玄奘の名前は日本でも有名だ。中国が隋の支配下にあった頃に生まれ、隋が滅んで唐に移り変わった後に活躍した僧侶で、7世紀にインドまで旅して仏典を中国に持ち帰り、中国語に翻訳したことで知られている。彼はインド旅行記「大唐西域記」を著した他、彼の旅路は「西遊記」のモデルにもなった。
2016年4月29日公開の中国映画「Xuan Zang」は、中印が力を合わせて玄奘の旅を映画化した稀少なプロジェクトの結果、完成した作品である。中国語の題名は「大唐玄奘」になっている。プロデューサーは王家衛、監督は霍建起、玄奘を演じるのは黄暁明である。インド映画視点で特筆すべきは、インド人俳優が起用されていることだ。ソーヌー・スード、アリー・ファザル、ネーハー・シャルマー、ラーム・ゴーパール・バジャージなどが出演している。
また、言語は中国語、ヒンディー語、サンスクリット語の三言語体制となっている。サンスクリット語はともなく、7世紀の中国語やヒンディー語は現代とはかなり異なったと考えられるが、それぞれの地域の言語をなるべく写実的に再現しようとする努力が感じられた。
映画は、玄奘の旅をなるべく忠実に辿ったものだ。玄奘(黄暁明)は仏典の研究をするためにインドへ行って原典を手に入れようと夢見ていたが、当時勝手な出国は許されておらず、密出国をすることになった。映画では玄奘が当時住んでいた唐の首都長安を出立したのは627年とされているが、一般的には629年とされている。彼はまず西に向かい、タクラマカン砂漠を踏破して高昌国で歓待を受ける。その後、現在のウズベキスタンやアフガーニスターンを通ってインド亜大陸入りし、631年(一般的には632年)、遂にナーランダー僧院に辿り着く。ナーランダー僧院の院長シーラバドラ(ラーム・ゴーパール・バジャージ)から教えを受けた後、インド各地の仏跡巡りもし、当時北インドの支配者だったハルシャヴァルダン王(ソーヌー・スード)の招きに応じて、マハーヤーナ(大乗仏教)とヒーナヤーナ(小乗仏教)の違いを巡る論戦に参加し勝利する。641年に帰路に就き、645年に長安に帰り着く。出発時は密出国だったものの、帰着時には時代が変わっており、インドから大量の仏典を持ち帰った玄奘は時の皇帝太宗に大歓迎された。その後の玄奘は仏典の翻訳に残りの生涯を費やす。
歴史に忠実な映画は、どうしても教科書的になってしまって面白味に欠けるのが普通だ。この「Xuan Zang」もその欠点を克服できておらず、玄奘の旅路を「大唐西域記」に従って忠実に再現することにこだわりすぎて、物語としては味気ないものになっている。玄奘を演じた黄暁明の演技もつまらないものだった。中国とインドにまたがるスケールの大きな映画ではあるが、映画というよりはTVドラマの作りであり、安っぽさを隠せていなかった。
フィクションを盛り込んだ部分といえば、玄奘が仏跡巡り中に出会ったジャヤラーム(アリー・ファザル)とクマーリー(ネーハー・シャルマー)であろう。ジャヤラームは卑しい出自ながら高い身分のクマーリーと結婚した。だが、ジャヤラームは呪いをかけられ、仮面を着けて暮らさなければならなくなった。人々の平等を説く仏教が生まれたインドにおいてもまだ身分制度が存在することを強調するために用意されたキャラだと思われるが、彼らのエピソードは何も生み出していなかった。
また、映画中では玄奘がエローラのカイラーサナータ寺院を訪れる場面があった。カイラーサナータ寺院の建立は8世紀であり、時代が合わない。アジャンター石窟寺院群は玄奘が訪れた頃には既にあり、こちらは間違っていない。実際に「大唐西域記」の中にも記述が見られる。ただ、これらのシーンから、撮影はインドでも行われたことがはっきりと分かる。
「Xuan Zang」は、「西遊記」の三蔵法師のモデルになった唐代の僧侶、玄奘の仏典探求の旅を映画化したものだ。中国はこの作品をアカデミー賞外国語映画賞に出品したようだが、映画としての出来は残念なものだ。興行的にも散々だったらしい。しかしながら、中国とインドが力を合わせて作ったという点にはとても価値がある。玄奘や仏教を通して両国は理解し合えることを証明したのだ。