Kalpana

4.0
Kalpana
「Kalpana」

 ウダイ・シャンカルは、今でこそ「スィタール奏者ラヴィ・シャンカルの兄」として紹介されることが多いが、実際にはラヴィに勝るとも劣らない功績を残した芸術家である。ベンガル人ではあるが、父親の仕事の関係で1900年に英領インドのウダイプル藩王国で生まれ、ボンベイのJJ芸術学校やデリーのガンダルヴァ大学で学んだ後、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに留学した。ラヴィより20歳年上である。ウダイは絵画にも才能を発揮したが、一般的には舞踊家として名を知られている。しかしながら、インド古典舞踊のいずれの流派にも属していない。ヨーロッパ滞在中にバレエなどの西洋ダンスに触れ、印洋折衷の現代的なフュージョンダンスのスタイルを作り上げた。インド古典舞踊復興への彼の貢献も計り知れないものがあり、欧米にインド舞踊を紹介したり、舞踊学校を立ち上げて舞踊家の育成をしたり、若い芸術家の支援をしたりした他、インド舞踊をステージパフォーマンス化して普及させたのもウダイだといわれている。彼が育てた芸術家の中には、弟ラヴィはもちろんのこと、映画監督グル・ダットや女優ゾーラー・セヘガルなど映画界のビッグネームが含まれている。

 ウダイは生涯に一本だけ映画を撮っている。それが「Kalpana(想像)」である。1938年に彼がアルモーラー近くに創立した芸術学校ウダイ・シャンカル・インド文化センターが財政難のために1942年に閉鎖になると、彼は南インドに向かい、教え子たちを起用して、自らプロデューサー、監督、主演などを務めて、野心的な映画を作り上げた。この作品はインド独立後の1948年2月13日に公開されたとされているが、1945年頃から制作が開始されており、1947年には完成していたという。よって、インド独立前に作られた映画であることが分かる。言語は基本的にヒンディー語である。

 ウダイ・シャンカルが主演を務め、ウダイの妻アマラー・シャンカルがヒロイン、タミル人女優ラクシュミーカーンターがサブヒロインを演じている。その他、クレジットで目に留まったのは台詞作家と作詞家だ。ヒンディー語文学作家アムリトラール・ナーガルが台詞、詩人スミトラーナンダン・パントが作詞を担当している。

 2024年1月5日から2月4日まで国立映画アーカイブにて「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」が開催され、イタリアのボローニャにあるチネテカ・ディ・ボローニャ財団やその傘下にあるリマジネ・リトトバータが復元した世界各国の映画が上映された。そのラインナップのひとつにウダイ・シャンカルの「Kalpana」が含まれており、1月13日に「カルプナー」の邦題と日本語字幕と共に上映された。それを鑑賞することができた。

 「Kalpana」は、多重露出などの特殊効果によって幻想的な映像が作り出されており、時代をかなり先取りした前衛的な作品である。また、ウダイの自伝的な作品でもある。彼は生涯にこの映画しか撮らなかったが、観て感じたのは、むしろ彼は新たに映画を作る必要がないくらいにこの一本に全てを注ぎ込んだということだ。「Kalpana」には、インド各地の多種多様なダンスがちりばめられている他、政治、社会、文化など、あらゆる分野に関する彼の主張が詰め込まれている。公開当時、評論家から絶賛されたとされてはいるが、一般受けするような類の映画ではなく、実際に興行的には振るわなかったようだ。

 映画は枠物語の構成になっており、外枠は、カルカッタにてとある脚本家が映画スタジオに映画の企画を持ち込み、社長に内容を聴かせるが、受け入れられず拒絶され、絶望するというものだ。その映画スタジオは興行収入至上主義を採っており、客受けのいい男女の恋愛などがない映画を作ろうとはしなかったのである。

 この外枠部分のストーリーにはほとんど時間が割かれておらず、あまり意味がない。意味があるとしたら、儲け主義に走り、芸術を蔑ろにする映画業界への批判がなされているということぐらいだ。2時間半以上あるこの作品の大部分は、この脚本家が語るストーリーの内容になる。

 その物語の主人公はウダヤンという舞踊家であり、これをウダイ・シャンカルが演じている。ウダヤンは農村に生まれ、芸術の才能を見出されてバナーラスに向かい、そこで舞踊家としての人生を歩み始める。ウダヤンの前には2人の女性が現れる。ウマーとカーミニーである。ウマーを演じるのがアマラー・シャンカルであり、カーミニーを演じるのがラクシュミーカーンターだ。ウマーも舞踊家であり、気丈ながら思いやりもある理想的な女性として描かれている一方、カーミニーは練習嫌いで嫉妬深いトラブルメーカーとして描かれている。両者はウダヤンに恋をするが、最終的にはウマーがウダヤンと結ばれることになる。

 舞踊家として大成したウダヤンは資産家からの資金援助を受けてヒマーラヤ山脈の山中に芸術学校を創設する。ところが収入を考えない放漫経営だったためにすぐに資金を食い潰してしまう。そこでウダヤンはインド中から舞踊団を招聘してダンスフェスティバルを開催する。複数のマハーラージャーを呼び、彼らから多額の恩賜金を当て込んだのである。フェスティバルは盛大に開催され、様々なパフォーマンスが披露される。途中、ウダヤンは倒れてしまうが、意識を取り戻して復帰し、何とかこのフェスティバルを成功させる。脚本家が語るストーリーの簡潔な筋書きはこのようなものだ。

 このストーリーの中にはいくつものダンスが織り込まれる。クライマックスのダンスフェスティバルはもちろんのこと、そこに至るまでも必要以上に多くのダンスシーンが差し挟まれる。ダンスの合間に申し訳程度にストーリーが進行すると表現した方が正しいくらいだ。基本的にはダンスを見せたい映画である。さらに、ストーリーとダンスの間にウダイ自身の様々な思想や主張がかなり唐突な形で差し挟まれるのである。

 たとえば、インド各地域の人々がお互いを誹謗中傷し合っている姿を映し出し、同じインド人として団結する大切さが語られている。主題は多岐にわたり、カースト制度、男尊女卑、辺縁地域差別、封建主義、資本家による労働者搾取、舶来品嗜好などが時に独創的な映像やダンスを介して槍玉に挙げられ、批判される。

 もっとも強調されていたと感じたのは芸術の振興だ。ウダイはウダヤンの声を借りて、インド各地に国立の劇場を作り、芸術を振興すべきと主張する。ウダイは若い頃、著名なロシア人バレリーナ、アンナ・パヴロワと共に欧米で公演を行い、各地の壮麗な劇場を目の当たりにしてきた。きっと、インドにおいて舞台芸術を振興するためには、欧米に見劣りしない規模の劇場を作る必要があると痛感したのだろう。彼は「ヴァサントーツァヴァ(春祭)」と称したダンスフェスティバルのシーンにて、ヨーロッパ的な劇場を視覚的に作り出し、観客の前に提示している。

 「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーにも言及があったが、まだ存命中という前提の言い方だった。ガーンディーが暗殺されたのは独立から半年後の1948年1月30日である。この点からも、この映画が独立前に作られ、完成していたことが分かる。

 「Kalpana」は、インド映画の本流から全く外れたところから突然変異的に現れた作品であり、しかもその後に続くものがなく、系譜が途絶えてしまっているが、そのユニークさと斬新さから、必ず記憶に留めるべき作品だ。ただ、映画の素人が情熱だけで作り上げてしまっただけあって、弱点も散見される。あまりにダンスに力を注ぎすぎていてストーリーの連続性が脆弱であるし、ウダイを含め、俳優たちの演技もあまりに舞台劇的すぎて、映画としての自然な観賞体験を損ねている。大部分がスタジオでセットを使った撮影であるが、そのセットは、芸術家の作った映画にしては安っぽいものが多かった。資金の問題であろうか。編集もお世辞にも上手とはいえない。

 それでも、1940年代に作られたとは思えないほど斬新な映像と多様なダンスが次から次へと繰り出されるため、飽きることはない。今後も日本語字幕付きでこの類い稀な作品が鑑賞できる機会が何度か作られることを祈りたい。