Collective Dreams Stitched Into December

3.0
「Collective Dreams Stitched Into December」

 「Collective Dreams Stitched Into December」は、2025年10月10日に山形国際ドキュメンタリー映画祭にてプレミア上映されたインドのドキュメンタリー映画である。監督はバッパーディティヤ・サルカールで、「12月に編まれた夢のあつまり」という邦題が付けられた。言語は、一部ベンガル語やマールワーリー語が使われているものの、主体はヒンディー語であり、ヒンディー語映画と見なしていいだろう。同年10月18日に東京外国語大学南アジア研究センターにて監督を交えて行われた上映会に参加し鑑賞した。

 バッパーディティヤ・サルカール監督は、名前からベンガル人であることが分かるが、ラージャスターン州のジャイプルで生まれ育っており、この「Collective Dreams Stitched Into December」もジャイプルやその周辺で撮影が行われている。監督の弁によると、映画で使用された映像は全て2024年12月に撮影されたものとのことである。特に計画や目的なく撮影された映像をつなぎ合わせたコラージュ作品と呼ぶことができるだろう。

 12月の北インドは寒い。映画の中では「昔に比べて寒くなくなった」という言葉も聞かれたが、日本人が想像するよりも寒い。インドの冬は「貧乏人には厳しい季節」とされている。なぜなら、寒さをしのぐためには毛布などの「物」が必要だからだ。映像に計画や目的はない、とはいいながらも、まず12月という月が選ばれたことには特別な意図を感じる。「物語の帝王」と呼ばれた作家プレームチャンドの作品群の中にも「Poos Ki Raat(12月の夜)」という短編小説があったのを思い出した。映画の中では、早朝にヒンディー語紙「Dainik Bhaskar」を配達する配達員たちの、寒さに凍える姿が映し出されていた。

 また、1927年12月25日にBRアンベードカルがマヌ法典を燃やしたことがあった。アンベードカルはダリト(不可触民)出身の国際政治学者で、独立インドの憲法を起草したことで有名である。また、マヌ法典は、カースト制度や男尊女卑などを規定した悪名高いヒンドゥー教の法典だ。不可触民差別と戦ってきたアンベードカルはマヌ法典を差別の元凶だと考え、公衆の面前で燃やして見せたのである。この出来事を記念しようと、毎年12月25日が近づくとダリトたちの活動が活発になる。さらに、ジャイプルの高等裁判所敷地内には、マヌ法典を作ったとされるマヌの像が立っており、度々物議を醸している。この辺りの映像がつなぎ合わされることで、ダリトたちに焦点が当てられる。

 そうかと思えば、バングラデシュ人監督の短編映画上映会を映した映像が流れ、それを鑑賞した若者たちが映画について感想を述べ合う姿も映し出される。その映画は、社会における女性の地位の低さを訴えるものであったようで、若者たちが真剣に意見をぶつけ合っていた。

 これらの映像がコラージュされて進行していくわけだが、中には単に工場で女性労働者たちが布団を縫っている映像も含まれている。題名には裁縫をイメージする「Stitched」という言葉が入っているが、これはこの映像から連想されたものであろう。12月のジャイプルにて、一見ランダムに記録された映像が、布団工場での縫製作業イメージを重ねることで、縫い合わされていき、監督が込めた特定の意図が浮かび上がってくるという構図になっている。

 さらに、バッパーディティヤ・サルカール監督は詩人でもあるらしく、コラージュ映像の合間に、自然風景の映像と共に、森林がブルドーザーによって破壊されていく様子を描写した詩が朗読される。最終的にはこの詩が映画全体をまとめる縦糸になる。

 後半になると、ランダム性が薄まり、映像は目的を帯びていく。ラージャスターン州東部にチャンバル渓谷と呼ばれる地域がある。この地域では干魃が続き、作物が育たず、盗賊が跋扈していることで知られている。ただ、近年、ため池を作るなどして水資源の有効活用が進み、チャンバル渓谷に緑が広がりつつあるという。それは吉報なのだが、これが逆にトラブルを引き起こしている。なぜなら緑地になったことで土地の利用価値が上がり、貪欲に利益を求める政治家や実業家に目を付けられてしまったのだ。ランタンボール虎保護区をチャンバル渓谷まで拡張する計画が持ち上がり、それを大義として、元々この地域に住んでいたアーディワースィー(先住民)たちが立ち退きを要求されているのである。このような動きに対し、この土地に先祖代々住んできたアーディワースィーたちが徹底抗戦しようとする姿やデモ活動が比較的まとまった形でクライマックスに置かれていた。

 この映画がこれらの映像によって訴えようとしているのは、虐げられてきた者たちの反乱であることは間違いない。題名になっている「集められた夢(Collective Dreams)」によって形成されるべきものは、インド社会において、それぞれの立場で抑圧を感じている人々が、共通して求めている真の自由だといえる。前半部分では、映像が淡々とつなぎ合わされていたため、そのような運動性が見受けられなかったが、チャンバル渓谷のアーディワースィーたちに焦点が移った瞬間から、急に圧政に対する蜂起の香りが漂うようになる。それを象徴するように、ブルドーザーの詩では、カラスたちが集まり、森林を破壊する者に立ち向かう様子が描写される。

 ドキュメンタリー映画に詩を重ねる手法は、「All We Imagine As Light」(2024年/邦題:私たちが光と想うすべて)などで有名なパーヤル・カパーリヤー監督が過去に撮ったドキュメンタリー映画群を想起させる。ドキュメンタリー映画は基本的に事実を映し出すものだが、詩と融合させることで虚構性が生じ、想像力が入り込む余地が生まれる。本来ならばバラバラの映像の寄せ集めのはずだが、合間に詩を差し挟むことで、それらが不思議と統合され、ひとつの物語を成す。寒さに震える貧しい人々のちょっとしたつぶやきすらも詩の一部として溶け込んでいく。サルカール監督やカパーリヤー監督の作品を観ていると、インドにおいてドキュメンタリー映画の新たな可能性が開拓されつつあるのではないかと感じずにはいられない。そしてそれは、監督の意図の有無にかかわらず、挿入歌の歌詞に重きを置くインド娯楽映画の真髄に近づくことでもあると主張したい。

 「Collective Dreams Stitched Into December」は、12月のジャイプルなどで撮影された雑多な映像をコラージュしたドキュメンタリー映画であるが、それらは詩によってまとめられ、しかも強烈なメッセージ性が込められている。受け身で観るよりも積極的に解釈に乗り出して観ることを求められる作品で、観る人を選ぶかもしれない。だが、ドキュメンタリー映画の新たな可能性を示してくれている佳作である。