世界でも最貧国のひとつに数えられるネパールでは人身売買が横行している。売られた子供の内、何割かはインドのサーカス団に流されるという。「Even When I Fall」は、インドのサーカス団に売られた2人の女性を主な被写体にしたドキュメンタリー映画である。2017年6月11日にシェフィールド国際ドキュメンタリー祭でプレミア上映された。アジアンドキュメンタリーズでは「サーカス・カトマンズ たとえ墜ちたとしても」という邦題と共に配信されている。
監督はスカイ・ニールとケイト・マクラーノン。どちらも英国人である。彼女たちは、サラスワティーとシータルという2人の女性に密着し、このドキュメンタリー映画を作り上げた。しかし、人身売買でサーカス団に売られた女性たちの窮状を追った映画ではない。映画の冒頭でサラスワティーがインドのアッサム州においてサーカス団から救助されるシーンが映し出されるが、その後はネパールに連れ戻され、施設で過ごすことになる。そこで彼女は家族とも14年振りに再会し、さらに、同じような境遇の女性シータルと出会う。映画は、人身売買の被害者となってサーカス団に売られた女性たちは、ネパールに戻った後にどのようなことを思い、どのような活動を始めたかを追っている。
サラスワティーは学校教育を受ける前に売られてしまったため、読み書きができない。また、シータルは親の顔が思い出せなかったが、何とか親を見つけ出した。二人とも、自分を人身売買業者に売った親に対しては複雑な感情を抱いている。親は、業者から騙されて子供を売ることになったというのだが、やはり自分を売った親には再会後も全幅の信頼を置くことができない。愛着という点では、いくら人身売買であっても、サーカス団の方にそれを抱いていたくらいだった。その一方で、この世の中に血を分けた家族がいるという安心感は否定できなかった。
結局、彼女たちにはサーカスしかなかった。施設で出会った若者たちと共に、彼らは「サーカス・カトマンズ」というサーカス団を立ち上げる。ネパールではサーカスに対し悪いイメージがあるようで、売春の温床のように考えられているらしい。だが、彼らはそのイメージを払拭すべく、テントを張らずに路上でパフォーマンスを行うようになった。また、人身売買への注意を喚起するための演劇にも取り組み始める。「Even When I Fall」が主に取り上げたかったのは、彼女たちのこの活動の方だ。
サーカス・カトマンズはネパール国内で徐々に知名度を獲得し、次は海外公演を模索し始めた。だが、人身売買の被害者である彼女たちは世間から信頼がなく、海外渡航は容易ではなかった。それを乗り越え、2014年にはドバイで初の海外公演を成功させる。その後、英国のグラストンベリー・フェスティバルでも公演し、さらに名を上げる。ここで彼女たちは、他国のサーカス・パフォーマーたちとも交流を深め、サーカスで技を披露する人々は「アーティスト」と呼ばれて尊敬されていることを知る。
サーカス・カトマンズはその後も海外公演を続け、活動は軌道に乗ってきた。ところが2015年、ネパールで大規模な地震が起こり、多くの被害が出る。ネパールの人々は生活に困窮するようになり、人身売買も急増した。彼らはネパールに戻り、村々を回って、人身売買防止のための活動に精力的に取り組むようになる。
人身売買によってサーカス団に売られた女性たちの物語、と聞くと、どうしても暗い映画を想像してしまう。確かに彼女たちは家族さえも素直に信用できなくなるという深い傷を負った。しかしながら、彼女たちは不幸を乗り越えようと努力し、国際的に活躍するまでに成長した。過去は変えられないが、未来なら努力次第でいくらでも変えることができる。「Even When I Fall」は、そんな力強いメッセージを受け取ることができる前向きなドキュメンタリー映画だった。