Gaon

3.0
Gaon
「Gaon」

 日本の敗戦を知らずにグアム島の密林に潜伏し続け、1972年にやっと発見された横井庄一という軍人がいた。2018年10月26日公開の「Gaon(村)」は、横井庄一の人生を彷彿とさせるような村が舞台の映画だ。1947年のインド独立を知らずに、ジャールカンド州の奥地で自給自足の生活をしてきた人々が発見され、そこに一気に貨幣経済が流れ込むという筋書きである。

 監督はガウタム・スィン・スィグダル。ほぼ無名の監督である。キャストは、シャダーブ・カマール、ネーハー・マハージャン、ゴーパール・K・スィン、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ、ローヒト・パータク、オームカル・ダース・マーニクプリー、シシル・シャルマーなど。主演のシャダーブは「B.A. Pass」(2012年)に出演していた俳優で、ヒロインのネーハーは主にマラーティー語映画で活躍してきた女優である。

 ムンバイーのインド銀行に勤めるバーラト(シャダーブ・カマール)の父親が急死した。父親の遺言に従い、バーラトは遺灰を故郷バーラト村の川に流すことになる。だが、バーラトはバーラト村など聞いたことがなかった。母親の指示に従い、バーラトはジャールカンド州の奥地をバーラト村を探して彷徨う。ある晩、バーラトは虎に襲われて逃げ出し、川に落ちた。目を覚ますと彼はバーラト村で看病をされていた。

 バーラト村は、英領時代に反英闘争に従事していた人々によって作られた村だった。外界との接触を一切断っており、昔ながらの自給自足の生活を送っていた。バーラトは、村長ヴァイドジー(ゴーパール・K・スィン)の家に厄介になり、その娘サーンゴー(ネーハー・マハージャン)の案内で村を巡る。だが、ヴァイドジーから、村の掟により、誰も村の外に出られないことを知る。バーラトは家に帰れずバーラト村で一生を過ごさなくてはならなくなってしまった。

 バーラト村では、マングラー(ローヒト・パータク)という男がヴァイドジーに挑戦していた。ソームラス競争という酒の一気飲み競争で決着が付けられ、勝った者がバーラト村の村長になることになっていた。ヴァイドジーはバーラトに、もしソームラス競争で自分に勝てば、村の外に出られないという掟も変えられると言う。競争では3人から成るチームを作らなければならなかった。バーラトはまずサーンゴーを仲間に引き入れ、次に科学者を自称するベールー(ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ)をチームに入れる。

 ソームラス競争でバーラトのチームは見事に勝利し、彼は村長に就任する。一旦ムンバイーに戻ったバーラトは、銀行の頭取にバーラト村のことを話し、村に銀行の支店を作ることを提案する。バーラトはバーラト村に戻り、村に初となる銀行を設立する。こうしてバーラト村に貨幣経済が導入されることになった。一方、ヴァイドジーはしばらく村を出て放浪することになる。

 村に銀行が開き、貨幣が流通するようになったことで、村にはTVやバイクなど文明の利器が一気に浸透した。人々は土地を抵当に入れて借金をし、それらのものを我先に手に入れた。だが、村人たちは借金を返済することができなかった。村全体が銀行によって差し押さえられてしまった。それを見てバーラトは自分の失敗に気付く。

 バーラトの努力も虚しく、バーラト村全体がオークションに掛けられることになった。ところが村人たちは忽然と消えてしまい、オークションは中止となった。バーラトがあちこち探し回るとサーンゴーだけが見つかった。村人たちは再び新天地を求めて消えてしまった。サーンゴーもバーラトを誘う。

 着想が非常にいい映画だった。インド独立を知らず、外界との接触を断って、自給自足の生活を続けてきた村が発見されるという導入部はワクワクする。このバーラト村は完全なる架空の村ではあるが、ジャールカンド州にある監督自身の故郷が着想源になっているようだ。まさか本当に外界から隔絶された村ではないだろうが、それと似たような孤立性が高い村なのであろう。インドには、山奥や密林の中にまだまだ桃源郷のような村が存在する。

 バーラト村で注目すべきは、貨幣とカーストがなかったことだ。人々は自分のしたい仕事をしており、食事は村の共同食堂で取っていた。仕事によって身分が決まることもなく、仕事をしない自由もあった。まるで共産主義者が理想とする共同体のようである。プドゥチェリーにあるオーロヴィルを連想する人もいるのではなかろうか。発展からは取り残されているものの、インドの伝統的な生活や価値観が保存されていた。

 ただ、全く争いがない平和な村というわけでもなかった。反骨精神のあるマングラーは村長ヴァイドジーにたてつき、村長の座を賭けて戦うことになっていた。反英闘争に従事してきた闘士たちの末裔であるため、武術の訓練は受けていたが、戦うといっても武器をもって戦うことはなかった。何で戦うかといえば、酒の一気飲みであった。牧歌的な戦い方である。ただ、これらの設定から推測されるのは、バーラト村を立ち上げた人々はマハートマー・ガーンディーとは異なる思想の下に反英運動をしていたであろうことだ。非暴力主義に固執している様子は見られなかったし、ガーンディーは飲酒をタブー視していた。

 そんな村に外部からバーラトが足を踏み入れることになり、バーラト村の習慣を批判的に観察する。例えば、バーラトが村に到着した後、妊婦が出産中に死んでしまった。バーラトは、現代医療を導入していれば救えた命だと主張し、頑なに外界との接触を避けるヴァイドジーを糾弾する。

 ヴァイドジーに代わって村長になったバーラトは、村に銀行を誘致し、貨幣経済を導入する。銀行マンとして手柄を立てたかったというのが一番の動機ではあるが、彼がバーラト村の発展を真剣に願っていた節もある。ところが、急速な発展はバーラト村を混乱に陥れてしまう。

 まず、村人たちは外部から突然やって来た文明の利器に興味を示し、後先考えずに銀行から借金をして爆買いする。借りた金は返さなければならないという基本的なルールを知らない村人たちはすぐに借金漬けになり、抵当に入れた土地や家は差し押さえられる。

 特に村人たちが欲しがったのはテレビだった。テレビを購入した家では皆がテレビに釘付けになってしまい、ホーリー祭でも人々は外に出てお祝いをすることがなくなってしまった。

 さらに、銀行で口座を作るときに銀行員は村人たちのカーストを勝手に決めていった。前述の通り、バーラト村には元々カーストが存在しなかったのだが、銀行を訪れた村人たちは、そのときしている仕事に従ってカーストを決められた。カーストが決まったことで、同じカーストの者同士、仲間意識が芽生え、村人の中に派閥が出来上がってしまった。

 決して独立前のインドにカーストの問題がなかったわけではない。おそらくバーラト村の先祖たちは意図的にカーストを消し去り、村に平等性をもたらしたのだろう。村人たちが皆で一ヶ所に集まり食事をする習慣も、カースト廃止と関係する習慣だと思われる。だが、銀行設立によって瞬く間に村は分断されてしまった。もちろん、これはインド社会全体の風刺である。

 「Gaon」で触れられていなかったのは宗教問題だ。村に宗教施設は見当たらなかったが、どうもバーラト村の村人たちは皆ヒンドゥー教徒であった。カーストは消されたかもしれないが、宗教は消されていなかった。バーラト村の創立者たちはたまたま皆ヒンドゥー教徒だったということだろうか。

 バーラトの両親がなぜバーラト村を去ったのか、バーラト村を出られない掟はどうなったのか、この点について映画は沈黙を保っていた。きっとドラマがあったはずだし、バーラトの父親がバーラト村の人々に知られていなかったことも気になった。

 古き良きインドの価値観を現代まで残すバーラト村の存在はとても面白かったし、そこに貨幣経済が持ち込まれ、急速な発展が押し寄せることで、村が破滅に向かっていく様子は、風刺として秀逸であった。しかしながら、その大枠のアイデアを活かすための部品となるストーリー部分に甘さがあり、映画として完成度を高めることに失敗していた。アイデア倒れの映画という印象を受けた。

 演技に関してはヴァイドジーを演じたゴーパール・K・スィンが突出している。放浪の旅から帰ってきた後に、堕落してしまった村人たちを長々と叱責するシーンは白眉である。主演のシャダーブ・カマールとネーハー・マハージャンについては、悪い演技ではなかったものの、どちらもインパクトに欠けた。

 「Gaon」は、無名の監督が無名の俳優を起用して作った地味な映画ではあるが、インド独立を知らずに自給自足の生活をし続けた村が舞台という、興味を引く筋書きの作品である。残念ながら完成度は高くないが、このアイデアを誰か他の優秀な監督が練り直し、ある程度のスター性と演技力のある俳優を起用して作り直してくれれば、傑作が生まれる予感がする。


https://www.youtube.com/watch?v=27rQiKsIF0U