「Afternoon Clouds」は、2024年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得したパーヤル・カパーリヤー監督が、まだインド映画TV学校(FTII)の3年生だった2015年に作った、13分ほどの短編映画である。2017年5月17日にカンヌ映画祭で上映されたことで話題になった。
物語はいたってシンプルで、ムンバイーに住む寡婦のカーキーと、彼女の家で働くネパール人メイド、マールティーが主な登場人物である。だが、シンプルなだけあって、その解釈は難しい。
おそらく、カーキーとマールティーは、二人きりで毎日同じような生活を送ってきた。それはこれからも永遠に続くかのようであった。何となく、ムンバイーのチャール(集合住宅)に住む住民たちを描いたカパーリヤー監督の前作「Watermelon, Fish and Half Ghost」(2014年)の延長線上にあるような作品に思える。
ただ、彼女たちの代わり映えしない生活に小さな変化が訪れた。カーキーが植木鉢で育てていた植物の花が咲いたのである。その花はたった2日間しか咲かなかった。現実主義的なマールティーはカーキーに、なぜ一年中咲くような花を育てないのかと質問する。
だが、この日の午後、二人が昼寝をすると、二人とも不思議な夢を見る。マールティーは、船乗りとして遠くに航海に行っている夫もしくは恋人のサパンを夢に見る。彼はマールティーに、アフリカで買ったという絵はがきを手渡してくれる。そして、これからまだ出立するので、ドックまで送りに来てくれるかと聞く。一方、カーキーは、死んだ夫が雨の中自分を呼ぶ夢を見る。現実世界では、カーキーの家の外で殺虫剤の散布が行われ、まるで雲のように建物を覆っていた。
非常に詩的な映画である。それ故に詩的に理解しなければならない。そしてその答えはひとつではなく、観た人の数だけ解釈が成り立つ。
個人的には、この映画から無常観を感じた。カーキーもマールティーも、大切な人が傍にいないという点では共通している。カーキーは夫を亡くしており、マールティーの夫もしくは恋人のサパンも遠い洋上にいた。だが、二人の年齢差は大きく、人生観も異なっていた。カーキーは、この世に永遠のものはないと達観しており、それ故に2日間だけ咲く花に価値を見出していた。だが、まだ若いマールティーは、努力することで物事はずっと存在し続けると信じているところがあった。だから、どうせなら一年中咲く花を育てた方がいいという意見を持っていた。
だが、この世に永遠に続くものなどないというのが真理である。マールティーの夢の中に突然サパンが現れたことは、彼女にとって決していいことではない。サパンは何らかの事故に遭ってもうこの世になく、最期に彼女に会いに来たという解釈も成り立つ。マールティーは、サパン、そしてサパンとの関係が永遠に続くと信じていたが、それが叶うことはない。いつか終わりが来る。それがこの「午後の昼寝」の時間に起こったとしてもおかしくはない。
しかしながら、カンヌ映画祭はよくこんな無名な監督のこんな難解な映画を上映したなと感心してしまう。確かに映像は美しく、詩的であるが、これを世界に名だたる映画祭の上映作品に選ぶ決定打があったかというと疑問に感じる。もしそれを見出しているとしたら、その人の鑑識眼は相当なものだろう。
「Afternoon Clouds」は、まだ学生だったパーヤル・カパーリヤー監督が作り、カンヌ映画祭に認められた短編映画である。悪い作品ではないが、そこに特別な価値を見出すことは個人的にはできなかった。映画の本質を見抜くセンスを問われる作品である。