The Disciple (Marathi)

4.5
The Disciple
「The Disciple」

 2020年9月4日にヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、2021年4月30日からNetflixで配信開始されたマラーティー語映画「The Disciple」は、古典音楽の道を志す若者の夢と葛藤を描いたドキュメンタリー風味の作品である。日本語字幕付きで、邦題は「夢追い人」になっている。

 監督は「Court」(2015年/邦題:裁き)のチャイタニヤ・ターマーネー。キャストは、アーディティヤ・モーダク、アルン・ドラヴィル、スミトラー・バーヴェーなど。

 2000年代半ば。ムンバイー在住のシャラド・ネルールカル(アーディティヤ・モーダク)は師匠のヴィナーヤク・プラダーン(アルン・ドラヴィル)から古典声楽を習っていた。シャラドはヴィナーヤクをとても慕っており、人生を捧げていた。ヴィナーヤクの師匠はスィンドゥバーイー・ジャーダヴ、通称マーイー(スミトラー・バーヴェー)で、既に亡くなっていたが、シャラドはマーイーが古典声楽について行った講義の録音テープを持っており、それをよく聴いていた。

 2010年代後半になっていた。シャラドは古典声楽の教師になっていたが、今でもヴィナーヤクの面倒を見ていた。ヴィナーヤクは年老いており、金銭的にも困窮していたが、シャラドが支えていた。

 2020年。シャラドは結婚し、一人娘を授かっていた。シャラドは会社を立ち上げ、ヴィナーヤクの属するアルワル派の音楽を後世に残そうとしていた。

 映画は古典音楽のコンサートから始まる。楽団の中心に座った一人の老人が歌を歌うが、カメラは彼ではなく、その後ろでタンプーラーを伴奏する一人の青年にゆっくりとフォーカスされていく。題名の通り、この映画は師匠ではなく弟子が主人公の映画である。

 インド古典芸能の世界では、「グル・シシャ・パランパラー」と呼ばれるシステムで知識と技能が伝達されていく。これは日本でいう師弟制度である。弟子は師匠から学ぶだけでなく、師匠の家に住み込んで共に生活し、世話をする。一緒に生活し、人生を師匠に捧げることで、全人的に伝統を受け継いでいく。「The Disciple」の主人公シャラドも、師匠と同居はしていなかったものの、師匠をひたすら敬いながら、古典声楽を真摯に求道していた。

 「The Disciple」は「Court」と非常によく似た手法で撮られた作品である。カメラは固定であることが多く、登場人物の表情や行動をジッと見つめる目になる。それ以上のことはしない。登場人物も心情を吐露することはない。特にシャラドは決して表情が豊かな人物ではない。彼の無表情な表情の中から感情を読み取り、解釈していく必要がある。

 「The Disciple」がもっとも鮮明に描き出すのは、古典声楽の清浄な世界がポピュラーミュージックやエンターテイメント産業によってどんどん浸食されていく有様である。歌がうまければ、金を稼ぐことができる。だが、それは芸術を志す者が目指すべき道ではない。シャラドは、直接の師匠であるヴィナーヤクや、その師匠であるマーイーの厳格な教えを忠実に守り、求道的に古典声楽の世界に没頭していたが、彼の周囲では、古典声楽から足を洗い、即物的かつ世俗的な音楽に鞍替えして、名声や金を手にする者が現れていく。一方のシャラドはなかなか成功できず、女性にももてず、師匠からも認めてもらえず、葛藤を抱えながらも練習を続けていく。

 やがてシャラドは古典声楽の先生になり、何とか稼げるようにはなるが、古典声楽家として成功したわけではなかった。一方で師匠のヴィナーヤクはだいぶ老いてしまい、狭い一室でみすぼらしい生活を送っていた。今でも公演に呼ばれることはあったが、キチンと報酬を支払ってくれる主催者は稀で、彼は常に金に困窮していた。古典声楽に一生を捧げてきた師匠のこの哀れな末路を見ると、シャラドは自らが歩道に疑問を感じずにはいられない。

 終盤、シャラドが公演で歌を歌い続けられずに途中でステージを下りてしまう場面がある。おそらくこれはシャラドが音楽家としてのキャリアを中断したことを象徴している。その後、彼は結婚し、会社を立ち上げ、音楽家としてではなく実業家として古典声楽の世界に関わることになる。それもひとつの道ではあるが、20代の頃の彼が思い描いていた将来とは違ったはずである。

 最後は、シャラドが妻子と共にムンバイー近郊鉄道に乗っているシーンである。そこへ一人の大道芸人がやって来て歌を歌い出す。その悲しげな歌声がまたとても良い。音楽の道を諦めたシャラドの耳にはどう聞こえただろうか。

 全編に渡って古典声楽で満ちあふれている。シャラドが師匠から歌を習う場面がいくつかあるが、筆者に音楽の素養がないので、シャラドの何がダメでダメだしをされているのかよく分からない。そういう意味では一筋縄ではいかない映画だ。彼らは「カヤール」と呼ばれるスタイルの歌を歌う声楽家であるが、これは歌手の内面がもっとも現れる歌の一種とされる。一応歌詞はあるが、歌詞に大きな意味はなく、より純粋に歌に集中してその世界を楽しむことになる。ずっと聴いていると、最後にシャラドがステージを下りたときの歌い方が全く行けていないことくらいは分かるようになる。

 シャラド役を演じたアーディティヤ・モーダクは本物の古典声楽家である。俳優ではなく声楽家を起用したのは成功だった。しかも、演技力にも問題はなかった。チャイタニヤ・ターマーネー監督の撮り方も俳優に演技をさせるタイプのものではないので、演技力の面で不利になることはなかったのも彼には有利に働いた。キャスティングの時点でこの映画は勝利をつかんでいたといえる。

 「The Disciple」は、インド古典芸能に特徴的なグル・シシャ・パランパラーをじっくりと映し出すと同時に、求道的な古典声楽の世界がインスタントな成功がもてはやされる現代において危機に直面している現状に注意を向けさせてくれる。チャイタニヤ・ターマーネー監督の作風は「語らない」映画であるが、それ故にいろいろなことを考えさせてくれる作品だ。必見の映画である。