インド映画界に大女優は多いが、シュリーデーヴィーはタミル語、テルグ語、ヒンディー語など、各言語の映画界で多くの作品に出演したこともあり、インド全土のファンから愛された女優の一人だ。21世紀にはしばらく銀幕から遠ざかっていたのだが、「マダム・イン・ニューヨーク」の邦題と共に日本でも公開された「English Vinglish」(2012年)で復帰し、今後の活躍が期待されていたところだった。しかし、2018年2月24日に死去してしまう。そのシュリーデーヴィーの夢の一つが、娘のジャーンヴィー・カプールをデビューさせることだった。元々は「Student of the Year 2」(2019年)でのデビューが予定されていたが、制作が遅れたため、2018年6月20日公開のヒンディー語映画「Dhadak」でのデビューとなった。残念ながら、この映画が公開されたとき、シュリーデーヴィーはもうこの世にいなかった。
「Dhadak(鼓動)」は、大ヒットしたマラーティー語映画「Sairat」(2016年)のリメイクである。監督は「Humpty Sharma Ki Dulhania」(2014年)や「Badrinath Ki Dulhania」(2017年)のシャシャーンク・ケーターン。ジャーンヴィー・カプールと同時に本格デビューとなったのが、ラージェーシュ・カッタルの息子でシャーヒド・カプールの異父兄弟となるイシャーン・カッタルである。他に、アーシュトーシュ・ラーナーなどが出演している。
舞台はラージャスターン州のウダイプル。「湖の町」として知られる観光名所である。ウダイプルで観光客向けレストランを経営する一家に生まれたマドゥカル(イシャーン・カッタル)は、王族の家系の娘パルタヴィー(ジャーンヴィー・カプール)と恋に落ちる。それを知ったパルタヴィーの父親ラタン・スィン(アーシュトーシュ・ラーナー)は警察にマドゥカルを逮捕させるが、移送中のマドゥカルをパルタヴィーが救い出し、そのまま二人はムンバイーへ逃れる。二人はムンバイーからナーグプル、そしてコルカタへ流れ落ち、そこで生活を始める。
身分の違う男女が恋に落ち、駆け落ちするというプロットは、インド映画が散々使い古して来たものであり、目新しさはない。だが、インド映画の基本はハッピーエンドであり、最後に二人の結婚は許されるのが定番だ。何も知らないで観ていると、「Dhadak」もそういう流れの、何の変哲もない映画に思えて来る。
だが、「Dhadak」のラストは観客のそんな安心感を吹き飛ばす強烈なものだ。マドゥカルは、パルタヴィーとの間に生まれた子どもと共に殺されてしまう。そのショックを強調するために、最後の数分間は無音である。その後、パルタヴィーがどうなったかは分からないが、そのまま殺された可能性もあるだろう。
ラストまで観ると、「Dhadak」が名誉殺人を主題にした映画であることが分かる。名誉殺人とは、宗教やカーストなどを越え、家の反対を押し切って結婚した男女を、「家の名誉を守る」という名目で殺すことだ。過去15年間に3万人の男女や子どもが名誉殺人で殺されたと言う。
パルタヴィーを演じたジャーンヴィー・カプールは、前半と後半でキャラが異なった。前半は、王族の娘であることを鼻に掛けたような高圧的な演技であり、マドゥカルとの恋愛も彼女が完全にリードしていた。女性がリードする恋愛はここ最近のヒンディー語映画の止まないトレンドである。一方、マドゥカルを演じたイシャーン・カッタルは、ジャーンヴィーに飲まれているシーンが多かった。後半になると、パルタヴィーは弱々しくなり、マドゥカルと衝突することも増える。後半の方が2人の持ち味をよく吟味することができた。
「Dhadak」は、名誉殺人を主題にしたロマンス映画である。前半は風光明媚なウダイプルを背景にしながら、インドのロマンス映画の王道を行く展開だ。女性が恋愛をリードする点だけが現代的である。後半ではコルカタで苦労して生活する二人の姿が描写され、雰囲気はガラリと変わる。ラスト数分間が、この映画でもっとも観客に突き付けたかったものだ。単純なロマンス映画ではないが、二人の新人の実力を見るのにはいい作品である。