Ishq-e-Nadaan

4.0
Ishq-e-Nadaan
「Ishq-e-Nadaan」

 2023年7月14日からJioCinemaで配信開始された「Ishq-e-Nadaan(無知な恋)」は、ムンバイーに住む複数の男女の関係性が同時並行的に描かれるオムニバス風ロマンス映画である。アヌラーグ・バス監督の「Life In A… Metro」(2007年)を思わせる作りだ。

 監督はアヴィシェーク・ゴーシュ。ベンガル語映画を中心に映画のプロデューサーを務めていた人物で、過去に短編映画も撮っているが、長編映画の監督は今回が初である。キャストは、モーヒト・ライナー、ラーラー・ダッター、ニーナー・グプター、カンワルジート・スィン、シュリヤー・ピルガーオンカル、スハイル・ナイヤル、ムリナール・ダット、ディーピカー・アミーン、ガウラヴ・シャルマー、サンヴェードナー・スワールカーなどである。

 ムンバイーのホテルに勤務するアーシュトーシュ・ラーネー(モーヒト・ライナー)は、4年前に妻を亡くし、娘のピーフーと共に古いアパートに住んでいた。そのアパートでは取り壊しが始まっており、アーシュトーシュは引っ越し先を見つけなければならなかったが、妻との思い出に満ちたその家を手放すのをためらっていた。ピーフーはパンチガニーの全寮制学校に進学した。アーシュトーシュの勤めるホテルには、著名な女性実業家ラモーナー・スィン(ラーラー・ダッター)がよく宿泊していた。アーシュトーシュはラモーナーとよく会話を交わすようになる。ラモーナーは独身だった。

 ピーユーシュ(スハイル・ナイヤル)はムンバイーのコンサルタント会社に勤務する独身男性で、毎週末は母親レーカー(ディーピカー・アミーン)が決めたお見合い相手とのお見合いを繰り返していた。だが、ピーユーシュは主夫希望で、お見合いした女性たちから拒絶され続けていた。ピーユーシュは、米国からムンバイーに移住してきたばかりのスィヤー(シュリヤー・ピルガーオンカル)と仲良くなる。スィヤーは妊娠していたが、ムンバイーで仕事を探していた。同棲相手のラーガヴ(ムリナール・ダット)は米国に置き去りにしており、妊娠も伝えていなかった。ピーユーシュはスィヤーに惹かれるようになり、彼女にこのまま一緒に住みたいと申し出る。だが、同時にラーガヴに妊娠のことを伝えるべきだと助言する。そしてスィヤーに黙ってラーガヴをムンバイーに呼ぶ。勝手な行為にスィヤーは憤る。

 チャールラター(ニーナー・グプター)はムンバイーの高級アパートに住む娘夫婦に呼ばれてインドールからやって来た。チャールラターの夫プリータムは既に亡くなっていた。同じアパートに映画監督スバーシュ・カプール(カンワルジート・スィン)が住んでおり、チャールラターは彼と親しくなる。

 アーシュトーシュはいつの間にかラモーナーに恋心を抱くようになっていた。娘からも後押しされ、アーシュトーシュは彼女に告白をする。すると、ラモーナーは、自分がよくこのホテルに泊まっていたのは、パートナーのバールガヴィーと密会するためだったと明かす。その後、ラモーナーは決心してムンバイーでバールガヴィーと同居するようになった一方、アーシュトーシュはイタリア旅行が当たり、ローマで憧れだったジェラートを食べる。

 チャールラターは昔、亡き夫とイタリア旅行をしたことがあった。夫と喧嘩してホテルを飛び出し、とりあえず入ったカフェで一人のインド人男性と出会い、意気投合する。それ以来、誕生日にその男性から詩が送られてきていた。その話を聞いたスバーシュは、その男性に会いにいくことを提案する。チャールラターは躊躇いながらもスバーシュと家を出る。彼らが辿り着いたのはスィヤーの家だった。

 実はスィヤーはアーシュトーシュの娘ピーフーだった。そして、アーシュトーシュこそチャールラターがイタリアで出会った男性だった。そして、アーシュトーシュは4年前に亡くなっていたが、ピーフーは父親の遺言に従って、毎年チャールラターの誕生日に、彼が書き残した手紙を送っていたのだった。そのときスィヤーは産気づき、スバーシュとチャールラターに連れられて病院へ行く。スィヤーは男児を産み、ラーガヴはピーユーシュに彼女を託す。

 主に3つのエピソードが同時並行的に語られる。それらに共通しているのは、少し変わった人間関係であることと、ムンバイーを舞台にしていることぐらいだ。そして、それぞれのエピソードは途中まで全く交錯しない。だが、最後の最後でこれらがひとつにまとまる。ミソになっているのは、アーシュトーシュとラモーナーのエピソードだけ時代がずれていることだ。ピーユーシュとスィヤーのエピソードと、チャールラターとスバーシュのエピソードの時間軸は現代であり、しかも同時代であるが、アーシュトーシュとラモーナーのエピソードはおよそ15年前のものになる。しかも、アーシュトーシュはスィヤーの父親であり、アーシュトーシュのエピソードで「ピーフー」という名前で出て来る少女こそがスィヤーであった。インド人は本名の他にペットネーム(家の名前)を持つことが普通で、おそらく「ピーフー」というのは彼女のペットネームだったのだろう。

 「Ishq-e-Nadaan」で描かれる人間関係は、どれも普通の枠組みでは捉えられないものだ。妻を亡くし、娘を男手ひとつで育てるアーシュトーシュは、勤務するホテルの常連客で、著名な女性実業家ラモーナーに恋をする。だが、ラモーナーは同性愛者であり、彼の告白を拒絶する。もっとも、アーシュトーシュもラモーナーと結ばれようとは考えておらず、ただ想いを伝えたかっただけだった。しかしながら、その行為がラモーナーに影響を与える。今まで彼女はパートナーのバールガヴィーとの関係をひた隠しにしていたが、勇気を持って、彼女と同居することにしたのだった。ちなみに、まだこの時代のインドでは同性愛は犯罪だった(参照)。

 ピーユーシュは主夫志望の男性であり、それ故にお見合いでは振られてばかりだった。この時代においても、女性たちは稼いでいる夫を求めていたからだ。ピーユーシュは偶然出会って仲良くなったのがスィヤーだった。彼女は米国から帰ってきたばかりで、ムンバイーで職探しをしていた。米国ではラーガヴというインド人男性と同棲をしていたが、彼と喧嘩してムンバイーに移住した。ラーガヴは同僚だったが、彼の方が出世したことに嫉妬しての喧嘩だったと後で明かされる。スィヤーは自立心の強い女性ではあったが、実のところ、相手を負かせることが好きな利己的な女性だった。また、彼女はラーガヴとの間にできた子供を身籠もっていた。妊娠に気付いたのは米国を出てからだったため、ラーガヴにはそのことを伝えていなかった。普通ならば、そんな彼女を受け入れる男性はそういない。だが、元々主夫を志望していたピーユーシュは、彼女となら一緒に生活ができそうだと感じる。スィヤーもピーユーシュとの生活を受け入れようとするが、彼は曲がったことが嫌いな性格で、ラーガヴに妊娠のことを伝えるべきだと助言する。このお節介が二人の間に亀裂を生じさせる。

 チャールラターは夫を亡くし、娘夫婦とムンバイーで同居を始める。同じアパートに住む変人スバーシュと仲良くなり、彼の話術に引き込まれる。スバーシュは、自分の人生を生きるべきだと彼女に訴え、彼女も夫以外に惹かれた男性の話をし始める。その男性はイタリア旅行中に出会ったインド人で、それ以来、彼女の誕生日に詩を送ってくれていた。その男性はムンバイー在住だった。スバーシュは彼女を連れてその男性に会いに行く。それがアーシュトーシュだったのだが、彼は既に亡くなっていた。

 どれも普通の恋愛ではなかったが、恋愛に関して多くの教訓を与えてくれる映画だった。恋に落ちた者は、どんな状況であっても、勇気を持ってそれを受け入れ、相手に想いを伝えるべきであること、人間関係は勝ち負けではなく、お互いに支え合うべきものであること、そして他人のために尽くすあまり自分の人生を見失ってはいけないことなどなどである。

 2000年代、マルチプレックスの普及に伴ってヒンディー語映画は都会向けに洗練されていった。冒頭でも言及した「Life In A… Metro」は、この時代のヒンディー語ロマンス映画の代表作だ。そのときに到達したロマンス映画の高みをこの「Ishq-e-Nadaan」は再び目指そうとしているかのような作品だった。スタイリッシュな作りながら、どこか懐かしい印象を受けた。そういえば、アーシュトーシュとラモーナーのエピソードの時代はちょうど「Life In A… Metro」の公開前後だと思われる。

 俳優陣にスーパースターはいなかったが、適材適所の配役だと感じた。モーヒト・ライナー、スハイル・ナイヤル、シュリヤー・ピルガーオンカルなど、若手の俳優たちが光っていたし、ニーナー・グプターやカンワルジート・スィンのような年配の俳優たちも存在感を示していた。デビュー当初はセクシー要員という印象が強かったラーラー・ダッターも、年を取っていい演技ができるようになった。

 「Ishq-e-Nadaan」は、ここ最近のヒンディー語映画の中ではトップクラスによくできたロマンス映画である。とはいっても、通常のボーイ・ミーツ・ガール的な恋愛は全くなく、どちらかといえば大人の恋愛が複数描かれる。必見の映画である。