2024年12月6日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Agni(火)」は、インド映画としてはめずらしい、消防士を主人公にした映画である。消防士映画といえが米映画「バックドラフト」(1991年)が有名であるが、これはそのリメイクではない。警察との確執など、インドならではの問題を中心に描いており、興味深い。
プロデューサーはファルハーン・アクタルなど。監督は「Parzania」(2007年)や「Raees」(2017年)などのラーフル・ドーラキヤー。主演は「Do Aur Do Pyaar」(2024年)のプラティーク・ガーンディー。他に、ディヴィエーンドゥ・シャルマー、ジテーンドラ・ジョーシー、サイヤミー・ケール、サーイー・ターマンカル、サキー・ゴーカレー、ウディト・アローラー、アナント・ジョーグなどが出演している。
ムンバイーのパレール消防署の署長を務めるヴィッタルラーオ・スルヴェー(プラティーク・ガーンディー)には、妻のルクミニー(サーイー・ターマンカル)との間にアミヤーという一人息子がいた。ルクミニーの姉サヤーリー(サキー・ゴーカレー)の夫サミト・サーワント(ディヴィエーンドゥ・シャルマー)は敏腕警察官として有名で、アミヤーはサミトを尊敬していた。だが、ヴィッタルラーオはそれを面白く思っていなかった。
最近、ムンバイーでは火事が相次いでいた。ヴィッタルラーオの部下アヴニー・プローヒト(サイヤミー・ケール)は、それらの火事に奇妙な共通点があるのを見つける。それらの証拠からヴィッタルラーオは連続放火事件だと断定するが、警察の動きは遅かった。それらの火事でヴィッタルラーオは部下を失っていく。アヴニーの恋人ジャズ(ウディト・アローラー)も犠牲になってしまう。サミトは、火事があった建物を買っていた実業家を逮捕し尋問する。そしてまともな自白もないまま彼を犯人に仕立て上げ、強引に幕引きを図ろうとする。
サミトは優秀警察官として州から表彰を受けることになる。表彰式は州庁舎で催された。サミトを嫌っていたヴィッタルラーオは欠席するが、アヴニーの思い付きにより、飲み仲間の消防士マハーデーヴ(ジテーンドラ・ジョーシー)が放火犯だと気付く。マハーデーヴは消防士だった父親や弟を火事やテロで失っており、システムに対して深い恨みを抱いていた。マハーデーヴは表彰式に出席しているとのことだった。
ヴィッタルラーオは州庁舎へ急ぐ。表彰式にはルクミニーとアミヤーも出席していた。トイレのために表彰式を抜け出したアミヤーは、偶然マハーデーヴが放火の装置を仕掛けているのを目撃してしまう。マハーデーヴに捕まったアミヤーは倉庫に閉じこめられてしまう。すぐに市庁舎から出火し、避難が始まる。州庁舎にたどり着いたヴィッタルラーオは、アミヤーがまだ建物内にいることをルクミニーから聞き、救助へ向かう。ヴィッタルラーオはアミヤーを見つけ助け出すが、サヤーリーからはまだサミトがアミヤーを探して建物内にいることを聞き、部下を引き連れて再び炎の燃えさかる州庁舎へ入っていく。サミトは放火犯マハーデーヴと対峙していた。ヴィッタルラーオもその場に駆けつけマハーデーヴを思い止まらせようとするが、床が抜けてサミトと共に落下する。アヴニーたちが救援に駆けつけたことで二人は助かる。
助け出されたサミトは、副州首相(アナント・ジョーグ)やマスコミの前で、今日のヒーローはヴィッタルラーオだと言う。ヴィッタルラーオをはじめ、消防士たちが初めて尊敬を受けた瞬間だった。
ヒンディー語映画ではよくムンバイー警察が主人公になる。キャリア組である警察官僚は別にしても、巡査などの下位警察官は安月給で命を危険にさらす仕事をしており、その低い待遇がしばしば話題になる。だが、「Agni」では、警察官よりもさらに恵まれない待遇の存在に焦点が当てられていた。消防士である。彼らの視点からすれば、警察官は消防士が消火をした後に火災現場にやって来て偉そうな顔をするいけ好かない存在だ。警察官からも消防士を見下すような発言が散見された。
さらに話にマサーラーを盛り込むために、主人公の消防士ヴィッタルラーオの息子アミヤーが、叔父にあたる警官サミトに憧れを抱いているという設定になっていた。消防士よりも警察官の方が上というヒエラルキー意識は子供にまで浸透していた。ただでさえ警察官の横柄な態度を面白く思っていないヴィッタルラーオにとって、ますます腹立たしい事態だ。ヴィッタルラーオは何かとサミトと衝突することになる。
その一方で、連続放火事件を起こしていた放火犯が実は現役の消防士だったという意外なオチも用意されていた。しかも、それはヴィッタルラーオの飲み友達マハーデーヴであった。彼は猟奇的な愉快犯というよりも、消防士に尊敬を払わない社会に対する復讐を掲げた確信犯である。消防士だった父親を火災で亡くし、やはり消防士だった弟を2008年11月26日のムンバイー同時多発テロで亡くしていた。警察官の殉死はマスコミで大きく取り上げられ、国や州から表彰もされるが、消防士の殉死はほとんど注目されない。そんな不公平な世の中にマハデーヴは激しい怒りを燃やし、ついに放火という形で発散を始めた。彼の最終的なターゲットは、政治家と警察官を同時に燃やし尽くすことだった。
もちろん、ヴィッタルラーオの活躍によってマハーデーヴの計画は阻止される。だが、州庁舎への放火は防げず、副州大臣やサミトは火の中を逃げ惑うことになる。ヴィッタルラーオは消防士としての義務を優先し、嫌っていたサミトの命も救う。サミトも消防士の勇敢さに感服し、彼を英雄として認める。最後は美しくまとめていた。
「Agni」は、単に消防士が火災と戦う物語ではなく、消防士の仕事に無理解な社会の中で人々のために命を危険にさらす消防士のジレンマにも迫っていた。火災の中に消防士たちが飛び込み救助活動を行うシーンがいくつかあったが、炎の表現に力が入っており、臨場感があった。違法建築が火災の原因となり、消火活動を妨げ、多くの市民の命を危険にさらしている恐ろしい現状への警鐘も込められていた。
「Ghoomer」(2023年)などに主演していたサイヤミー・ケールは、運動神経抜群な上に男勝りの女性が板に付いていて、個性の強い女優である。「Agni」でも、洞察力を兼ね備えた勇敢な女性消防士という、今までの彼女のイメージの延長線上にあるキャラを演じていた。彼女を主人公にしても面白かったのではないかと思うが準主役の扱いであり、主役はプラティーク・ガーンディーに譲っていた。もったいない使い方であった。
プラティーク・ガーンディーは、俳優としてのキャリアは長いものの、くすぶっていたといえる。だが、近年になって徐々に作品に恵まれるようになり、勢いが出てきた。スターという顔はしていないので、ラージクマール・ラーオのような大化けは難しいかもしれないが、今後まだ伸びそうな俳優である。
「Agni」は、消防士が火災と戦い、見下してくる警察と渡り合い、社会的認知を得ようと奮闘する物語だ。今まであまり注目されることのなかった職業に着眼した点は素晴らしく、ストーリーも王道ではあったが素直に感動できた。OTTリリース作品であるが、鑑賞に値する映画だ。