
2010年10月15日公開の「Kajraare(アイシャドーの女)」は、映画音楽監督かつシンガーソングライターかつ俳優というマルチタレントなスター、ヒメーシュ・レーシャミヤーが主演した4本目の作品である。ヒメーシュの人気絶頂期は「世界で2番目に売れたアルバム」(参照)と噂される「Aap Kaa Surroor」(2006年)の頃で、「Kajraare」が公開されたときには既に彼の人気は一段落していた。
監督は「Paap」(2004年)のプージャー・バット。脚本はプージャーの父親マヘーシュ・バットで、プロデューサーはブーシャン・クマール。どちらも業界の重鎮である。作曲はもちろんヒメーシュ・レーシャミヤーで、作詞はサミールが担当している。また、主演ヒメーシュが全ての挿入歌を歌っている。典型的なヒメーシュ映画である。
バット・キャンプの作品らしく、印パ両国の俳優たちが起用されている。ヒロインはパーキスターン人女優サラ・ローレン。彼女にとってはヒンディー語映画デビュー作となる。彼女の他に、少なくとももう2人、パーキスターン人俳優が出演している。アドナーン・シャーとジャーヴェード・シェークである。その他はインド人俳優で、アムリター・スィン、ナターシャ・スィナー、ガウラヴ・チャナーナー、グルシャン・グローヴァー、アヌパム・シャームなどだ。
この印パ混合のキャスティングは、印パ関係の悪化によってパーキスターン人俳優の起用禁止または自粛が続いている2025年6月17日に観ると非常に新鮮に見えた。この映画の公開時はまだインドに住んでいたが、映画館では鑑賞しなかった。
英国在住のインド系人気歌手ロッキー・デーサーイー(ヒメーシュ・レーシャミヤー)は、飛行機で移動中、ハイジャック犯のスルターンを取り押さえ、彼を誤って殺してしまう。スルターンの兄バーバル・アルターフ・カーン(アドナーン・シャー)は恐ろしいテロリストで、ロッキーの命を付け狙うようになった。英国警察のアヴタール・スィン(グルシャン・グローヴァー)はロッキーを救うため、彼に新しいアイデンティティーを与えた。以降、ロッキーはラージーヴ・ベヘルと名乗って隠遁生活を送るようになる。だが、彼は英国に住む障害児の妹に時々会いに行っていた。それがあだとなり、バーバルに妹は殺されてしまう。
傷心のロッキーはヨルダンでナルギス(サラ・ローレン)という美女と出会う。ロッキーは彼女を追ってドバイへ行く。ナルギスはラホールの売春街ヒーラーマンディーに住むタワーイフで、巡業のためにヨルダンやドバイに来ていた。ロッキーはドバイでナルギスと親しくなるが、あるとき彼女は何も告げずにパーキスターンに帰ってしまう。ロッキーはパーキスターンまで彼女を追い掛けていく。
ロッキーは娼館の主ゾーラー・バーノー(アムリター・スィン)に直談判し、ナルギスと結婚しようとするが、ゾーラーはそれを拒絶する。だが、金と引き換えにロッキーがナルギスと会うのは許した。ナルギスは彼を信用するようになるが、彼の名前が実はラージーヴではなくロッキーであることを知り、ショックを受ける。ロッキーは彼女をゾーラーから買い上げると約束するが、アヴタールに捕まり、約束を果たせなかった。裏切られたと感じたナルギスは富豪の愛人になることを決意する。
バーバルはロッキーがラホールにいることを察知し、彼を殺すためにラホール入りする。そしてアヴタールの隠れ家を見つけ出し、襲撃する。アヴタールが犠牲になるものの、ロッキーは脱出に成功する。バーバルはナルギスを拉致してロッキーをおびき出す。ロッキーはバーバルと戦い、彼を殺す。そしてナルギスと結婚する。
マヘーシュ・バットを中心に家族で映画作りを行うバット・キャンプの醍醐味はB級映画だ。「Kajraare」は、いきなりヨルダンの砂漠や世界遺産のペトラなどの美しくも荒涼とした風景をバックに物語が始まり大作を思わせるが、やはりすぐに安定のB級映画に着地し、その低空飛行が最後まで続く。途中で変に盛り上がるところはない。
シンガーソングライターとして一世を風靡したヒメーシュ・レーシャミヤー主演の映画なので、やはりまずは音楽の出来が重要である。音楽センスで定評のあるブーシャン・クマールがプロデューサーなので期待してしまうが、「Kajraare」の挿入歌の数々は、ヒメーシュらしいといえばヒメーシュらしいのだが、ヒメーシュらしさからあえて脱却しようとしておらず、そこに冒険心はないし、歌詞に深みもない。ファンが期待する通りの歌を作り、歌っているだけである。端的にいえば、期待通りだが期待外れという評価になる。
バット・キャンプの映画なので、ストーリーは分かりやすい代わりに目新しさはない。エモーション優先でストーリーが雑なので、突っ込み所はたくさんある。たとえば、ロッキーの命を執拗に狙うバーバルは最たる謎キャラだ。本業はテロリストのはずだが、それを忘れて弟の仇討ちに執念を燃やす。やたらロッキーに親切なアヴタールもバーバルに匹敵するほどの謎キャラだ。彼がなぜロッキーをここまで助けるのか分からない。もちろん、主人公ロッキーもよく分からないキャラだ。人気歌手だったという過去はヒメーシュ映画なのでお約束として、ハイジャック犯を誤って殺してしまったことで過去を捨てて別人として生きるようになったという設定は、サラリと語られていたが、そんな単純なものではないだろう。ロッキーの人生にとって、こちらの方が重要で、ナルギスとの恋愛など二の次にしてもいい問題だ。ロッキーがなぜナルギスにそこまで執着するのかもよく分からない。基本は恋愛映画だが、主人公のバックグラウンドストーリーをあっちこっちに広げすぎたために、肝心の恋愛の密度が薄まってしまっていた。あまりにチグハグである。
パーキスターンが全く敵国として描かれていないのは新鮮だった。むしろテロリストが印パ両国の共通の敵として認識されていた。もちろん、パーキスターンの俳優を起用しており、パーキスターン市場でも売ることを意識して作っているため、あからさまな敵視はできなかったのだと思う。
「Kajraare」は、B級映画の雄バット・キャンプとヒメーシュ・レーシャミヤーがタッグを組んで作ったヒメーシュ映画である。期待通りのB級映画だが、その期待の奥底には別の期待も隠れていて、その隠れた期待にはとても応えられていないという複雑な心境を催す作品であった。印パ両国の俳優たちが仲良く演じている姿は微笑ましかった。ヒメーシュ・ファンでなければスキップしていい映画である。