主張し、ガウタマ・スィッダールタ、イエス・キリスト、シャンカラーチャーリヤ、プラトン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アインシュタインとも親交を結んだと語る。信者たちはバーバーの年齢を2,000歳以上と噂していた。あまりに荒唐無稽な話であるため、普通ならばこんな詐欺師にはだまされないと思ってしまうのだが、インドには信心深い人々がおり、主張が大げさであればあるほど信じてしまうこともあると考えられる。実際、弁護士のミトラは、教養ある合理主義者だったはずだが、妻の死をきっかけにすっかりスピリチュアルになってしまい、バーバーの信者になってしまった。教養人や都会人は迷信深い無教養層や田舎者を馬鹿にする傾向にあるが、いざとなったら彼らもいとも簡単にその罠にはまってしまう。「Kapurush」が個人の道徳的な欠陥を描いているとしたら、この「Mahapurush」は群衆の知的な欠陥が風刺されていると分析できる。

 ただ、ミトラの周囲にいる人々は、必ずしもミトラのようにバーバーを盲信しているようではなかった。半信半疑といったところだが、もし彼が本物だった場合、失礼なことを口走ったら罰が当たると心の中で割と真剣に恐れているようにも見えた。だから誰も表立ってバーバーを批判したり彼の正体を暴こうとしたりしていなかった。ミトラの長女ニルパマーの夫ナニーも、大学で理系学部の教授をしているようだったが、「ホモサピエンスが2,000年も生きることはありえない」と言いながらもミトラを救うような具体的な行動を取ろうとはしていなかった。教養人や都会人のこのような常に第三者的な「我関せず」の態度も風刺され批判されていたといえるだろう。

 だが、サティヤにとってはこれは死活問題だった。なぜならミトラの末娘ブチキーとの結婚が、バーバーの影響によって中止になる恐れがあったからだ。サティヤのキャラクターは、「Kapurush」の主人公アミターバと対比できるだろう。臆病な行動ばかり取っていたアミターバほどではなかったものの、サティヤもいまいち主体性に欠けていた。ブチキーに想いを伝えるために、自作の詩ではなくどこかから引用した詩を書いたラブレターを渡すところにも彼の他人任せで自信のない性格が感じ取れた。それでも、ブチキーとの結婚を勝ち取るため、彼は行動に出る。

 サティヤたちの企ては成功し、ミトラの家に居候していたバーバーは尻尾を巻いて逃げ出す。だが、その姿に滑稽さはあったものの、焦燥感のようなものはなかった。きっと彼はこれまで何度も同じ目に遭ってきたはずで、慣れっこになっているのだ。バーバーの従者は集会に集まった人々の持ち物をくすねる余裕まで見せていた。もしかしたら賢く生きているのは、都会で弁護士や教授のようなホワイトカラーではなく、バーバーのような詐欺師たちなのかもしれない。だからこその「Mahapurush(偉人)」という題名なのだろう。少し痛快な後味も残しながら「Mahapurush」は幕を閉じる。

 「Mahapurush」は、サティヤジト・ラーイ監督のまた違った一面を見られる作品だ。とかくシリアスなイメージの強い監督ではあるが、このような風刺劇も撮ることができる。セットで公開された「Kapurush」との対比でこの映画を捉えるのも重要である。