一般にイスラーム教は音楽を「好ましくない」としている。イスラーム教過激派は音楽を「禁止」とも解釈している。よって、イスラーム教を国教とするパーキスターンの音楽産業は発展の余地がないように見える。しかし、豊かな音楽文化をインドと共有するパーキスターンの音楽シーンは、実はインドに勝るとも劣らない活況があり、ヒンディー語映画界でも多くのパーキスターン人ミュージシャンたちが活躍してきた歴史がある。パーキスターン映画の傑作「Khuda Kay Liye」(2007年)も、優れた楽曲の数々で満たされた映画であり、しかもイスラーム教徒と音楽の問題にも部分的に切り込んでいた。米ドキュメンタリー映画「Song of Lahore」(2016年/邦題:ソング・オブ・ラホール)も、パーキスターンの草の根ミュージシャンを取り上げた作品であった。
「Lyari Notes」は、スィンド州の州都カラーチーの一地域リヤーリーで音楽学校を経営する音楽家ハムザ・ジャーフリーと、そこで学ぶ子供たちの姿を追ったドキュメンタリー映画である。2015年10月15日にパーキスターンで公開された。監督はパーキスターン人マヒーン・ズィヤーとインド人ミリヤム・チャーンディー・メナチェリーであり、2012年から15年にかけて、リヤーリーを中心に撮影された。アジアンドキュメンタリーズでは「音楽は”罪”じゃない 街角の音楽学校」という邦題と共に配信されている。
邦題からは、イスラーム教過激主義者たちの弾圧に耐えながら音楽を教え、学ぶ人々の物語かと推測したが、宗教的な理由で彼らが弾圧されている場面はほとんどなかった。この映画の主役であるハムザは、子供たちに音楽を教えるため、カラーチーでもっとも危険な地域とされるリヤーリーにMAD(Music Art Dance)スクールを開校するが、彼が戦っていたのはどちらかといえば、住民たちの音楽に対する無理解であった。ハムザは子供たちに音楽や演劇を教え、彼らの才能を親に示して、音楽や芸術は教育にとって重要だということを証明しようとしていた。
また、当時のパーキスターンの政治状況や社会状況が時代背景として映し出される。2012年にリヤーリーで起こった、警察とギャングの間の銃撃戦、2013年の大統領選挙、2014年にペシャーワルの学校で起こった児童虐殺事件などが参照される。特にペシャーワルの事件の衝撃は大きく、リヤーリーの人々が、イスラーム教は平和の宗教であるのに、イスラーム教の名の下に小さな子供が殺されていることに戸惑っていた。ただ、主な被写体になっている人々が直接被害を受けたわけではなかった。
確かにパーキスターンの政情が不安定な時代に撮影された映画ではあったが、ハムザや彼の生徒である子供たちに何か大きなドラマがあるわけでもなかった。MADスクールで親や支援者を呼んで開催した文化プログラムが映画のクライマックスになっていたが、そこまでの流れが整理されていなかったので、大きな感動が得られたわけでもなかった。結局、全体として何が言いたいのか曖昧な映画になってしまっていた。
しかしながら、音楽が題材のドキュメンタリー映画で、子供たちに音楽を教えるミュージシャンが主役になっているだけあり、音楽には力がある。ハムザ自身が演奏している曲もあれば、その時代に流行した曲も使われていた。パーキスターンの音楽シーンには疎いのだが、ベーガイラト・ブリゲードによる風刺曲「Aalu Anday」(2011年)だけは知っていた。
「Lyari Notes」は、カラーチーのリヤーリー地区で音楽学校を経営するミュージシャンを追ったドキュメンタリー映画である。パーキスターン人とインド人の監督が共同で撮影している点にも注目したい。ただ、邦題は少しミスリーディングに感じる。特にイスラーム教過激派からの弾圧を受けているわけでもないし、手に汗握るドラマがあるわけでもない。悪い映画ではないが、中途半端に感じた。