現代インドの明るい側面が日本で紹介されるとき、必ず触れられるのが名門インド工科大学(IIT)の狭き門と、そこから輩出される無数の有能な理系人材のサクセスストーリーだ。確かにインドは理数系人材の育成に力を入れており、エンジニアは一番人気の職業である。ところが、工科大学の数が増えすぎ、卒業生の数に見合った数の職業が準備できていないことはあまり触れられていない。特にタミル・ナードゥ州では、工科大学卒人材の就職難がインドでもっとも深刻であり、社会問題になっている。
2014年7月18日公開のタミル語映画「Velaiilla Pattadhari(無職の大卒)」は、タミル・ナードゥ州の無職エンジニアを題材にしている。監督は新人のヴェージラージ。彼の本業は撮影監督であり、ヒンディー語映画「Phir Hera Pheri」(2006年)などでも撮影監督を務めている。ただし、メインフィールドはタミル語映画界だ。
主演はダヌシュ。彼は映画のプロデューサーも務めている。ヒロインはアマラー・ポールとスルビー。他に、サランニャー・ポンヴァンナン、サムティラカニ、ヴィヴェーク、リシケーシュ、アミターシュ・プラダーンなどが出演している。また、ヴェールラージ監督自身もカメオ出演している。
ラグヴァラン(ダヌシュ)は大学で土木工学を学んだが、建築関係の会社に就職できず、4年間無職だった。3歳年下のカールティク(リシケーシュ)は既にIT起業に就職し稼いでいた。父親のクリシュナムールティ(サムティラカニ)は何かとラグヴァランをカールティクと比較し、ラグヴァランは自尊心を傷付けられていた。しかしながら、母親のブヴァナー(サランニャー・ポンヴァンナン)はラグヴァランを励まし続けた。 ある日、隣に新しい家族が引っ越してくる。ラグヴァランはその家の娘シャーリニー(アマラー・ポール)と仲良くなる。シャーリニーは歯医者をし、月に20万ルピーも稼いでいたが、ラグヴァランに好意を抱くようになる。あるときラグヴァランとシャーリニーはデートに出掛けるが、そのとき家で留守番をしていたブヴァナーが心臓発作で倒れ、そのまま死んでしまう。ラグヴァランは母親の死の責任を感じ悲しむ。 ブヴァナーの肺を提供され回復したアニター(スルビー)は父親ラームクマールと共にラグヴァランの家を訪れお礼を言う。ラームクマールは建築会社の社長であり、その縁でラグヴァランはその会社に就職することになる。ラグヴァランは才能を発揮し、わずか半年でプロジェクトを任される。そして貧困者向けの公営住宅団地の建設プロジェクトを率いることになる。 大手建設会社の御曹司アルン・スブラマニヤム(アミターシュ・プラダーン)は入札に負けたことでラグヴァランに因縁を付けるようになる。かつてラグヴァランはアルンの会社に面接で訪れ落とされていたことがあった。アルンはラグヴァランの仕事を何度も妨害する。労働者が建設現場に来なくなってしまったのもアルンの差し金だったが、ラグヴァランがFacebookの「無職の大卒」グループで助けを呼びかけると、多くの無職の大卒が駆けつけ、スラム住人たちと共に工事を進めた。 アルンはとうとう大勢のチンピラを建設現場に送り込み、力尽くで工事を止めようとする。多くの仲間たちが負傷し入院し、一人は瀕死の重傷を負う。ラグヴァランはニュース番組のインタビューでは首謀者の名前を出さなかったが、アルンの会社に乗り込み、彼の父親に直談判する。ラグヴァランはアルンが関与を認めた発言を密かに録音し、彼を殴って、仲間たちに謝罪するように要求する。アルンは謝罪し、一件落着となったかに見えた。 工事が終わり、竣工式が行われた。アルンは待ち伏せして、竣工式に向かうラグヴァランに暴行を加えようとするが、ラグヴァランに返り討ちに遭う。それでもラグヴァランはアルンには手出しをせず、彼を竣工式に招待し、一緒に会場に向かう。
せっかく多額の学費を費やして大学を卒業し学位を取得しても、それに見合った職がないというタミル・ナードゥ州の厳しい現実を、娯楽映画のフォーマットで分かりやすく提示した作品である。職を選ばなければ食い扶持にはありつける。主人公のラグヴァランも一時的にコールセンターで働いた。だが、彼には建築家になる夢があり、目先の就職難に屈して夢を諦めたくないという強い意志があった。
また、ラグヴァランは誠実かつ頑固な人物としても描かれていた。彼は建築基準を守った建築物を建てることにこだわり、タミル・ナードゥ州の建築業界で横行する不正に決して与しようとしない。彼は確かに無職ではあったが、ふてくされて腐ってしまうこともなく、悪いことは悪いと言い切れるだけの誠実さと勇気、そしてちょっぴりの頑固さがあり、母思い、弟思いの人格者であった。ヒロインのシャーリニーも、大卒の無職という屈辱的な現状に自信を失いかけている彼の内面に隠れた人間性を見抜き、彼に惚れたのだろう。見た目弱そうなのだが戦うと滅法強いという設定はタミル語映画のお約束で、突っ込むだけ野暮だ。
ただ、ラグヴァランは途中から無職ではなくなる。建築会社に就職できたのだ。そのきっかけは偶然だった。母親が急死し、彼女の臓器は必要とする人々に提供されたが、肺のレシピエントになったのがセカンドヒロインのアニターで、彼女の父親が建築会社の社長だったのである。この脚本では、ラグヴァランは自身の努力ではなく、母親の死という犠牲と、それが転じて成った強運によって職を得たことになり、彼と同じ境遇にいる人々の慰めにはあまりならないだろう。
就職してからすぐに才能を認められ、プロジェクトリーダーに抜擢されるという流れは、あまりに短絡的だ。Facebookで無職の大卒を集めて、労働者不足に陥った工事を進めるという下りも、時代を反映していて面白い反面、細部を無視したやっつけ仕事のように感じた。言い換えれば、ラグヴァランが無職でなくなった途端、映画の雰囲気がガラリと変わり、陳腐化してしまうのである。
さらに大きな欠点は、恋愛部分がほったらかしになって終わっていたことだ。ラグヴァランは隣に住む美女シャーリニーと仲良くなり、母親の肺を持つアニターに見初められて就職する。通常ならば、三角関係となって一悶着あるはずだが、不発のままでエンディングを迎えてしまった。ロマンス映画ではないのでこの部分に時間を割きすぎる必要はないが、きちんと着地をさせて欲しかった。
主演のダヌシュは、ボディービルダーばかりになってしまった昨今のインド各映画界において、筋肉に頼らない存在感を維持している貴重な俳優だ。抜群の演技力と器用なダンススキルを持っており、庶民的な役を演じることに長けている。挿入歌の中には彼が自分で歌っているものもある。「What a Karavad」もそんな曲のひとつだが、これは「3」(2012年)の挿入歌で、YouTubeで全国的に話題になった「Why This Kolaveri Di」の焼き直しとしか思えない。
メインヒロインのアマラー・ポールは、ディーピカー・パードゥコーンに似た美人だ。佇まいがとても良かった。ケーララ州生まれでタミル語は得意でないようで、彼女の声は声優によって吹き替えられている。だが、ダヌシュに勝るとも劣らない存在感を示していたのは、母親ブヴァナーを演じたサランニャー・ポンヴァンナンだ。優しさと厳しさを併せ持つ理想の母親像を体現しており、無職であることを悩む息子をひたすら励まし続けるその姿には心を打たれる。
「Velaiila Pattadhari」は、苦労して学位を取得しても就職が難しいという社会問題を娯楽映画のフォーマットで訴え、世に議論を投げ掛けた意義深い作品だ。大卒の無職若者を哀愁を醸し出しながら演じた主演ダヌシュの好演も光る。ただ、ロマンス部分が弱く、主人公が無職でなくなった後半に失速する。観て損はない映画であることには変わりがない。