インドにおいて不仲な二国の代表とされるのは、イスラエルとパレスチナ、北朝鮮と韓国、そしてパーキスターンとインド自身である。印パ両国は元々ひとつの国であり、同じ文化を共有しているが、近親憎悪なのか、1947年の分離独立以来、少なくとも3回にわたって戦争をしている。ただ、妙な連帯感があるのも確かである。近年、印パ関係は冷え込んでおり、ヒンディー語映画界にもその影響が見受けられる。パーキスターンやイスラーム教徒侵略者を敵として描くことで国威発揚を図った愛国主義映画が目立つようになった。一方で、平和的な二国間関係の改善を願う声を根強い。そんな情勢の中、2018年9月28日に公開されたヴィシャール・バールドワージ監督の「Pataakha」は、印パ関係についてユニークなメッセージを発信する映画であった。
主演は新人のラーディカー・マダンと「Dangal」(2016年)のサーニヤー・マロートラー。他に、コメディアンのスニール・グローヴァー、曲者俳優のヴィジャイ・ラーズなどが出演している。原作はヒンディー語作家チャラン・スィン・パティクの短編小説「Do Bahanen(2人の姉妹)」である。また、題名の「Pataakha」は「爆竹」を意味する。
舞台はラージャスターン州の農村。シャーンティ・ブーシャン(ヴィジャイ・ラーズ)の2人の娘、チャンパー(ラーディカー・マダン)とゲーンダー(サーニヤー・マロートラー)は犬猿の仲で、毎日喧嘩ばかりしていた。二人は相次いで恋人と駆け落ち結婚するが、実は2人が結婚したのは兄弟で、また同じ家に住むことになってしまった。 チャンパーとゲーンダーの仲は、劇中で度々、インドとパーキスターンにたとえられる。そして印パが分離独立したように、2人の姉妹もそれぞれの夫を駆り立てて仲を引き裂き、彼らは農地を売り払って財産を山分けし、別々に暮らすことになった。そして、チャンパーは酪農を始め、ゲーンダーは教員免許取得を目指す。だが、チャンパーは声が出なくなり、ゲーンダーは目が見えなくなってしまう。しかも原因不明だった。 結局、二人は常に争い合っていないと体調を崩すのだった。父の死をきっかけに二人は久々に顔を合わせて喧嘩をし合う。そうしたら、チャンパーの喉もゲーンダーの目もすっかり治ってしまった。
単に犬猿の仲の姉妹の物語として楽しむこともできるが、印パ関係の風刺と捉えると、印パは争い合っていてこそ本領を発揮できる、という風変わりなメッセージとなる。また、ストーリーの進行で重要な役割を果たすのが、スニール・グローヴァー演じるディッパーだ。彼は隣人であり通りすがりでもあり、事あるごとに姉妹の前に現れては、彼女たちの人生を操作する。インドの古典劇などによく登場するスートラダール(ナレーター)の役割を果たしている。では、彼は印パ関係において誰に当たるのか。それも重要な示唆を孕んでいる。
ラーディカー・マダンとサーニヤー・マロートラーはどちらもデリー生まれの都会育ちで、洗練されたシティーガールを演じるのが基本のヒロイン女優の部類に入る。だが、「Pataakha」では恥や外聞をかなぐり捨て、始終怒鳴り散らし、土や埃にまみれた体当たりの演技を披露していた。ラージャスターン州の方言もマスターし、全く農村に溶け込んでいた。
チャンパーとゲーンダーは、仲が悪いながらも、お互いから離れるために協力し合っており、結局は相当な絆で結ばれていることがヒシヒシと伝わって来る。不仲な姉妹のバトル映画という変わったインド映画であったが、結局はインド映画の定番、家族愛を描いていた。劇中で、インドのアタル・ビハーリー・バージペーイー首相がパーキスターンのパルヴェーズ・ムシャッラフ大統領に言った、「敵は選べるが隣人は選べない、縁談は選べるが親戚は選べない」という台詞が出て来るが、これは、彼女たち姉妹の関係と、印パ関係の両方を象徴していた。
「Pataakha」は、哀愁漂う風刺映画に定評のあるヴィシャール・バールドワージ監督の作品で、ラーディカー・マダンとサーニヤー・マロートラーが主演し、不仲な姉妹のいがみ合いと絆を描いたコメディードラマである。印パ関係が冷え込んでいる時期に敢えて「争いあってこその印パ」という開き直ったメッセージを送っている。