2023年2月16日からZee5で配信開始された「Lost」は、行方不明になった青年を探す女性ジャーナリストの物語である。実話に基づくストーリーとされている。2022年9月23日にシカゴ南アジア映画祭でプレミア上映された。
監督は「Pink」(2016年)で高い評価を受けたアニルッダ・ロイ・チャウダリー。元々ベンガル語映画を撮ってきた人物で、この映画もコルカタが舞台になっているが、主な言語はヒンディー語である。主演はヤミー・ガウタム。他に、パンカジ・カプール、ラーフル・カンナー、ニール・ブーパーラム、ピヤー・バージペーイー、トゥシャール・パーンデーイなどが出演している。
コルカタ在住のジャーナリストのヴィディ・サーニー(ヤミー・ガウタム)は、イーシャーン・バールティー(トゥシャール・パーンデーイ)という26歳青年の行方不明事件に興味を持ち調べ出す。イーシャーンは路上演劇をする社会活動家だった。彼にはアンキター・チャウハーン(ピヤー・バージペーイー)という恋人がいた。イーシャーンは2週間以上行方不明で、母親や姉のナミターは捜索願を出していた。 ヴィディがイーシャーンの母親やナミターに会ってみると、彼女たちは警察から、イーシャーンがナクサライトの首領ラーナーと接触し、テロリストになったと告げられる。だが、ヴィディは、アンキターが政治家ランジャン・ヴァルマン(ラーフル・カンナー)の庇護下にあることを知り、ヴァルマンに疑いの目を向ける。 ところでヴィディは、母方の祖父ナーヌー(パンカジ・カプール)と一緒に住んでいた。ナーヌーは元大学教授であったが、現在は悠々自適の生活を送っていた。ヴィディはナーヌーと固い絆で結ばれていたが、両親とは折が合わなかった。また、父親は建設会社の社長であったが、ヴァルマンとはビジネスパートナーであり、ヴィディの調査に介入してきた。ヴィディにはジート(ニール・ブーパーラム)という恋人がいたが、仕事に打ち込むヴィディには恋人と過ごす時間があまりなく、二人の関係は良好ではなかった。 ヴィディは何者かに脅迫を受けるようになり、ナーヌーは彼女の身を案じる。だが、ヴィディは果敢に独自捜査を進める。ヴィディは、ヴァルマンがアンキターと極秘裏に結婚していたことを突き止め、ヴァルマンがイーシャーンを誘拐したと結論付ける。しかし、彼女が書いた記事が発表される直前に、ヴィディはラーナーと交信する機会を得る。ラーナーは、ヴァルマンに誘拐されたイーシャーンを誘拐し匿っていると明かす。警察の捜査通り、イーシャーンはナクサライトと共にいた。 ラーナーはヴァルマンとその妻アンキターを爆殺しようと計画していた。それを知ったイーシャーンはアンキターに動画メッセージを送り警告する。アンキターから暗殺計画を知ったヴァルマンは代わりの者を行かせる。彼はヴァルマンの代わりに爆死する。アンキターからイーシャーンの動画メッセージを受け取ったヴィディは、イーシャーンが無実という証拠を手にし、それを記事にする。
祖父と暮らす女性ジャーナリストが、強力な政治家が暗躍する行方不明事件の真相を暴こうとするスリラー映画であった。コルカタが舞台になっており、容易に「Kahaani」(2012年/邦題:女神は二度微笑む)を想起させる雰囲気の映画だが、地に足の付いた展開で、派手な娯楽に振っていなかったところに監督の大人びた趣味を感じた。例えば、事件を独自捜査する主人公ヴィディには2人の怪しい尾行が付く。そして彼女はアシッドアタックの脅迫も受ける。だが、結局ヴィディが襲われるようなシーンはない。ヴィディは基本的に勇敢な女性だが、さすがに脅迫を受けて怖がるシーンもあった。それでも、恐怖だけ煽っておいて特に何もないというところに大人のリアリズムを感じたのである。
スリラー映画ではあるが、ヴィディと祖父の関係が非常に力を込めて描写されていたのが印象的だった。祖父を演じたパンカジ・カプールが、今までにない優しい祖父像を作り出していた。引退した大学教授でありながら孫娘に自慢の料理を食べさせて喜ぶような可愛い一面も見せていたのである。2010年代に入り、ヒンディー語映画では父親像が急速にソフトになったが、2020年代には祖父像までソフト化が進んでいる。ただ、ここまで祖父との関係が強調されていたために、報復による彼の死など、不幸な展開も臭ってきていた。だが、そんな嫌な予感は実現しない。そういうところにも、監督の優しさを感じた。
インド映画は無駄を排した配役をする傾向にあり、それぞれの役には何らかの役割が与えられていることが多い。善玉は善玉、悪玉は悪玉、道化役は道化役といった具合だ。だから、登場人物がどの型に当てはまる役なのかが分かると、それらを組み合わせることでその後の展開がある程度読めてしまう。しかし、「Lost」では敢えて無駄のある配役をしていた。だから、予想通りには進まない。ヴィディの祖父も、その立ち位置から、いつか殺される役である可能性が濃厚なのだが、そうならず、ただ場を和ますだけの蛇足的な配役だったことが後から分かる。キャスティングにそういう遊びをもたらしたところにインド映画としての斬新さを感じさせる映画であった。
ヤミー・ガウタム演じるヴィディの設定や役作りについても同じことがいえる。2010年代には男性顔負けの強い女性がもてはやされた。2020年代に入ってもそのトレンドは続いており、ヴィディもその延長線上にあるキャラだといえる。だが、それは表向きだ。ヴィディは、犯罪レポーターとしてのキャリアを突き詰める自立した女性だ。相手が警察であろうが政治家であろうが、物怖じせずに物事を言う。しかし、彼女は脅迫を受けた後、皆の前では強がるものの、ちょっとしたことで恐怖に身をすくませる弱い姿も見せる。完全無欠の女性ヒーローではなく、弱さを併せ持った生身の人間としての描写が好感を持てた。
主筋は女性ジャーナリストの物語であったが、この映画のストーリーにはナクサライトやカーストの問題も織り込まれている。映画の中でマオイスト(毛沢東主義者)と呼ばれていた人々は、森林地帯に住む部族たちなどの権利を守るためにインド政府とゲリラ戦をしている極左の組織である。また、行方不明になったイーシャーンは不可触民であった。彼の恋人アンキターはラージプートであり、この二人の結婚は社会的には認められにくかった。だから二人は裁判所で駆け落ち結婚をしたのだと考えられる。また、建設会社を経営するヴィディの父親と政治家ヴァルマンの癒着も臭わされていた。これらのサイドストーリーには深く足を踏み入れていなかったが、主筋以外にも広がりがありそうな物語だった。
「Lost」は、とある青年の行方不明事件の真相を解明しようとコルカタを奔走する女性ジャーナリストの物語である。スリラー映画ではあるが、定石通りの展開ではなく、起こりそうで起こらないようなことが多くて、インド映画としては斬新な味付けの作品だと感じた。ヤミー・ガウタムやパンカジ・カプールの演技、そして俳優たちの台詞のやり取りも素晴らしく、じっくりと楽しめる映画に仕上がっている。