Anuja (USA)

3.5
Anuja
「Anuja」

 2024年8月17日に米国のホリーショーツ映画祭でプレミア上映された米国の短編映画「Anuja」は、インドの首都ニューデリーのスラム街に姉と住み、縫製工場で働く9歳の少女を主人公にした作品である。米国映画ではあるが、言語はヒンディー語である。2025年の米アカデミー短編映画賞にノミネートされたことで一躍有名になった。

 監督は米国人のアダム・J・グレイブス。過去にTVドラマの監督経験はあるが、映画を撮ったのは「Anuja」が初である。米国在住のインド人女優プリヤンカー・チョープラーがエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。

 この映画は、デリーのストリートチルドレンなどを支援するNPO、サラーム・バーラク基金(SBT)の協力を得て作られた。主役のアヌジャーを演じたのも、SBTが運営する施設に住む少女サジュダー・パターンである。他に、アナンニャー・シャーンバーグ、ナーゲーシュ・ボーンスレー、グルシャン・ワーリヤーなどが出演している。

 2025年2月5日からNetflixで日本語字幕付きで配信されており、邦題は「アヌジャ」となっている。

 デリーのスラム街に住む9歳の少女アヌジャー(サジュダー・パターン)は、姉のパラク(アナンニャー・シャーンバーグ)と共に縫製工場で働いていた。アヌジャーには計算の才能があり、パラクは彼女を学校に送ろうとしていた。ある日、教師のミシュラー(グルシャン・ワーリヤー)が工場を訪れ、アヌジャーに学校の入学試験を受けるように言う。だが、受験料は400ルピーだった。ヴァルマー工場長(ナーゲーシュ・ボーンスレー)はアヌジャーを工場に留めようとする。

 パラクは余った布をバッグにし、こっそり持ち出していた。姉妹はそれを街中で売る。ショッピングモールに迷い込んだアヌジャーは、機転を利かせて2つのバッグを800ルピーで売ることができた。受験料を払ってもお釣りが来るだけの現金を手に入れた姉妹は、映画へ行ったりお菓子を買ったりし、束の間の贅沢を楽しむ。

 学校の入学試験の日が来た。パラクはアヌジャーを学校へ送り出すが、アヌジャーは迷っていた。試験会場にアヌジャーは現れず、工場にも来なかった。

 23分の短い映画だが、主人公アヌジャーにとって人生の転機となる瞬間がじっくり描かれていた。天才的な計算能力を持ちながらも貧困のために児童労働をして日銭を稼ぐ毎日を送っていたアヌジャーの目の前には2つの道があった。ひとつは学校へ行って教育を受ける道、もうひとつはそのまま工場で働く道だった。結局、アヌジャーがどのような決断をしたのかは映画の中では描かれない。観客の想像と解釈に任せられていた。

 アヌジャーの決断について考察を巡らせる前に、この映画の細部に注目してみたい。短いながらも細部にこだわりを感じた。

 まず、姉妹の両親は既にいない。父親についての言及はなく、母親によって女手ひとつで育てられたと想像できる。おそらく父親はある時点で妻子を置いて出て行ってしまったのだろう。その母親も既に亡くなっており、姉妹はスラム街に住んでいた。

 インドでは14歳未満の労働を禁じている。姉のパラクは既にその要件を満たしているようだが、アヌジャーの実年齢は9歳である。教師のミシュラーに年齢を聞かれて「14歳」と答えていたが、これはもちろん児童労働から逃れるための嘘だ。パラクやミシュラーはアヌジャーを学校に入れたがっていた。アヌジャーの才能があれば奨学金が出るようであった。寄宿制の学校なので、在学中は生活に困らない。だが、工場長のヴァルマーはアヌジャーを手放そうとしなかった。彼女の計算力を知って何か別の高給な仕事を与えようとしていた節もあったが、おそらくそれは、単に彼女が学校に行くのを防ぐためのはったりだったと思われる。

 入学が決まれば奨学金が出るものの、入学試験の受験料400ルピーは姉妹が用意しなければならないようであった。日本円にしたら800円ほどであるが、彼女たちには大金だ。パラクはその費用を捻出するために妙案を思い付いていた。縫製工場で出た余り布を使ってバッグを作り、それを売るのである。当初、二人はそれを「400ルピーのバッグが40ルピー」と言って売っていた。だが、アヌジャーはショッピングモールに迷い込み、そこで出会った裕福そうなおばさんから2つのバッグを800ルピーで買ってもらうことに成功する。それを見たパラクは大喜びする。

 何をするかと思ったら、真っ先に彼女たちがしたのは映画館で映画を観ることだった。上映されていたのは「Naya Daur」(1957年)という大昔の映画であったが、二人はポップコーンを頬張りながら楽しそうに観ていた。その後、二人はジャレービーというインド特有のストリート菓子を買って食べる。もちろん、アヌジャーの受験料400ルピーは残しての微笑ましい贅沢だった。

 だが、アヌジャー自身は学校へ行くのにそれほど乗り気ではなかった。寄宿制学校が何なのかも分かっていなかった。パラクから寄宿制学校について少し聞いたアヌジャーは、もし学校へ行ったら姉と離れ離れになることを予感していた。また、アヌジャーはパラクの結婚費用のことも心配していた。

 これらの要素を組み合わせると、アヌジャーは結局入学試験を受けなかったのではないかと予想できる。そうなると、貧しいながらも才能ある子供が、その才能に適した教育を受けられない理不尽さを訴える映画ということになる。ただ、この映画自体が恵まれない子供たちに映画という新たな世界を開くためのものである。エンドロールではアヌジャーを含む施設の子供たちが「Anuja」を鑑賞する様子が映し出されていた。それを考えると、ハッピーエンドであってほしいし、子供たちに教育の大切さを教える作品であってほしい。アヌジャーが学校を選ぶところを見せてほしかった。

 外国人の映画監督がインドについて映画を作ると、とかく貧困を強調したがる。一種のオリエンタリズムである。「Anuja」もそのそしりは免れない作品だ。英国映画「Slumdog Millionaire」(2009年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)しかりである。これらは大半のインド人がもっとも嫌うタイプの映画であることも付け加えておきたい。

 「Anuja」は、米国人監督が23分の上映時間内に貧しい子供を起用してインドの貧困問題と教育問題を取り上げてまとめた短編映画である。アカデミー短編映画賞にノミネートされており、受賞が期待される。