毎年雨季になると、北インドにはサフラン色のシャツに身を包んだ巡礼者が現れる。彼らはハリドワールなどからガンガー河の水を汲んで故郷のシヴァ寺院に届ける巡礼の旅の道中にある。この祭礼を「カーンワル」と呼び、カーンワルをする巡礼者の人々のことを「カーンワリヤー」と呼ぶ。「カーンワル」という単語は、カーンワリヤーがガンガージャルを運ぶために肩に背負う担ぎ棒のことも指す。年を追うごとに参加者が増え、現在では3,000万人の参加者を数えるインド最大の祭礼のひとつになっている。
プラフル・ティヤーギー監督の「Kanwar」は、カーンワルに参加する若者たちを追った作品である。実際のカーンワルを撮影しており、そういう意味ではドキュメンタリー映画になるだろう。だが、一応ストーリーがあり、出演している人々も、おそらく素人ながら、一応役を演じている。よって、フィクション映画でもある。
公開は2023年1月5日とのことだが、どこでどういう形で上映されたのかは不明だ。Amazon Prime Videoで配信されていたのを鑑賞した。「カンワル(サフラン牛)」という邦題が付いていたが、日本語字幕はなかった。
キャストとしてクレジットされていたのは、アミト・マリク、ニティン・ラーオ、ナレーンドラ・ラーオ、リシャブ・パラーシャル、サチン・ティヤーギー、ナヴィーン・ダンカル、アルン、リテーシュ・シャルマー、アーシーシュ・ネヘラーなどだが、全員無名の俳優たちである。俳優ですらないのかもしれない。ティヤーギー監督の家族や友人を起用している可能性が高い。
ところで、カーンワルにはいくつか種類があるのだが、「Kanwar」で紹介されていたのはダーク・カーンワルとジューラー・カーンワルである。ダーク・カーンワルとは「駅伝カーンワル」と訳すことのできる形態のもので、ガンガージャル(ガンガー河の水)が入ったバトン状の容器を複数の巡礼者がまるで駅伝のように走りながらリレーしていく。ジューラー・カーンワルは、担ぎ棒の両端に水壺を吊るし、徒歩でガンガージャルを運ぶ形態のものである。
ハリヤーナー州の架空の村、ガムドーリー村に住むボーンガー(アミト・マリク)は同性愛者であり、仲間たちからはのけ者にされていた。ボーンガーはHIVウイルスに感染していると診断され、一時は自殺を考えるが果たせず、藁にもすがる気持ちでカーンワルに参加する。
同じ村では、ラークー(ニティン・ラーオ)率いるグループがカーンワルへ旅立とうとしていた。だが、ボーンガーは一人でハリドワールを目指し、ジューラー・カーンワルを行うことにする。列車でハリドワールに到着したボーンガーは、パンディト(僧侶)から、ガンガー河の水源まで行ってガンガージャルを汲めば病気は治ると言われ、さらにガンガー河を遡ることにする。バスでガンゴートリーまで行き、そこから徒歩でガウムクへ向かった。ガウムクでガンガージャルを汲み、それを村まで持ち帰ろうとする。だが、途中で彼は力尽き、ガウムクで汲んだガンガージャルを飲んで、その場で倒れてしまう。
一方、ラークーのグループはハリドワールでガンガージャルを汲み、ダーク・カーンワルをして村に戻った。そしてシヴァ寺院に水を捧げる。
毎年カーンワルの季節になると、通り道に当たるデリーでは厳戒態勢が敷かれる。なぜならカーンワリヤーたちが通りすがりにトラブルを起こすことが多いからだ。現在、カーンワルに参加する者の大半は、農村部に住む義務教育中途退学者の若者たちで占められているとされる。そういう田舎者のグループが大挙して都会に押し寄せてくるので、何かと騒動を引き起こしやすい。少なくともデリーの住民はそう考えており、カーンワルが始まると身構えるのである。
「Kanwar」ではカーンワルの様子が一部始終赤裸々に描写されていたが、そんな偏見を補強するのに十分な映像が繰り広げられていた。ラークー率いるダーク・カーンワルのグループは、日本人の目から見たら、とても巡礼者の一団には見えない。まず、ラークーとその仲間たちはいわゆる不良グループであり、英語ミディアム校に通う学生をカツアゲしていた。そしてハリドワール往復のために用意したトラックの荷台にはスピーカーなどの音響設備が積み込まれ、DJも雇われ、大音響で音楽を流しながら幹線道路を疾走する。ハリドワールに着いてもほとんど踊っているだけだった。こんな迷惑な一団は彼らだけかと思ったら、他のダーク・カーンワルのグループも似たり寄ったりであり、これがカーンワリヤーのスタンダードなのだと理解する。
ガンガー河での沐浴を終え、ガンガージャルを汲んだ後のダーク・カーンワルの映像は圧巻だった。彼らのグループには、トラックの他にバイクも2台ほど加わっていたのだが、当初はその理由が分からなかった。だが、ダーク・カーンワルが始まった途端、バイクが必要だった意味が分かった。ダーク・カーンワルでは、ガンガージャルの入ったバトンを複数の走者がリレーして順に走るのだが、走り終わった走者はバイクの後ろに乗せてもらってバトンを持って走る走者を追い抜き、少し先で彼が来るのを待つ。それを繰り返して村までずっと走り続けるのである。バイクは3人乗りで、ヘルメットもかぶっていない。運転手も含め、どんどん交替しながらバトンを前に進めていく。映像では、ラークーたちと平行して全く同じことをしているダーク・カーンワルのグループがいくつもあり、公道で競い合うように走っているのを見ることができる。デリーに長く住んだが、ダーク・カーンワルがこのようにして行われているというのは初めて知った。驚きの映像だった。
一方、ボーンガーの方はソロのジューラー・カーンワルに挑戦する。通常はハリドワールでガンガージャルを汲めばいいのだが、HIVウイルスに感染し人生に絶望した彼は、ハリドワールで会ったパンディト(僧侶)の助言を聞き、ガンガー河の水源ガウムクを目指す。ガンゴートリーを経由して実際にガウムクまで辿り着き、彼はそこでもっとも純粋なガンガージャルを汲むことに成功する。
だが、水を背負って村まで何百キロも歩くのは非常に過酷な旅路だ。しかもカーンワルのルールとして、決してガンガージャルの入った壺を地面に置いてはいけない。そのため、カーンワルの巡礼路上には、カーンワルを一時置いて休憩できるように、自転車スタンドのようなものが用意されている。ボーンガーはそのような設備がないところを歩いている内に疲れ果てて壺を地面に置いてしまい、カーンワルを諦めてしまう。
そういえば、ハリドワールに着いたボーンガーは、まず村から持参したカーンワル(担ぎ棒)をガンガー河に投げ捨てていた。これはおそらく彼が過去にガンガージャルを持ち帰ったカーンワルであろう。日本の寺社では古くなったお守りなどを回収しているが、あれと全く同じ理屈である。彼は改めてガンゴートリーでカーンワルを買っていた。面白いのは、そうやって河に捨てられたカーンワルを拾う人々もいたことだ。おそらく彼らは再利用して売るつもりなのだろう。
「Kanwar」の最大の魅力はリアルな映像だ。カーンワルの時期に実際にカーンワルをしながら撮影をしており、作り物では出せない迫力ある映像が視聴者の注意を掴んで放さない。巡礼という宗教的なはずの行為の実態が、農村の若者たちが日頃の鬱憤を発散するようなドンチャン騒ぎというのも衝撃的である。野心的な長回しのシーンも多かった。しかしながら、冗長に感じられたり、意味が分からなかったりするシーンも少なくなかった。終わり方も尻切れトンボに感じた。
主人公のボーンガーがHIVウイルスに感染したとの診断を受ける場面が物語の導入部になっている。それ故にこの映画をクィア映画、つまりLGBTQ映画に含めることも可能である。ただ、同性愛に対して正確な情報を提供しようとしている映画ではなかった。ボーンガーはHIVウイルスに感染するし、ラークーのグループからはのけ者にされていた。
「Kanwar」は、インド最大の祭礼のひとつカーンワルを題材にした映画だ。実際のカーンワルを撮影していることからドキュメンタリー映画色が強いのだが、役者が台本に従って演技をしているフィクション映画でもあり、それらの中間点に位置する映画だといえる。農村やカーンワルの映像は、何の美化も取り繕いもなく、リアルすぎるほどリアルだ。そこにこの映画の最大の魅力がある。だが、冗長に思えるシーンも多く、娯楽作品として捉えると弱みも目立つ。非常にユニークな作品であることには変わりがなく、特にカーンワルの実態を知りたい人には必見の映画である。