現在、インドの連邦政府はインド人民党(BJP)とその連立グループである国民民主同盟(NDA)によって運営されており、カリスマ政治家ナレーンドラ・モーディーが首相を務めている。モーディー首相は就任以降、数々の大胆な政策を打ち出しており、彼の強力なリーダーシップと決断力は国民の圧倒的な支持を集めている。国民の熱狂的なモーディー熱の裏には、彼の前に首相を務めた国民会議派のマンモーハン・スィンの影響もあるかもしれない。スィン前政権が、国民会議派のソニア・ガーンディー党首の傀儡であったことは誰もが知るところであった。
2019年1月11日に公開されたヒンディー語映画「The Accidental Prime Minister」は、マンモーハン・スィンが首相を務めた2004年から2014年までの10年間の中央政治とその間のスィン首相の動向を追った伝記映画である。スィン首相のメディア顧問を務めたサンジャヤ・バールー著の同名の伝記を元に映画化された。この映画は、2019年4月~5月に下院総選挙を控えている微妙な時期に公開されており、政治的な動機に基づいて作られたプロパガンダ映画との批判も強い。
監督はヴィジャイ・ラトナーカル・グッテー。父親はマハーラーシュトラ州の地方政党でNDAの一員である国民社会党(RSP)の政治家である。過去に「The Film Emotional Atyachar」(2010年)などのプロデューサーを務めているが、監督は今回が初めてだ。主役のマンモーハン・スィン首相を務めるのは、BJPの支持者であるアヌパム・ケール。彼の妻キロン・ケールはBJPの政治家である。
マンモーハン・スィンの他にも、インド政界の有名な政治家たちが実名で登場する。ソニア・ガーンディー、ラーフル・ガーンディー、アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー、LKアードヴァーニー、APJアブドゥル・カラーム大統領などなどである。各人かなりそっくりな俳優が演じており、インド政界のウォッチャーはその点も楽しめる。時々、実際の映像も挿入されている。また、原作の著者サンジャヤ・バールーがナレーターとして登場するが、その役をアクシャイ・カンナーが務めている。
映画は決してマンモーハン・スィンを批判するような内容ではない。むしろ、「弱小首相」として揶揄されてきたスィン首相を擁護する内容であり、特に米印核合意では、左派政党の脅しに屈せず、政権を危険にさらしてまで国益のためにリーダーシップを発揮したことが肯定的に描写されていた。
「The Accidental Prime Minister」で終始批判にさらされていたのは、国民会議派の王朝政治である。インド独立後の国民会議派は、ジャワーハルラール・ネルー初代首相から始まるネルー・ガーンディー王朝の政党となっており、この血統に属する者しかリーダーになれないという暗黙の了解がある。ネルーの娘インディラー・ガーンディーとインディラーの長男ラージーヴ・ガーンディーは首相になってきた。2004年の下院総選挙で国民会議派が勝利したとき、ラージーヴの妻でイタリア出身のソニア・ガーンディーが首相になるかどうかが世間の注目を集めた。だが、インド国籍を取得しているとはいえ、イタリア出身の女性が一国の首相になることには強い抵抗があり、野党の格好の批判の的になる可能性があった。ソニアは機転を利かせて、1991年に財務大臣としてインドの経済開放を主導したマンモーハン・スィンを首相に指名し、こうしてスィン政権が始まったのだった。
だが、国民会議派にとってスィン首相は「場つなぎ」に過ぎなかった。ソニア・ガーンディーと国民会議派幹部は常に、ソニアの長男ラーフル・ガーンディーをいつ首相にするか、タイミングを見計らっていたのである。スィン政権が2期目に入り、ラーフルが40歳に達すると、ラーフルの「戴冠」がしきりに話題に上がるようになった。ちなみにラーフルの父親ラージーヴは40歳で首相に就任している。国民会議派の中でラーフルを首相に推す声が強まるにつれて、スィン首相は邪魔者扱いされるようになっていった。
この辺りの動きが、スィン政権のインサイダーであるサンジャヤ・バールーの視点から語られている。ただ、歴史的な出来事を駆け足で追っていくだけの教科書的な映画になってしまっており、ドラマチックな展開は皆無である。当時のインド政治を知る者ならば、記憶を辿って再確認していく楽しみはあるが、それ以外の人には退屈な映画に映ることだろう。個人的には、2004年から2014年の大部分はちょうどデリーに住んでいた時期と重なっており、思い入れが持てる作品となっていた。
アヌパム・ケールはマンモーハン・スィンの弱々しいしゃべり方や歩き方を大げさに演じていた。ソニア・ガーンディーを演じていたのはインドで活躍するドイツ人女優スザンヌ・バーナート。わざと彼女の訛りのあるヒンディー語を真似ていた。それ以外にも、実在の政治家の物真似がそっくりで素晴らしかった。アーハナー・クムラー演じるプリヤンカー・ガーンディーなどは本物そのままに見えた。それ以上に、実在の政治家が実名で登場するような映画を公開できてしまうところに、インドの懐の深さを感じる一方、BJPの強権的なメディア戦略も感じた。
2019年の下院総選挙で国民会議派は再びBJPに大敗を喫し、モーディー政権は2期目を迎えた。モーディー人気が根強く続く一方で、ラーフル・ガーンディーの頼りなさが露呈しており、この映画がなくてもBJPの勝利は揺るがなかったと思われる。だが、映画が政治に使われた一例として、「The Accidental Prime Minister」は記憶されることになるだろう。