
2025年4月25日公開のタミル語映画「Sumo」は、我々日本人にとって特別な作品だ。そう、題名の「Sumo」とは、日本の国技である相撲だ。「Sumo」は、タミル・ナードゥ州に漂着した日本人力士を巡るコメディー映画であり、きちんと相撲の試合で締められている。また、この手の映画にありがちなのが、日本人といいながら中国人やノースイースト人が起用されるパターンだ。だが、「Sumo」では日本人の元大相撲力士で俳優の田代良徳がその力士役を演じている。日本人の観点から見たらおかしな部分もたくさんあるのだが、「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)から始まった日印両国の映画の縁がこうしてインド製相撲映画として結実したことには感慨深いものがある。
ただ、残念ながら「Sumo」はタミル語映画界の第一線で活躍する才人たちが集って作ったような作品ではない。端的にいえば、無名の監督や俳優たちによる低予算映画である。監督からして、SPホーチミンという、大した実績を持っていない人物だ。主演のシヴァーは2001年にデビューした俳優で、タミル語映画界限定で長くキャリアを積んできたが、スーパースターというわけでもない。ヒロインのプリヤー・アーナンドは「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)に脇役で出演していた女優だが、やはりトップ女優ではない。
キャストとスタッフの中でもっとも注目されるのは撮影監督のラージーヴ・メーナンだ。彼の監督作「Sarvam Thaala Mayam」(2019年/邦題:響け!情熱のムリダンガム)は日本でも劇場一般公開され好評を博した。また、一度見たら忘れない独特の風貌をし、数多くのタミル語映画に顔を出しているコメディアン俳優ヨーギー・バーブーも出演している。
「Sumo」の日本ロケが行われたのは主に富山県である。富山県は10年以上前から積極的に映画やドラマのロケを誘致しており、「Theeya Velai Seiyyanum Kumaru」(2013年)などのインド映画のロケ誘致にも成功している。2019年に富山県各地で撮影された「Sumo」は同県ロケ4本目のインド映画になるという。ただし、そこは東京ということにして撮影が行われていた。「東京に着いた」といいながら実際には富山きときと空港だったり、東京とはとても思えないようなシャッター通り商店街が出て来たりと、日本人の脳裏にはどうしても不必要な情報まで入り込んできてしまうのだが、違った楽しみができる。
タミル語映画であり、セリフは基本的にタミル語である。日本のシーンでは俳優たちは日本語のセリフをしゃべっているが、そこにはタミル語の音声がオーバーラップされている。英語字幕を頼りに内容を理解した。
舞台はタミル・ナードゥ州にある海岸沿いのケーランバッカム。ジャック(VTVガネーシュ)は飲酒運転で警察に捕まり、トランクに入っていた箱と共に警察署に連行される。警察は彼を不審者だと考え、箱を開けさせようとするが、彼はそれを拒否し、代わりに物語を語り始める。
ジャックのレストランで働き、サーフィンを教えていたシヴァー(シヴァー)は、ある日海岸で大男が漂着しているのを見つける。シヴァーは彼をガネーシュ(田代良徳)と名付けた。ガネーシュはよく食べたが一言もしゃべらなかった。ガネーシュはシヴァーになつき、ひとときも彼と離れようとしなかった。住民たちからガネーシュはラッキーマスコット扱いされる。
シヴァーはガネーシュが日本から来たのではないかと考え、日本に詳しい旅行業者アサヒ・サケに相談する。アサヒは彼が日本人の力士であること、本名は「タシロ」であること、そして横綱であることなどを突き止める。だが、彼は何者かに命を狙われていた。シヴァーはジャックと共にガネーシュを日本に送り届けることにする。
日本に着いたシヴァー、ジャック、ガネーシュは寺に連れて行かれ、住職に迎えられる。ガネーシュは治療を受け、記憶を取り戻していく。相撲界では賭博マフィアによって八百長が横行していたが、ガネーシュの師である住職は賄賂の受け取りを拒否したため、目を付けられた。マフィアはCMの撮影を装ってガネーシュを連れ出し、睡眠薬によって昏睡させてベンガル湾に突き落とした。だから彼はタミル・ナードゥ州の海岸に漂着したのだった。住職はシヴァーに対し、今度行われる試合でガネーシュが優勝することが必要だと説く。
マフィアによって住職は殺されるが、ガネーシュはその悲しみを乗り越え、試合に出場する。そして勝ち抜いていき、決勝戦でマフィアの息の掛かった力士と対戦して優勝する。
その後、シヴァーとジャックはインドに戻り、シヴァーは恋人カニモリ(プリヤー・アーナンド)と結婚してオーストラリアに移住してしまった。一人残されたジャックはレストランも閉業し飲んだくれていたが、ある日彼は海岸に箱が漂着しているのを見つけた。それが警察署まで運ばれたその箱だった。ジャックがその箱を開けると、中には大量の金塊があった。ジャックはその金塊を少しだけ警察に渡し、姿を消す。
インド人が作った相撲の映画ということで、「どんなことになっているのだろう?」という好奇心と「どんなことになってしまっているのだろう?」という不安を胸にこの映画を見始めた。すぐに低予算映画であることが分かったが、それ自体は決してマイナスではない。行き当たりばったりの取って付けたようなストーリーであったが、それゆえに先が容易に見通せず、妙なサスペンスがあったのが功を奏した。序盤からコント劇のような安っぽいコミックシーンが続くが、それも味があるといえないことはない。
オープニングクレジットで「Introducing(新人)」として大々的に紹介された田代良徳の出番は想像以上に多く、本当に主役級の待遇であるが、彼がセリフをしゃべるシーンはなんとほとんどない。記憶喪失および幼児返りをしているという設定で、四六時中お菓子を食べてばかりいる。インドのシーンにおける彼の最大の見せ場は、ガネーシャ神のマスクをかぶって踊るダンスシーン「Ganapathi」だ。
だが、日本のシーンに移ってからはきちんと髷を結って力士らしい風貌になり、実際に土俵で相撲を取る。そういえば「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)にも力士が出て来たが、それと比べたら雲泥の差だ。元大相撲力士で、玉ノ井部屋で朝青龍と同期だった田代良徳がいるおかげで本物の相撲をしていた。もっとも本物に近い相撲を映像化したインド映画であることには違いない。
日本人としては、インド映画が日本の風景の中で進行することに、ついついあべこべの異国情緒を感じてしまう。しかも、東京や京都といったありきたりの日本ではなく、富山県である。丼でインド料理を食べている感覚であった。劇中に登場した年季の入った相撲場が気になったが、伏木海陸運送株式会社が所有しているものとのことである。その他、富山市にある豪農の館内山邸、高岡市にある雲龍山勝興寺、射水市にある海王丸パークなどでロケが行われていた。
タミル語映画界から日本へのラブコールも感じた。タミル・ナードゥ州に漂着後、記憶喪失になっていたガネーシュは、日本の国旗とラジニカーントを見て考え込む。それらが彼の正体を知るヒントになった。はっきりいって日本の国旗だけでも彼が日本人であることを連想するのに十分なのだが、それにラジニカーントが追加されていたのは面白い。日本ではラジニカーントが人気だということは世界的に有名だとされ、彼が日本人である可能性が高まるのである。だが、ラジニカーント・ファンの横綱はさすがにまだ誕生していないのではなかろうか。
日本通かつ日本かぶれのアサヒ・サケというキャラクターも登場する。常時浴衣を着ており、眉毛がなぜか強調されている。名前はどうやら「アサヒビール」と「酒」から取られているようである。インド人の間で日本人というと「目が細い」というイメージがあるのだが、アサヒは目を見開いていた。そして、「アリガトゴザイマス」を連発する。
インド側の舞台になっているケーランバッカムは実在する地名である。チェンナイとマーマッラプラム(マハーバリプラム)の中間点に位置する。シヴァーのサーフィン教室があったのはコヴァーラム・ビーチだが、これはケーララ州の有名な同名ビーチとは異なる。ケーランバッカムにあるビーチである。
シヴァーがガネーシュをイドリー(豆と米のペーストから作られる発酵蒸しパン)の大食い競争に出場させるシーンがある。マンゴーの早食い競争は知っているが、南インドにはイドリーを食べまくる競技があるとは初耳だった。機会があったら是非出場してみたいものである。
「Sumo」は、インドで作られた相撲映画ということで、それだけで日本人の関心を引くだろう。元大相撲力士の田代良徳が力士として出演していることで一定の信頼感があるし、富山県でロケが行われた点もポイントが高い。だが、低予算の企画であり、近年の日本にどんどん流入しているようなメインストリームの娯楽大作とはまた別次元の作品だ。本来ならば2021年公開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期が繰り返されたのは不幸だったが、そのようなお蔵入り寸前の作品が大ヒット作に化ける確率は低く、案の定、インド本国ではフロップに終わった。それでも、日本人としては好奇心をそそられる作品であり、その好奇心を軸にして鑑賞するならありであろう。