Mirchi (Telugu)

3.5
Mirchi
「Mirchi」

 2013年2月8日公開のテルグ語映画「Mirchi(トウガラシ)」は、「Baahubali」シリーズ(2015年2017年)に出演していたプラバース、アヌシュカー・シェッティーなどが出演しているアクション映画である。「Baahubali」シリーズの人気にあやかって日本でも自主上映会などで上映され、JAIHOでも配信されることになった。2023年7月6日に日本語字幕付きで鑑賞した。

 監督はコラタラ・シヴァー。長らく台詞作家をしており、この作品が監督第1作である。主演は前述の通りプラバース。ヒロインは2人いる。アヌシュカー・シェッティーとリチャー・ガンゴーパーディヤーイである。どちらがメインヒロインか微妙なところだが、最後に主人公と結ばれる方だとすればアヌシュカーになる。他に、サティヤラージ、ナディヤー・モーイドゥ、ブラフマーナンダム、サンパト・ラージ、スッバラージュなどが出演している。また、コレオグラファーのラージュー・スンダラムが「Yahoon Yahoon」に特別出演している他、ハンサー・ナンディニーがアイテムソング「Mirchi」にアイテムガール出演している。

 イタリアのミラノでジャイ(プラバース)はマナサー(リチャー・ガンゴーパーディヤーイ)と出会う。ジャイはマナサーにプロポーズをするが、マナサーは、故郷で殺し合いが起こっていると答える。ジャイは突然姿を消す。

 ハイダラーバードのインド文学科学研究大学にジャイは留学し、そこでプールナ(スッバラージュ)と仲良くなる。プールナの故郷はアーンドラ・プラデーシュ州パルナードゥ県のイラガヴァラム村だった。大学の長期休暇にジャイはプールナと共にイラガヴァラム村を訪れ、彼の家に宿泊することになる。彼の一家はイラガヴァラム村の地主であり、プールナは実はマナサーの従兄だった。ジャイはマナサーと再会する。

 プールナの一家は、隣のレンタチンタラ村の地主デーヴァ(サティヤラージ)の一家と血で血を洗う抗争を繰り広げていた。だが、ジャイはプールナをはじめ血気盛んな一家の年長者を懐柔し、彼らに愛を伝道する。だが、プールナの叔父ウマー(サンパト・ラージ)はもっとも過激で、復讐を止めようとはしなかった。ウマーはデーヴァを罠にはめて殺そうとするが、ジャイがそれを阻止する。

 実はジャイはデーヴァの息子だった。ジャイはマナサーに自分の過去を語り出す。

 ジャイは2歳の頃、父親のデーヴァ、母親のラター(ナディヤー・モーイドゥ)と共にムンバイーに暮らしていた。デーヴァがラターとジャイを連れて村に里帰りしたところ、彼らは早速ウマーたちに襲撃される。ラターはすぐにムンバイーに帰ろうとするが、デーヴァはレンタチンタラ村を暴力の連鎖による滅亡から救うため、村に残ることを決意する。ラターはデーヴァと別れ、ジャイと共にムンバイーで暮らすことになった。

 成長したジャイは、母親からデーヴァのことを聞き、レンタチンタラ村を訪れる。だが、ジャイはウマーたちの襲撃に対して暴力でもって反撃したため、デーヴァが抑えていた暴力の連鎖が再び始まってしまう。ジャイは従姉妹のヴェンネラ(アヌシュカー・シェッティー)と結婚することになり、ムンバイーから母親を呼び寄せるが、そのときにウマーたちの襲撃を受け、ラターは殺されてしまう。ジャイは、暴力の連鎖を呼び覚ましたジャイを村から追い出す。それ以来、ジャイは村に戻らず、イタリアにいたが、マナサーと出会い、故郷で未だに殺し合いが行われていることに心を痛め、敵に接近することを決めたのだった。

 ジャイはウマーに自分の正体を明かす。ウマーはジャイを殺そうとするが、ジャイは敵を愛し、敵を許すことをウマーに教える。最後にはウマーもジャイを認める。そこへ駆けつけたデーヴァもジャイが殺し合いを止めたことを賞賛する。

 「Mirchi」は基本的に、テルグ語映画が得意とする、農村での血で血を洗う抗争の映画だ。舞台となっているパルナードゥ県はアーンドラ・プラデーシュ州に実在しているが、当地で本当にこのような抗争が繰り広げられているのかは不明である。アーンドラ・プラデーシュ州南部、俗に「ラーヤラスィーマー」と呼ばれる地域では、「ファクション」と呼ばれる封建主義的な派閥の間の抗争が横行しているとされるが、パラナードゥ県はラーヤラスィーマーには含まれない。それでも、隣接する村の地主たちがお互いを敵視し、手下を従えて殺し合いをする様は、ファクショナリズムそのものである。

 ところが「Mirchi」は暴力を礼賛した映画ではなかった。逆に、暴力の連鎖を止め、愛と許しでもって平和を築き上げることを訴える非暴力主義の映画であった。その伝道師となるのが主人公のジャイである。

 ジャイは当初、暴力には暴力で立ち向かう主義だった。だが、地域に平和をもたらすため、暴力に対して忍耐で臨んでいた父親デーヴァがせっかく沈静化させていた村同士の抗争を、ジャイは再燃させてしまう。デーヴァは息子を村から追い出す。

 ジャイは、暴力ではなく愛でもって争いを収めることを学ぶ。そして、今度は正体を隠して敵の家に客人として入り込み、内側から敵の心を変えていく作戦を採るのである。

 ジャイが採った手段は、デーヴァと似ていたが違っていた。デーヴァはひたすら暴力に耐えていればいつか暴力はなくなると信じていた。だが、敵対するウマーの横暴振りは酷くなるばかりだった。それに対しジャイは、自ら敵の懐に飛び込んでいって、積極的に心変わりをもたらす触媒になった。マハートマー・ガーンディーの非暴力主義も、決して暴力に対して黙って耐え忍ぶものではなかった。平和的手段で抵抗をし、自分たちの正しさと相手の不正を明らかにして、良心に訴えることで心変わりを促そうとした。

 この映画が撮影に入る前の2011年には、インド全土で社会活動家アンナー・ハザーレーによる汚職撲滅運動が巻き起こった。「現代のガーンディー」と呼ばれたハザーレーは、ハンガーストライキによってインドの汚職撲滅を実現しようとした。「Mirchi」からは、当時のインドにおける社会情勢の影響を感じる。

 ジャイがミラノからハイダラーバードへ、そして故郷のパルナードゥ県へと戻った第一の理由は、この地域の殺し合いを止めることだった。序盤では、彼はヒロインの一人マナサーを追いかけてきたのかと思わされるが、残念ながら彼女は副次的な理由でもなかった。敵対する家同士の男女が恋に落ちるというのは「ロミオとジュリエット」以来、よくある筋書きであり、その対立を乗り越えて男女が結ばれるというのも陳腐ではあるが好まれる結末だ。しかし、「Mirchi」は敢えてそういう安易な道を選ばない。ジャイが結ばれるのは敵対する家の娘マナサーではなく、従兄妹関係になるヴェンネラであった。ヴェンネラは回想シーンに登場し、ジャイと結婚直前までいくが、その後は全く登場しなくなる。ジャイとの結婚式が中断された後ヴェンネラがどうなったのかよく分からないし、故郷に戻ったジャイがヴェンネラにこっそり会いに行くこともしない。よって、この二人が最後に結ばれるのは唐突に感じた。ヒロインの使い方はこの映画の大きな欠点であり、ロマンス映画としては非常に弱い作品だと評価せざるをえない。

 「Baahubali」シリーズを観た後にこの「Mirchi」を観ると、プラバースは全く別人に見える。確かにアクションシーンでは後に彼が演じることになる「バーフバリ」の片鱗を見出すことができるが、通常時の彼は外国帰りのちょっと生意気な青年だ。この頃からスターではあっただろうが、テルグ語映画界を超えた汎インドスターとしてのオーラは感じない。逆にいえば、「Baahubali」シリーズが彼のキャリアにとっていかに大きな転機だったのかを強く感じさせる作品だ。

 「Mirchi」は、血生臭いテルグ語映画としては異例の、非暴力的な結末が用意されたプラバース主演のアクション映画である。「Baahubali」シリーズで汎インドスターになる前のプラバースの若き姿を見ることができる。他にもアヌシュカー・シェッティーやスッバラージュなど、「Baahubali」シリーズに出演してた俳優たちもいる。ロマンス部分の弱さなど欠点はあるものの、「Baahubali」シリーズのファンには楽しみが多い作品であろう。