今日は3週間のツーリングで調子が悪くなったバイクをサービス(メンテナンス)に出した。快調になったところで映画を鑑賞。2012年10月12日より公開の最新ヒンディー語映画「Aiyyaa」である。主演はラーニー・ムカルジー。「No One Killed Jessica」(2011年)以来の出演で、だいぶ間が開いてしまった。監督はサチン・クンダルカルという聞き慣れない名前だが、マラーティー語映画や演劇を主なフィールドとする人物のようで、本作が初のヒンディー語映画となる。マラーティー語映画俳優が多く出演しているが、目立つのはマラヤーラム語映画やタミル語映画で活躍するプリトヴィーラージ。ラーニー・ムカルジーがベンガル人であることを考え合わせると、かなり汎インド的な配役となっていて興味深い。また、近年のヒンディー語映画界の牽引役となっているアヌラーグ・カシヤプがプロデューサーを務めていることにも注目だ。
監督:サチン・クンダルカル
制作:アヌラーグ・カシヤプ、グニート・モーンガー
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:アミターブ・バッターチャーリヤ
出演:ラーニー・ムカルジー、プリトヴィーラージ、スボード・バーヴェー、サティーシュ・アーレーカル、キショーリー・バッラル、ニルミティー・サーワント、アメーヤー・ワーグ、アニター・ダーテー、ジョーティ・スバーシュ、パカーダー・パーンディー、シュバーンギー・ダームレー、チャンドラカーント・カーレー
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。
マラーティー・ガールのミーナークシー(ラーニー・ムカルジー)は、夢の中でシュリーデーヴィー、ジューヒー・チャーウラー、マードゥリー・ディークシトなど、ヒンディー語映画の大女優たちに成り切って踊っているような夢見がちの女の子であった。ところでミーナークシーの家族は変人ばかりであった。父親デーシュパーンデー(サティーシュ・アーレーカル)は一度に何本もの煙草を吸うヘビースモーカー。祖母(ジョーティ・スバーシュ)は盲目かつ車椅子生活だがなぜか家族で一番元気。弟のナーナー(アメーヤー・ワーグ)は犬マニアで将来クッター・ガル(犬の家)を建てるのが夢。母親デーシュパーンデー夫人(ニルミティー・サーワント)もどこか抜けている。デーシュパーンデー一家の当面の懸念はミーナークシーの結婚であった。新聞に花婿募集広告を出し、本格的にお見合いを開始した。 一方、結婚する気のないミーナークシーは大学の図書館で司書として仕事を始める。そこで同僚となったのが、これまた変人のマイナー(アニター・ダーテー)。毎日おかしなファッションをして大学に勤務している女性であった。 ミーナークシーは大学でスーリヤ(プリトヴィーラージ)というタミル人男子学生を見て一目惚れしてしまう。特に彼の身体から発せられる匂いに異常な反応を示すミーナークシーであった。しかしスーリヤの身辺には良くない噂が立っていた。アルコール中毒で、借金してまで酒を飲み続け父親をショック死させてしまったこと、ドラッグにも手を出していること、などなどである。それでもミーナークシーはスーリヤに惹かれる。 ミーナークシーは次第に異常な行動に出始める。スーリヤと話すためにタミル語を勉強し始める。スーリヤの匂いの秘密はドラッグにあるのではないかと考えたミーナークシーは、密売人からドラッグを買おうとする。スーリヤの家にサーリーの行商人に扮して押しかけ、スーリヤのTシャツや写真を盗む。とにかく毎日スーリヤだらけの生活だった。しかし実生活ではスーリヤとほとんど会話を交わすことができなかった。 ところで、ミーナークシーの縁談はマーダヴ(スボード・バーヴェー)という純朴そうな好青年と決まる。婚約式の日取りもとんとん拍子で決まってしまう。ミーナークシーは焦り始める。だが、どうしようもないまま日にちだけが過ぎて行く。 婚約式の日。ミーナークシーは家を飛び出て大学へ行く。ちょうど図書館にはスーリヤが来ていた。スーリヤがハンカチを落としたのを見てミーナークシーは彼の後を付いて行く。だが、スーリヤに話し掛けられないまま、スーリヤの住むアパートまで来てしまった。ミーナークシーはアパートの下でスーリヤを待ち続ける。 一方、デーシュパーンデー家では婚約式の準備が整ったが、ミーナークシーの姿が見当たらなかった。マーダヴの一家も来てしまう。ナーナーは、ミーナークシーの同僚マイナーが何かを知っているのではないかと考え、マイナーの家へ行く。そこでナーナーとマイナーは電撃的な出会いをし、二人は結婚を決める。そしてミーナークシーを待ちわびている家族親戚一同のところへ行き、結婚を宣言する。他にやることがないので、彼らはナーナーとその謎の花嫁の婚約式を執り行う。 夕方、スーリヤは家を出てどこかへ向かい始める。ミーナークシーは彼の後を付ける。彼が入って行った場所は色粉の工場だった。スーリヤの身体から発せられる匂いもこれだった。しかし、スーリヤに見つかったところでミーナークシーは気を失ってしまう。目を覚ましたミーナークシーは、スーリヤが酒やドラッグをしていないこと、父親が死んでから、父親が経営していたこの工場で夜働いていることなどを明かされる。そしてスーリヤに家まで送ってもらう。 実はスーリヤもミーナークシーが自分の後を付け回していたことを知っていた。そしてミーナークシーが自分に好意を抱いていることにも気付いていた。スーリヤはミーナークシーにプロポーズをする。二人は共に家の中に入り、婚約式を待ちわびていた家族の前に姿を現わす。マーダヴも全てを理解し、スーリヤにミーナークシーを譲って立ち去る。ミーナークシーは、ナーナーとマイナーが婚約したことに驚くが、両親にスーリヤと結婚したいと告げる。既に思考能力を失っていた両親は2人の結婚を認める。
僕が本格的にヒンディー語映画を見始めた2001年以来、ヒンディー語映画のジャンルは徐々に多様化して行き、ホラー映画、スポーツ映画、SF映画、キッズ映画、アニメ映画、スーパーヒーロー映画など、各種ジャンルが確立して来た。その中のひとつが女性向け映画だと言える。インド映画は基本的に老若男女全ての年齢層性別社会階層をターゲットとした映画作りが行われるが、どちらかと言うと男性の視点に立った映画が大多数を占めている。だが、女性監督や女性脚本家の増加に伴って、またはそれとは全く関係なく、女性視点の映画または女性をメインターゲットとした映画がちらほら出始めている。「Fashion」(2008年)や「Aisha」(2010年)などはそのテーマや演出から女性向け映画と言えるし、女性キャラが立った映画も「Jab We Met」(2007年)、「No One Killed Jessica」、「Tanu Weds Manu」(2011年)、「The Dirty Picture」(2011年)、「Kahaani」(2012年)などかなり増えて来た。この「Aiyyaa」も女性向け映画にカテゴライズして支障ないだろう。
「Aiyyaa」を見て、まるで少女漫画を読んでいるような、完全に女性視点の恋愛物語だと強く感じたが、驚いたことに監督も脚本もサチン・クンダルカルで、男性が書き男性が撮った映画であった。特に好きな男性の匂いに執着する部分、夢想・妄想の内容、好きな人と話すためタミル語を勉強し始めるところなどは、女性の発想力だと思ったが、サチン・クンダルカル監督の構想の一部であった。
大まかなプロットには特に目新しいものはない。娘の結婚を急ぐ家族と、恋愛結婚を夢見る少女。お見合い結婚の相手が決まるが、一目惚れした男性に片想いし続ける。婚約式の土壇場で好きな男性との結婚を貫く。全くもって王道のインド恋愛映画だ。しかしその味付けがヘンテコだった。まずキャラクター。ぶっ飛んだキャラばかりで、ほとんど正常な登場人物がいない。特に主人公ミーナークシーの同僚マイナーは今までのヒンディー語映画であまりない強烈なキャラだ。ジョン・アブラハムに傾倒し、自宅もジョン・アブラハムだらけ。職場にアバンギャルドなファッションで現れ、ウォッカを飲みながら仕事をする。挙げ句の果てにミーナークシーの婚約式の日にミーナークシーの弟ナーナーと強引に婚約してしまう。ミーナークシーの祖母も、車椅子で走り回りながら訳の分からないことを叫ぶ変なキャラだし、犬マニアのナーナーも十分変である。この辺りはカトリーナ・カイフのデビュー作にして世紀の失敗作「Boom」(2003年)と似たものがある。
ミーナークシーが片想いをする相手がタミル人というのも珍しい設定だ。タミル人俳優がヒーローを務めることはそんなに珍しくないのだが、タミル人の男性に恋する北インド人女性の物語は他にあまり思い付かない。しかもその恋心は彼女にタミル語まで学ばせてしまう。
さらに、ミーナークシーの夢や妄想を通して、過去のインド映画音楽のパロディーで物語を彩っている。単に懐メロを散りばめているだけでなく、それぞれのパロディーに主人公の心境の変化を込めている。最初は「Mr. India」(1987年)、「Qayamat Se Qayamat Tak」(1988年)、「Chaalbaaz」(1989年)などギンギラな80年代ヒット作のパロディーから入り、方向性のない夢を象徴する。次にタミル人青年スーリヤとの出会いがあり、彼女の妄想には南インド色が加わる。なんちゃってタミル語歌詞の曲「Dreamum Wakeuppam」と共に、ミーナークシーはシルク・スミタに成り切ってスーリヤと共に妖艶な踊りを踊る。また、お見合い結婚相手となったマーダヴの趣味も入り、今度は「Saath Saath」(1982年)の中のジャグジート・スィンが歌う名曲「Tum Ko Dekha Toh Yeh Khayal Aaya」が流れる。このように、ミーナークシーの心境の変化は映画音楽と共に表現されて行く。
本筋はシンプルで、味付けがヘンテコ。それに加えて最後のまとめ方は多少乱暴だった。スーリヤが突然ミーナークシーにプロポーズするところは、もう少し伏線が欲しかったものだ。これらの要素から、本当ならばもっとしょうもない映画になっていたはずだが、絶妙なバランスの中で何とか見られる映画に収まっている。これはマラーティー語コメディー映画の特徴なのか、それとも監督の手腕なのか、判断しかねるが、「Aiyyaa」に限って言えば、こういう映画もたまにはいいかと思わせるものがある。
久々の主演となったラーニー・ムカルジーは、絶頂期だった頃に「Bunty Aur Babli」(2005年)などで見せたはつらつとした演技を再度披露。まだまだヒロイン女優として現役であることを見せ付けた。下手すると馬鹿に見えるような演技も、可愛く演じ切ったと言える。
女性中心の映画で、プリトヴィー演じるスーリヤは、あまり台詞もないし、無言の迫力で魅せるシーンが大半であった。最後に急に柔和な笑顔を見せていたが、それを見ると無言の場面の方が貫禄があって良かったと感じた。まだヒンディー語映画界での潜在能力は未知数だ。
脇役の中でもっとも気になるのが、マイナーを演じたアニター・ダーテーであろう。「Zor Lagaa Ke… Haiya!」(2009年)という映画に出演していたようだが、未見なので今回初めて見た。レディー・ガガのインド版「ガガ・バーイー」を勢いで演じ切った感じだ。彼女についてはあまり情報がないのだが、ヒンディー語映画の中で女性のプレゼンスが高まっているので、このような女性体当たりコメディアン的なキャラにも今後スポットライトが当たって行くのではないだろうか。
音楽はアミト・トリヴェーディー。ヴァイバヴィー・マーチャントによる振り付けと共に、非常に派手な歌と踊りが散りばめられた映画だった。アミト・トリヴェーディー色がもっとも強いのは「What To Do」だ。聞いただけで彼の曲だと分かる。その他にも「Dreamum Wakeupum」や「Aga Bai」など、変わった曲が多い。音楽はこの映画の長所のひとつである。
「Aiyyaa」は、完全に女性視点の王道ロマンス映画だが、それだけでは語り切れないユニークな味付けがなされたヘンテコ映画だ。本筋とはあまり関係ない部分に力を入れ過ぎな嫌いもあるが、片想いする女性の心境を妄想の映像化と共にゆっくり丁寧に描いており、一応楽しめる作品となっている。ラーニー・ムカルジーの久々のはつらつとした演技にも注目だ。