2024年7月1日に「Bharatiya Nyaya Sanhita(BNS)」が施行された。これをヒンディー語で書くと「भारतीय न्याय संहिता」になるが、その意味は「インド刑法」である。「Bharatiya」が「インドの」、「Nyaya」が「法律」「正義」「裁判」など、「Sanhita」が「法典集」を意味する。
これは従来の「Indian Penal Code(IPC)」に置き換わるもので、これをもってインドの司法は新たな時代を迎えたことになる。IPCは英領時代の1860年に制定され、1862年から施行された古い法律であり、インドは独立を果たした後も植民地時代のこの遺物を使い続けてきた。新しい刑法の制定は急務であったがなかなか進まなかった。それを決行したのがナレーンドラ・モーディー政権であった。
単に名前が英語からヒンディー語に変わっただけではない。IPCは511条から成っていたが、BNSは358条に減っている。しかしながら新法施行前後で犯罪となる行為がガラリと変わるわけでもなく、少ない条文に従来の内容がほぼそのまま詰め込まれている状態だ。
ただし、強姦など、女性や子供に対する性犯罪については特に多くの条文を割いて規定が行われている。未成年に対する性犯罪については、2011年に制定された「未成年性犯罪保護法(Protection of Children from Sexual Offences Act/POCSO)」の内容を踏まえて厳罰の規定が維持されている。すなわち、「20年を下回らず、無期懲役に及ぶ可能性のある厳重な禁固刑」に処すとされている。集団強姦についての独立した条文も盛り込まれた。
女性に対する性犯罪が事細かに規定された代わりに、性犯罪がジェンダー・ニュートラルではなくなってしまったのは大きな懸念点だ。つまり、男性もしくは非女性のトランスジェンダーに対する性犯罪は刑法から除外されてしまった。また、動物愛護活動家からは、動物に対する性犯罪ももはや犯罪ではなくなったことに批判の声が上がっている。
テロに関する条文も追加された。テロリストは、「インドの統一性、完全性、主権、安全保障、経済的安全保障を脅かす意図、もしくは脅かす可能性のある行為を行う者、またはインドもしくは外国の国民もしくは国民の一部に恐怖を与える意図、もしくは恐怖を与える可能性のある行為を行う者」と定義づけられ、その行為によって死人が出た場合は、死刑または無期懲役に処すとされている。
さらに、「テロ行為の共謀もしくは未遂、またはテロ行為の擁護、教唆、助言もしくは扇動、直接または故意にテロ行為の実行もしくはテロ行為の実行準備行為を助長した者は、5年を下回らないが無期懲役に及ぶ可能性のある懲役に処され、また罰金に処される」ともされており、テロの扇動などに当たる行為も厳しく処罰されることが明記された。
近年のインドはテロや性犯罪に悩まされてきており、その撲滅を模索してきたが、それがよく感じ取れる新刑法になっている。
ところで、インドでも犯罪を描いた映画は多く、その際に警察官、裁判官、弁護士などの口からIPCの条文またはその番号がよく言及されてきた。従来はIPCの番号だったのだが、今後はBNSになるのだろうか。
気になるのは「420」だ。この数字は詐欺罪を規定していたIPC第420条を指し、「詐欺」や「詐欺師」のコードナンバーとして広く知れ渡っていた。「Shree 420」(1955年)や「Chachi 420」(1997年)など、映画の題名にもなってきた。BNSでは詐欺罪は第318条に規定されることになり、条文番号が変わってしまった。果たして「Shree 318」みたいな映画が今後登場するのだろうか。
ちなみに、BNSの施行と共に、他の2つの関連法律「刑事訴訟法(Code of Criminal Procedure/CrCP)」と「インド証拠法(Indian Evidence Act/IEA)」も置き換えられた。前者は「Bharatiya Nagrik Suraksha Sanhita(BNSS)」であり、ヒンディー語で書くと「भारतीय नागरिक सुरक्षा संहिता」、直訳すれば「インド市民保護法」になる。後者は「Bharatiya Sakshya Adhiniyam(BSA)」であり、ヒンディー語で書くと「भारतीय साक्ष्य अधिनियम」、直訳すれば「インド証拠規則」になる。