ラダック人監督スタンジン・ドルジェとフランス人監督クリスチアーヌ・モルデレによる「The Shepherdess of the Glaciers」は、インド最北部にある「インドの小チベット」ラダック地方に住む女性羊飼いの1年を追ったドキュメンタリーである。フランス語の題名は「La Bergere Des Glaces」で、アジアンドキュメンタリーズでは「ラダック 氷河の羊飼い」という邦題と共に配信されている。元々はTV番組として製作され、2016年1月19日に独仏のTV放送局アルテで放映された。いくつかの映画祭でも上映されているが、映画版はTV版よりも尺が長い可能性がある。アジアンドキュメンタリーズで配信されているものは74分あった。
「The Shepherdess of the Glaciers」の主な被写体になっているのは、ツェリンという羊飼いの女性である。映画の中のやり取りから察するに、どうもスタンジン・ドルジェ監督の姉のようだ。ラダックの羊飼いがどのような生活をしているのかよく分かる作品であると同時に、羊飼いがいかに人間の子供のように羊たちを愛し育てているのかが分かり、心を打たれる。
ツェリンが放牧をしているのは、レー・マナーリー・ハイウェイ上にあるギャやメルーの辺りのようだ。近くにはツォ・カルという湖もある。全く樹木が生えていない荒れた山をツェリンは羊を追いながらひたすら歩き続ける。
映画の中には「冬谷」「夏谷」という用語が出て来て興味を引かれた。それぞれ「冬を過ごす谷」、「夏を過ごす谷」という意味だ。羊飼いの間でもルールがあり、どこにでも羊を連れて行けるわけではないらしい。村の羊飼い同士でサイコロ賭博をし、勝った者からいい谷を選ぶことができるようなシステムになっているようだ。また、それぞれの谷には期限があり、期限を過ぎても滞在し続けると罰金も科されるという。自由気ままな職業かと思いきや、意外に厳しいルールの中で生活をしていることが分かる。
文明から隔絶された地域を映し出したドキュメンタリー映画の常として、教育の重要性が謳われるものだ。社会的な地位の向上を望むなら、教育は唯一かつ最重要な道と結論付けられることがほとんどである。だが、少なくともこの映画のカメラが入った村では逆の現象が起きていた。若者の間で教育が行き渡ったがために、羊飼いの跡を継ぐ者がいなくなり、現在羊飼いをしているのは老人ばかりという状況になってしまっているという。村の老人が「子供たちが勉強ばかりして羊飼いになってくれない」と嘆いているシーンがあったが、何とも皮肉なことである。
農家と羊飼いは持ちつ持たれつの関係にあり、もし羊飼いが羊の放牧を止めたら、農業も大きな打撃を受ける。2010年代、ラダック地方で教育は浸透しつつあるが、その一方で伝統的な産業が危機を迎えつつある現状をこの映画は鋭く捉えていた。
ただ、監督はツェリンに四六時中密着してこの映画を作り上げたわけではないと思われる。映像の時間は飛び飛びで、脈絡がないように感じられることもあった。ドキュメンタリー映画なので、勝手な映像を差し挟むことはできないが、編集に荒さを感じた映画であった。
「The Shepherdess of the Glaciers」は、ラダック地方の厳しい自然の中で羊を放牧する一人の女性の物語である。ラダック地方の圧倒的な自然が力強く映し出されている上に、主人公のツェリンの生き様や家畜との絆が感情を込めて描写されている。教育が羊飼いという職業を危機に追いやっているという新たな視点も提示しており、意義深い作品である。