While We Watched

3.5
While We Watched
「While We Watched」

 NDTVはインドを代表するニュース会社のひとつである。1988年に創業され、当時唯一のチャンネルだった国営放送ドゥールダルシャンのニュース番組を担当していた。その後、スター・ニュースのニュース番組プロバイダーとなり、2003年に独立したチャンネルを立ち上げた。英語のニュース番組が「NDTV24×7」、ヒンディー語のニュース番組が「NDTV India」である。

 2022年9月11日にトロント国際映画祭でプレミア上映された「While We Watched」は、NDTV Indiaの名物キャスター、ラヴィーシュ・クマールのドキュメンタリー映画である。2014年の下院総選挙でインド人民党(BJP)が勝利し、ナレーンドラ・モーディー首相が誕生した後、インドのメディアはモーディー首相、BJP、ヒンドゥー教至上主義を擁護し、政権に批判的なジャーナリストを「売国奴」と呼んで糾弾するようになった。そのようなジャーナリズムの危機にラヴィーシュ・クマールは一貫して政権批判を繰り返し、脅迫にも屈しなかった。ラヴィーシュはその功績を認められ、2019年にラモン・マグサイサイ賞を受賞した。ちなみに、この映画はインドにて劇場一般公開されていないが、ムンバイー映画祭では2023年10月28日に上映されている。日本ではアジアンドキュメンタリーズが「あなたが見ている限り真実は生き残る」という邦題と共に配信している。

 監督は「An Insignificant Man」(2016年)のヴィナイ・シュクラー。彼はラヴィーシュの許可の下、2018年から20年まで彼に張り付き映像を撮り続けた。シュクラー監督に当初から明確な脚本があったわけでないようで、「While We Watched」はその撮りためた映像をつなげて映画にした作品である。だが、そんな無計画に撮影された映像の継ぎはぎであるにもかかわらず、驚くべきことにきちんとしたストーリーがある。彼のキャリアにとって重要な場面がいくつも撮影されているため、これはドキュメンタリー映画ではなく、フィクション映画か、もしくは再現映像を使っているのではないかと疑ってしまったほどだ。

 この映画に見出されるストーリーにおいて、決定的なターニングポイントになっているのは2019年の下院総選挙である。インドの下院議員の任期は5年であり、2019年にはモーディー政権の5年間が有権者によって評価されることになっていた。ラヴィーシュは権力監視というジャーナリストの最大の使命を果たそうとモーディー政権やヒンドゥー教至上主義に対して厳しい批判を行っていたが、他のニュース番組は完全に与党寄りの報道を繰り返し、国民の間に広まっていたモーディー人気をなかなか覆せずにいた。また、彼はヒンドゥー教過激派やその支持者たちから脅迫の電話を受けるようにもなっていた。

 モーディー首相の人気をさらに決定的にする事件も選挙直前に起こった。2019年2月14日、ジャンムー&カシュミール州プルワーマーで中央予備警察隊(CRPF)の車列がパーキスターンを拠点とするテロリストに攻撃され、40人の警察官が死亡した。この事件はインド人の間に愛国心を燃えあがらせた。その世論を受けてモーディー首相は2月26日にパーキスターン領を空爆した。インド側の主張では、この空爆によってテロリストの拠点が壊滅したという。今までテロ攻撃が起こるたびにインド政府の弱腰な外交姿勢を見てきたインド人たちは拍手喝采でモーディー首相のこの決断を讃えた。もはや選挙の争点は安全保障ひとつとなり、2019年の下院総選挙でBJPは地滑り的な圧勝を手にする。こうして、モーディー政権は第2期に入った。ラヴィーシュはBJPの勝利を口惜しそうに眺め、「これがあなたたちの望んでいたインドです」と皮肉に報道していた。

 BJP政権下ではBJPに批判的なジャーナリストが不当に逮捕されたり何者かによって暗殺されたりしていた。そして2019年の下院総選挙後にNDTVにもその圧力らしきものが及び、会長が汚職容疑で捜索を受けるなどした。その結果、スポンサーの撤退が相次ぎ、NDTVは財政難に陥る。NDTV Indiaでラヴィーシュと共に働いていたスタッフたちも一人また一人と退職していく。

 ラヴィーシュもジャーナリズムから足を洗うことを考え始めていた。そのとき、彼はマグサイサイ賞の受賞を知らされる。インドでジャーナリズムが危機を迎え、言論弾圧が行われているときに、国際社会からのありがたい応援のように感じられた。ラヴィーシュはくじけずにジャーナリストとしての使命を全うし続ける。

 ここまでが「While We Watched」で語られた内容だったが、実はNDTVとラヴィーシュのその後はそれほど明るいものではない。2022年にNDTVの創業者が株式をアダーニー・グループに売却し、オーナーシップが変わってしまった。アダーニー・グループといえばモーディー首相と非常に近い新興財閥である。つまり、NDTVも親BJPのニュース会社に変わってしまった。当然、ラヴィーシュはその買収の前にNDTVを退職しており、現在はYouTuberとして活躍している。

 「While We Watched」は、BJP政権下でインドがヒンドゥー教至上主義に急速に染まっていく様子を一人の責任あるジャーナリストの視点から描いた作品である。日本では同じようなテーマのドキュメンタリー映画「Writing with Fire」(2021年/邦題:燃えあがる女性記者たち)が公開されたが、BJP批判という観点では「While We Watched」の方がよほど筋が通っている。また、普通では撮影できないようなプライベートな映像を使って構成されており、より高度な挑戦をし、長い時間を掛けて作られた作品だともいえる。現代インドの現状をBJP批判的な立場から見たかったら最適な作品である。