Gandhigiri

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Gandhigiri
「Gandhigiri」

 2010年代にヒンディー語映画界でトレンドとなったもののひとつに、汚職撲滅があった(参照)。これは、2004年から2期にわたって中央政府の与党を務めた国民会議派政権に多くの汚職スキャンダルが噴出したことと、2011年に社会活動家アンナー・ハザーレーが先導した汚職撲滅運動が全国的な広がりを見せたことによる。ハザーレーは「現代のガーンディー」と呼ばれたが、彼の台頭には少なからず映画界も寄与したといわれている。インド独立の父マハートマー・ガーンディーの思想を現代風にアレンジして若者に提示した「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)をはじめ、ガーンディーを様々な視点から描いた映画が続いたのである。

 2016年10月14日公開の「Gandhigiri」も、ガーンディー主義を主題にした映画だ。題名の「ガーンディーギーリー」とは、「Lage Raho Munna Bhai」で初めて登場した造語であり、「ガーンディー稼業」みたいな意味だ。ガーンディー主義を現代的に言い換えた言葉であり、市民権を得ている。

 監督はサノージ・ミシュラー。過去に複数の映画を撮っているものの有名な作品はなく、B級映画監督と呼んで差し支えないだろう。キャストは、オーム・プリー、サンジャイ・ミシュラー、ブリジェーシュ・カルニーワール、アヌパム・シャーム、ムケーシュ・ティワーリー、メーグナー・ハルダール、ドリウー・チャーワラー、アミト・シュクラー、リシ・ブーターニー、ラヴィ・スィン、ヴィーレーンドラ・スィンなど。さらにヴィジャイ・ラーズがナレーションを担当している。

 舞台はウッタル・プラデーシュ州ラクナウー近くのシヴガル。ラーイ・サーハブ(オーム・プリー)はモーリシャス在住のインド系移民2世だった。ラーイ・サーハブの父親は元々シヴガルのマハーラージャーだったが、1942年にマハートマー・ガーンディーが主導した「インドを去れ」運動に賛同し、英国人によってモーリシャスに追放されてしまった。ラーイ・サーハブは父親からガーンディー主義を受け継ぎ、実践をしてきたが、遂に故郷シヴガルに戻ることを決意する。

 バカイト・スィン(サンジャイ・ミシュラー)、バンスィー(ブリジェーシュ・カルニーワール)、ユヴラージ(リシ・ブーターニー)、ムハンマド・カリール(ヴィーレーンドラ・スィン)の四人は盗賊団を組んでおり、インドに到着したばかりのラーイ・サーハブを強盗しようとする。ところが、タレコミを受けたトーマル警部補(アミト・シュクラー)によって止められ、四人は逮捕されてしまう。だが、ラーイ・サーハブは四人を改心させようとし、彼らの保釈金を払って自分の家に居候させる。それでも四人はラーイ・サーハブの持つ財宝をしつこく狙っていた。

 バカイトと旧知のジャヤンティ(メーグナー・ハルダール)や、警察署の牢屋で同室となった泥棒ナトヴァルラール(ムケーシュ・ティワーリー)もラーイ・サーハブの邸宅に住むようになる。ユヴラージは、ラーイ・サーハブの弟子ラージャーラーム・パーンデーイ(ラヴィ・スィン)の妹ディシャー(ドリー・チャーワラー)と恋仲にあった。それに気付いたラーイ・サーハブは、ディシャーをユヴラージと結婚させる。

 ラージャーラームはダリト政治家であったが、政敵クラーンティ・パーンデーイ(アヌパム・シャーム)に殺される。殺人の現場をラーイ・サーハブ、バカイト、バンスィー、ユヴラージ、カリールも見ていたが、クラーンティの復讐を恐れ、ラーイ・サーハブの他にはユヴラージしか証人として名乗りを上げなかった。ユヴラージはディシャーと結婚したことで改心し、すっかりラーイ・サーハブに心酔していた。ユヴラージがラーイ・サーハブに、ナトヴァルラールやバカイトたちが犯罪者であることを曝露したため、彼らは逃げ出す。ユヴラージはラージャーラームの代わりに選挙に立候補し、クラーンティの対立候補となる。

 ナトヴァルラールやバカイトたちはクラーンティの仲間になり、ユヴラージを名乗って銀行強盗をした後、ユヴラージを誘拐する。だが、彼らは警察に逮捕されてしまう。トーマル警部補は、犯罪者たちを匿っていたラーイ・サーハブも逮捕せざるをえなくなる。ラーイ・サーハブは彼らを改心させられなかったことに失望し、自殺する。その知らせを聞いたバカイトたちはショックを受けて泣き崩れる。彼らはトーマル警部補から特別に許可をもらい、最後にラーイ・サーハブの遺体にお別れを告げにいく。そこで彼らは反省し、バンスィーは後追い自殺までしようとする。だが、実はラーイ・サーハブは生きていた。彼らを改心させるために自分の死を演出したのだった。

 汚職撲滅のメッセージを社会に広めようとする映画の一種であることには間違いないのだが、その味付けはコメディーであり、しかもかなりのB級風味である。ストーリーが散乱していて全てを論理的に把握しようとすると大変なのだが、とにかくオーム・プリー演じるラーイ・サーハブは生粋のガーンディー主義者であり、彼が自ら実践しながらインドにガーンディー主義を広めようと努力している様子を描いた映画であることが分かればいいだろう。

 「Lage Raho Munna Bhai」は、現代の若者と近い感覚を持ったマフィアのドン、ムンナー・バーイーがガーンディー主義にのめり込むことで、ガーンディー主義が現代的に解釈されている映画だった。それに対しこの「Gandhigiri」は、ガーンディーの再来のようなラーイ・サーハブが、モーリシャスからインドにやって来て若者たちにガーンディー主義を啓蒙する形式を採っており、どちらかというと上から目線であった。

 ラーイ・サーハブはひたすら性善説で物事を捉えており、悪人たちからは簡単に餌食になってしまいそうだ。生き馬の目を抜くインド人がひしめくインドでは生き残っていけないのではないかと思ってしまう。しかもラーイ・サーハブは資産家である。余計に悪人たちのターゲットになる。それでもラーイ・サーハブは犯罪者を改心させる努力をし続ける。もし現実世界でも全ての物事がそのように進めば申し分ないが、残念ながらあまりに非現実的に映ってしまう。

 2010年代に流行した汚職撲滅映画で取り上げられる汚職とは主に贈収賄や権力の濫用に類するものである。だが、「Gandhigiri」では強盗や泥棒がメインキャラとして出て来るし、政治家同士が銃を取りだして殺し合いもしていて、汚職以前の問題だとも感じられる。

 この映画に政治的なメッセージが込められているとしたら、それはカーストを票田とした、いわゆる「ソーシャル・エンジニアリング」と呼ばれる政治手法への批判だ。ウッタル・プラデーシュ州では特にカースト意識が強く、政治家はカーストをテコにして選挙に勝とうとする傾向にあった。「Gandhigiri」でも、ラージャーラームとクラーンティ・パーンデーイの政争が見られたが、ラージャーラームはダリト(不可触民)の政治家であり、クラーンティはブラーフマンの政治家で、両者は犬猿の仲であった。それに対しラーイ・サーハブは、ガーンディーが理想とした「ラーマの統治」では国民は皆平等だと説き、カースト政治を批判する。

 サノージ・ミシュラー監督は精いっぱいメインストリーム映画の手法でこの映画を飾ろうと努力しており、複数のダンスシーンも入るが、絶対的に技術が不足している。それ故にかえってチープさが増している。

 「Gandhigiri」は、「Lage Raho Munna Bhai」で提唱された「ガーンディーギーリー」を題名に冠した映画であり、ガーンディー主義者がインド人にガーンディー主義を啓蒙する内容のコメディー映画である。オーム・プリーやサンジャイ・ミシュラーなど、技巧派の俳優たちが出演しているものの、監督の技量不足から来るチープな雰囲気を拭い去ることができず、B級映画止まりになっている。


Gandhigiri (2016) | Sanjay Mishra | Om Puri | Meghna | Bollywood Latest Movie