今日見た映画はインド映画なのに言語は英語という、いわゆるヒングリッシュ映画「Mitr: My Friend」である。2002年2月21日公開のヒングリッシュ映画である。ヒングリッシュ映画とは言いながら、実はタミル語の方が多く使われていた。主人公はタミル人家族という設定だからだ。アメリカ英語とインド英語の合間に時々タミル語が混じり、ほんの少しだけヒンディー語も出てくる。もちろん英語以外の言語が出て来たときには字幕が付く。
監督はレーヴァティー。もともと南インド映画界で活躍した女優で、今回が監督初挑戦。主演はショーバナー、ナスィール・アブドゥッラー、プリーティ・ヴィッサー。
インドの田舎生まれのラクシュミー(ショーバナー)はアメリカ在住のインド人プリトヴィー(ナスィール・アブドゥッラー)と結婚し、アメリカへ移住する。二人の間にはディヴィヤー(プリーティ・ヴィッサー)という娘が生まれる。 ディヴィヤーは高校生になった。彼女はインド人としてよりも、アメリカ人としてのアイデンティティーの方が強かった。ボーイフレンドもいたし、女子サッカーチームの選手だった。母親のラクシュミーは、ディヴィヤーに口うるさく小言を言うので、娘との関係はよくなかった。しかも夫のプリトヴィーは仕事中心の人間で、家庭と妻をあまり顧みていなかった。ディヴィヤーが、大学に進学せず、働きたいと言い出したことが原因で、ラクシュミーはディヴィヤーとも、プリトヴィーとも仲違いして孤立してしまう。その内ディヴィヤーは家を飛び出し、プリトヴィーも遠くへ長期出張へ行ってしまう。 ラクシュミーの唯一の心の支えはインターネットだった。ラクシュミーは留守中、インターネットでチャットをしている内に、相談相手を見つける。その人は「Mitr」というIDで、タミル語を理解していた。彼女はその見知らぬチャット相手のMitrといろんなことについて話をする。次第に自信を取り戻したラクシュミーは、暇な時間を見つけてワークショップやエアロビクスに通い始め、生きがいを見つけて行く。 やがてディヴィヤーとも仲直りしたラクシュミーは、遂にMitrと実際に会う決意をする。しかしそこに現れたのはプリトヴィーだった。実はMitrの正体はプリトヴィーで、ラクシュミーは実生活では喧嘩ばかりしていた夫とチャットで心を開いて話をしていたのだった。最初は困惑する2人だったが、最後にはお互いの愛を確かめ合って抱き合う。
もはやヒングリッシュ映画の定石と言っていい、「海外在住インド人家族、両親はインドの伝統を保持、子供はそれを嫌がる」という構図だった。僕はそのヒングリッシュ映画を3つに分類した。ひとつは「American Desi」(2002年)のように、最後でインド文化に回帰して行くパターン、ひとつは「American Chai」(2001年)、「Bend It Like Beckham」(2002年)のように、最後でインドの保守的文化から解放されるパターン、もうひとつは「Monsoon Wedding」(2001年)、「Everybody Says I’m Fine!」(2002年)のように、そのどちらにも当てはまらない映画である。しかし「Mitr – My Friend」は1番目のインド文化への回帰と、2番目のインド文化からの解放、両方のテーマを併せもつ映画のように感じた。それはおそらく、主人公はNRI二世の娘ディヴィヤーではなく、NRI一世の母親ラクシュミーだったからだろう。
ラクシュミーは典型的なインド人の主婦だったのだが、チャットを通して次第に家事以外の生きがいを見つけることに挑戦して行く。その一方で、関係が冷え切ってしまった夫と最後によりを戻す。娯楽映画でも芸術映画でも、インド映画を観ている限り、インド人にとって結婚は絶対であり、離婚はほとんど選択肢にないように思える。終わり方がいかにもインドらしくてよかった。
女性監督なので、やはり女性から見た男性像が鋭く描かれていた。ラクシュミーはせっかく夕食を作って待っていたのに、プリトヴィーから電話があり、「今日は夕食いらない」。ラクシュミーは作った夕食を流しに捨てる。プリトヴィーは仕事でほとんど家にいないくせに、家庭内で問題が起きると責任を全てラクシュミーに押し付ける。まさに女性からの視点だろう。男の僕まで、仕事ばかりして家庭を顧みないプリトヴィーに憎しみを感じてしまった。また、いつも小言ばかり言うラクシュミーが、急に大人しくなって何も言わなくなり、態度も冷たくなったのを感じたときの、プリトヴィーの「何が起こったんだ?」というマヌケな表情も鋭いと思った。妻から口うるさくアレコレ言われている内が華で、妻から何も言われなくなったら夫婦仲は危険信号だろう。そうなったときの夫の表情は案外情けないものだ。
どうしても比較してしまうのが、Eメールでの恋愛を描いたハリウッド映画「ユー・ガット・メール」(1998年)だろう。もっとも、「Mitr: My Friend」はヤフー・チャットでのやり取りだったが、まあ同じようなものだろう。「ユー・ガット・メール」では、実生活では仲違いしている2人の男女が、Eメールでは心を開いて会話ができるという設定、「Mitr: My Friend」ではそれが夫婦になっただけだ。もしこの2つの映画に白黒つけるとしたら、圧倒的に「Mitr: My Friend」だと思う。「ユー・ガット・メール」ではインターネットが現代風の恋愛を演出していたに過ぎないが、「Mitr: My Friend」はインターネットだけでなく、他にも多くのことがテーマになっており、インド映画のエッセンスも微妙に入っているため、見ていて飽きない。また、チャット相手が夫だったという事実をストーリーの結末に持って行ってどんでん返しを計るのではなく、終盤に差し掛かったところでさりげなくネタばらしをして、観客の気持ちを安心させ、あとは結末までスムーズに流して行く手法もインド的で見事だった。もしどんでん返しを計ろうとしたら、多分アッと驚く人は多くなく、「予想通り・・・」と白ける人が大部分を占めてしまっただろう。インド映画で重要なのは、観客を最後で驚かせることではなく、映画館中の観客の気持ちをひとつの流れに乗せて、観客が望む方向へうまく持って行くことだと思う。