Netflixによるワーナー買収がインド映画産業にもたらす影響

 2025年12月5日、Netflixが米映画会社大手ワーナー・ブラザースを約827億ドルで買収することを発表し、世界中に激震が走った。おそらく全世界の映画産業に少なからぬ影響を与えることになると考えられるが、ここではインドの映画産業に絞って、これが何を意味するのかを考察してみようと思う。執筆の上で、The Wireの記事「Netflix-Warner Bros Merger Could Spell Doom for Indian Theatres, Regional OTT Platforms」を参考にした。

 まず、ワーナー・ブラザースとインド映画産業との関わりについて概説する。

 2000年代後半、米国の大手映画会社が一斉にインド市場に打って出たことがあった。インドは世界でも類を見ないほど自国映画占有率の高い国であり、インド人観客は自国の映画を極度に好むことで知られていた。「タイタニック」(1997年)など、インドでも過去に大ヒットしたハリウッド映画はあったが、それでも限られた数の米国映画しかインドの映画館では上映されておらず、それを観る観客はさらに限定され、興行収入も基本的には頭打ち状態にあった。それは裏を返せば、まだ巨大な伸びしろのある市場でもあった。世紀の変わり目に映画が「産業」化され、FDI(海外直接投資)が認められたことで市場の自由化が進んだことをきっかけとして、米国の大手映画会社はついにインド市場攻略に乗り出したのである。

 ただ、米国の映画会社が採った手段は意外なものだった。米国映画のインド配給も続けていたが、それと平行して、インド人プロデューサーと共同してインド映画の製作を始めたのである。ソニー・ピクチャーズの「Saawariya」(2007年)やウォルト・ディズニーの「Roadside Romeo」(2008年)などがその先駆けだが、ワーナー・ブラザースは少し遅れて、「Saas Bahu aur Sensex」(2008年)、「Chandni Chowk to China」(2009年/邦題:チャンドニー・チョウク・トゥ・チャイナ)、「Atithi Tum Kab Jaoge?」(2010年)などのヒンディー語映画を製作した。

 だが、米国の大手映画会社が関わったインド映画はことごとく外れた。映画は水物なので、成否は誰の手中にもなく、たまたまそれらが揃いも揃って外れただけなのかもしれないが、どこかインド人の好みのど真ん中に行っていない的外れな作品が多かったことは、インドのローカル事情をよく知らない人々による何らかの思い込みか干渉があり、それが作品の失敗を次から次へと引き起こした疑いもあった。とにかく、2000年代後半にハリウッドの映画会社はインド市場から手痛い洗礼を受けたのである。

 ワーナー・ブラザースについては、その後インド映画の製作からは離れ、「バットマン」シリーズや「ハリー・ポッター」シリーズなど、世界市場向け映画のインド配給に専念するようになった。よって、映画製作という点では、ワーナー・ブラザースがNetflixに買収されたことによるインド映画市場への影響はないと考えられる。

 ただ、興行主側、つまり映画館側から見たら、この買収劇には不安しかないだろう。近年、インドでも米国映画の人気が上昇している。オリジナルの英語版も上映されているが、その人気を支えているのはやはりインド諸語の吹替版である。過去3年ほどの興行収入ランキングを見てみると、2022年では「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」(2022年)が3位、「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」(2022年)が11位、「ソー:ラブ&サンダー」(2022年)が15位、2023年では「オッペンハイマー」(2023年)が17位、「ワイルド・スピード ファイヤーブースト」(2023年)が19位、2024年では「ライオン・キング:ムファサ」(2024年)が11位、「デッドプール&ウルヴァリン」(2024年)が15位、「ゴジラ×コング 新たなる帝国」(2024年)が17位と、毎年上位20位に米国映画が何本か食い込むようになっている。興行主にとって、大予算を投じ最新技術をつぎ込んだエンターテイメントを基本とする米国映画は「映画館で観てこそ」という集客力があり、経営上、常に供給されていた方がありがたい。

 だが、Netflixは配信を事業主体とする企業だ。Netflixはワーナー・ブラザース買収後も劇場向けに映画製作を続けるだろうが、劇場公開よりも配信の方を戦略の軸に据える可能性が大いにある。そうすると、たとえ同社が製作する映画が映画館で上映されたとしても、一定期間で打ち切られ、後は配信でしか観られなくなるということも考えられる。話題作にそういう操作を加えることで有料会員数を増やそうとするだろう。そうなると、客入りのいい映画を長く上映することで集客し売上を上げたい映画館の経営には打撃となる。

 もうひとつの懸念点はOTTプラットフォームの寡占化が進むことである。現在、インドでもっとも多くの有料会員数を獲得しているのはJioHotstarとAmazon Indiaだといわれている。JioHotstarはインドで国民的な人気を誇るクリケット関連のコンテンツが充実しているために集客に成功しており、Amazon Indiaはネットショッピングなどの特典と合わせて会員数を伸ばしている。実はインド市場ではNetflixはこれらのOTTプラットフォームの後塵を拝している状態だ。だが、ワーナー・ブラザースを買収したことで、インドでも人気のあるDCユニバース作品、「ハリー・ポッター」シリーズや、HBOの「ゲーム・オブ・スローンズ」などのコンテンツを獲得し、そのライブラリはかなり豊富になる。

 ただでさえNetflixは、ダルマ・プロダクションズやヤシュラージ・フィルムスといったインドの大手映画会社が所有する過去の名作の数々を配信している。インド人視聴者向けオリジナル作品の製作にも積極的だ。ワーナー・ブラザースの買収によってさらにコンテンツ力が強まり、インドのOTT市場の勢力図を塗り替えることになるかもしれない。そうすると、価格競争力も強まり、価格重視傾向が一際強いインド市場において少数の強者だけが残る未来が予想される。インドにおいて現在、OTTの勝敗を分けるのは映画やドラマではなくクリケットである。特に人気なのがインディアン・プレミア・リーグ(IPL)だ。今のところIPLの放映権はJioHotstarが保持しており、そのおかげで現在の地位を確立したが、その契約更新が2027年にある。そのときにもっとも資金力のある企業がIPL放映権を勝ち取ることになるだろう。それがNetflixになる可能性がある。そうなった場合、OTT戦争は一気に決着が付くかもしれない。我々日本人は、Netflixが2026年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の独占中継権を獲得したことを知っている。

 OTT市場が寡占化してもっとも割を食うのは、インド各地で成長してきている地方語OTTの数々だ。個人的には、ハリヤーンヴィー語OTTやラージャスターニー語OTTなど、ヒンディー語の各方言で作られた映画ばかりを集めている「ローカルOTT」が生まれてきていることに注目しているのだが、その経営状況がどうなっているのかはよく分からない。少なくとも大手に対抗できるほどの資金力はないだろう。もしかしたら今後はそれらが大手OTTプラットフォームに次々と呑み込まれるフェーズに移行するかもしれない。

 以上は、買収完了までまだ時間がある上に、公表されている情報も限られている段階での勝手な予想に過ぎないので、今後どのようにでもなっていくと思われるが、今回の買収劇によってインド映画市場にも何らかの余波が届くことは確実であろう。

 最後に、日本在住のインド映画ファンとしての展望を追加しておく。近年はOTTを通して日本にいながらインド本国と大した時差なく最新のインド映画を楽しめるようになっているが、OTTプラットフォームによっては一般の日本人がどう頑張っても利用できないものがある。前述の通り、インド市場ではJioHotstarとAmazon Indiaが二強なのだが、これらはどちらも国番号「+91」から始まるインドの携帯電話番号がないとアカウントを作れない仕組みになっており、一般の日本人ユーザーは排除されている。その一方でNetflixのアカウントは全世界共通だ。言語を英語に設定すれば、英語字幕のみになるが、膨大な数のインド映画を視聴することが可能である。よって、Netflixが配信権を獲得したインド映画は日本でも楽しめることになる。NetflixがOTT戦争に勝利することは、日本の熱狂的なインド映画ファンにとって必ずしも悪いことではないかもしれない。