Kaalidhar Laapata

2.5
Kaalidhar Laapata
「Kaalidhar Laapata」

 2025年7月4日からZee5で配信開始された「Kaalidhar Laapata(行方不明のカーリーダル)」は、タミル語映画「K.D.」(2019年)のヒンディー語リメイクである。「K.D.」を撮ったマドゥミター監督自身が「Kaalidhar Laapata」を監督している。

 プロデューサー陣には「Kal Ho Naa Ho」(2003年)などのニキル・アードヴァーニーが名を連ねている。主演はアビシェーク・バッチャン。他に、ムハンマド・ズィーシャーン・アイユーブ、ダイヴィク・バゲーラー、ニムラト・カウル、ヴィシュワナート・チャタルジー、マドゥリカー・ジャトーリヤー、プリヤーンク・ティワーリー、プリヤー・ヤーダヴなどが出演している。

 マディヤ・プラデーシュ州スィーホール在住の中年男性カーリーダル(アビシェーク・バッチャン)は軽い認知症を患っていた上に幻覚を見るようになっていた。彼の2人の弟マノーハル(ヴィシュワナート・チャタルジー)とスンダル(プリヤーンク・ティワーリー)は借金苦に直面しており、カーリーダル所有の不動産を売却して現金を作ろうとしていた。カーリーダルを殺す勇気がなかった二人は、彼をクンブメーラー祭で捨ててくることにする。

 マノーハルたちは、カーリーダルの妹グリヤー(プリヤー・ヤーダヴ)の反対を押し切って、彼をクンブメーラー祭へ連れて行く。そこでカーリーダルは三人とはぐれる。カーリーダルは、三人が自分を捨てようとしていたことを知ってしまい、自らバスに乗って立ち去る。

 カーリーダルが降り立ったのはボージプルだった。彼は寺院で育った孤児バッルー(ダイヴィク・バゲーラー)と親友になり、一緒に商売を始める。バッルーはカーリーダルに「KD」という新しい名前を与え、彼もそれを気に入る。バッルーはカーリーダルのバケットリストを聞き出し、ひとつひとつかなえてあげる。

 一方、マノーハルたちはクンブメーラー祭で形式的に捜索届を出しており、その担当になったのがスボード(ムハンマド・ズィーシャーン・アイユーブ)だった。スボードは、カーリーダルを見つけ出せば子宝に恵まれるという予言を信じ、真剣に彼を探し始める。マノーハルたちも、せっかく用意した書類が火災で焼けてしまい、カーリーダルの存在が再び必要になる。スボードは、聞き込み調査の結果、カーリーダルがボージプルにいることを突き止める。

 カーリーダルとバッルーは、メーラーで演技をしたことで認められ、劇団と共にラージガルに来ていた。バッルーはカーリーダルに洋酒をプレゼントするが、それを飲んだ途端、カーリーダルの容体が悪化し、意識を失ってしまう。一命は取り留めたが、カーリーダルは自分の死後のことを考え始める。カーリーダルにはミーラー(ニムラト・カウル)という初恋の人がおり、二人で彼女に行く。その後、カーリーダルはバッルーを学校に送る。

 家に戻ったカーリーダルは、自宅を売却し、財産を4等分する。1/4は借金返済に、1/4はグリヤーに、1/4はバッルーに相続されることになった。

 この映画の主人公はアビシェーク・バッチャン演じるカーリーダルである。カーリーダルが行方不明になるところから映画が始まるが、カメラが映し出すのはカーリーダルを探す兄弟ではなく、カーリーダル自身であり、カーリーダルが主人公ということで間違いないだろう。

 だが、このカーリーダルがもっとも謎の人物であった。なぜ謎かといえば、カーリーダルの人物像がうまく掘り下げられていなかったからである。彼は認知症を患い、幻覚も見るようになっており、しかも何らかの病に冒されていて、余命わずかであるようだった。カーリーダルは独身で、2人の弟と1人の妹がいた。カーリーダルは教育を受けておらず、読み書きができなかった。どうやら両親の死後、彼が働いて弟や妹を学校に通わせたことで、彼らは教育を受けられたが、カーリーダル自身は文盲のまま成長してしまったらしかった。それにもかかわらず彼は土地を購入し家を建て、兄弟を住まわせていた。「~ようだ」「~らしい」と書かなければならないのは、映画の中ではっきりと紹介されていないからである。カーリーダルの正体がよく分からないことで、この映画の世界にいまいち入って行きにくかった。

 一方、カーリーダルの弟マノーハルやスンダルたちの行動や動機は手に取るように分かった。彼らは金欠状態にあり、現金を欲していた。カーリーダルの治療代がかさんで借金をしていたこともあるが、どうもそれだけではないようだった。カーリーダルが死ぬ前に彼の所有する資産の相続手続きをしておこうとしており、あわよくば、すぐにでも彼の家や土地を売って現金にしようとしていた。カーリーダルが死ぬのを待てず、遺書に拇印だけさせて、彼を殺してしまうともしていたが、それはいくら何でも残酷だということで、カーリーダルをクンブメーラー祭に捨ててくることにしたのである。

 クンブメーラー祭とは、ヒンドゥー教4大聖地、すなわち、ウッタラーカンド州のハリドワール、ウッタル・プラデーシュ州のプラヤーグラージ(旧名イラーハーバード)、マディヤ・プラデーシュ州のウッジャイン、そしてマハーラーシュトラ州のナーシクで3年に1度、持ち回りで開催されるヒンドゥー教の大祭である。「Kaalidhar Laapata」はマディヤ・プラデーシュ州各地で撮影が行われているため、この映画に出て来たクンブメーラー祭はウッジャインのものだと見ていいだろう。直近では2016年に開催された。ただ、実際にウッジャインで撮影されていないと思われる。風景から察するに、どうもオールチャーで撮影されたのではなかろうか。

 クンブメーラー祭は毎回数億人が参加する世界有数の大祭である。あまりに多くの人が詰め掛けるため、毎年多くの行方不明者が出る。それは単なる行方不明ではなく、誘拐ということもありえる。クンブメーラー祭には多くのサードゥ(行者)が訪れるが、サードゥの中には犯罪者も多いとされ、クンブメーラー祭のような機会に乗じて小さな子供を誘拐して弟子にしてしまうことは昔からあったとされる。また、「Kaalidhar Laapata」で描かれていたように、わざと高齢者など家族に不要な人間を人混みの中に放り出して厄介払いしてしまう悪質な家族もあるようだ。日本の「姨捨山」を想起させる習慣である。

 カーリーダルには、自らの人生を犠牲にして家族を養ってきた自負があった。その家族から捨てられようとしていた。それを知ったカーリーダルは絶望し、自ら行方不明になる。彼が流れ着いたのはボージプルであった。

 ボージプルは、2m以上の高さを誇る巨大なシヴァリンガを祀るボージェーシュワル寺院で有名な町だ。カーリーダルはとりあえずボージェーシュワル寺院の境内で寝泊まりしながら小間使いのような仕事をし始める。そこで出会った少年がバッルーであった。バッルーは生後4日のときにボージェーシュワル寺院に捨てられた子供で、以来、この境内でたくましく育ってきた。バッルーは、文字の読み書きができないカーリーダルに先輩風を吹かし、面倒を見るようになる。やがてカーリーダルとバッルーは大の親友となり、商売のパートナーにもなる。

 バッルーを演じたダイヴィク・バゲーラーにとって、本作が初の映画出演である。だが、それが信じられないくらい生き生きとした演技をしていた。よく正体が分からないカーリーダルは、ボージプルに流れ着いて以降もふさぎ込んでいるばかりで、いまいち何がしたいのかよく分からないのだが、バッルーが積極的に話しかけることで、彼の内面を少しだけ引き出すことができていた。バッルーはカーリーダルのバケットリストを作り、それをひとつひとつかなえようとする。ただ、バッルー自身にも人生の目的がなく、この二人がお互いに寄り添ったところで、何か物事が好転するわけでもなかった。結局、カーリーダルは最後にバッルーを学校に送る。教育の大切さを訴えたいのだろうが、何だか普通の終わり方になってしまった。

 ボージプルに着いて以来、カーリーダルはとにかくビリヤーニーに異常な執着をしていた。それは単なる好みではなく、伏線であった。彼が毎日ビリヤーニーばかり食べていた理由は、昔の恋愛と関係していた。カーリーダルにはミーラーという恋人がおり、結婚寸前まで行ったが、家族内の問題により実現せず、彼は逃げてしまった。ミーラーとの出会いは彼女が作ったビリヤーニーがきっかけだった。終盤にカーリーダルはミーラーと再会するが、彼が彼女に求めたのもビリヤーニーだった。「Ustad Hotel」(2012年/邦題:ウスタード・ホテル)に並ぶビリヤーニー映画だ。

 映画の中には少しだけナウタンキーのシーンがある。ナウタンキーとは北インド一帯で演じられる大衆演劇のことだ。ナウタンキーの劇団は、特定の拠点で定期公演を行うものもあるが、メーラーなどを巡って各地で上演を行う巡回劇団もある。カーリーダルはナウタンキーでステージに上がって演技を行い喝采を浴びる。ただ、次の公演で何か失敗したらしく、すぐに劇団から追い出されてしまっていた。

 「Kaalidhar Laapata」の人物設定やストーリーに違和感を感じるのは、おそらくタミル語映画を無批判に北インドに置き換えてヒンディー語映画にしてしまったからだと予想される。カーリーダルの年齢で読み書きができないインド人は、皆無とはいわないが、今の時代、非常に違和感を感じる。ましてや彼は家を建てるくらいの資産を築いた人物なのである。もしかしたらタミル・ナードゥ州ではそういうことがあるかもしれないが、北インドを舞台にした映画としては実感が沸かない。また、唐突にナウタンキーが出て来るのも、原作映画にあった設定をそのまま持って来たからそうなったのではないかと考えられる。同じインドとはいっても、緻密な考証なしの安易なリメイクは、南から北であっても北から南であっても、失敗する確率が高い。

 「Kaalidhar Laapata」は、認知症と幻覚症状を患い、余命少なく、家族から捨てられた男性が、新たな出会いを通して、人生でやり残したことをひとつひとつこなしていくという物語である。だが、主人公の人物像、行動、心情などがいまいちうまく描き切れておらず、中途半端な印象を受けた。おそらく原作のタミル語映画にあったエッセンスをうまくヒンディー語映画化できなかったからだと思われる。OTTリリースは妥当な判断である。